東京地方裁判所 平成4年(行ウ)58号 判決 1999年3月24日
原告
阿部和彦
外一一三名
平成四年(行ウ)第一一号共同訴訟参加申立事件
参加人
濱健治
外三二名
右原告ら及び参加人ら訴訟代理人弁護士
今村嗣夫
同
植竹和弘
同
榎本信行
同
勝部浜子
同
松浦基之
同
森川文人
同
大谷直
同
大野裕
同
尾林芳匡
同
椛嶋裕之
同
河邊雅浩
同
小池健治
同
小賀坂徹
同
澤藤統一郎
同
城臺哲
同
徳岡宏一郎
同
中西一裕
同
林和男
同
芳賀淳
同
南典男
同
宮原哲朗
右訴訟復代理人弁護士
武藤元
同
飯塚和夫
同
岸本努
同
窪田之喜
同
斎藤展夫
同
佐治融
同
関島保雄
同
高木一彦
同
吉田栄士
同
毛受久
同
池田眞規
同
内藤雅義
同
中山武敏
同
尾崎隆
同
名嶋総郎
同
大槻厚志
同
立松彰
同
大家浩明
同
高山俊吉
同
市川清文
同
田久保公規
同
石川知明
同
三坂彰彦
同
河野聡
同
河野弘香
同
村上典子
同
柴垣明彦
被告
鈴木俊一
外三名
右被告ら訴訟代理人弁護士
山下一雄
主文
一 原告瓜谷良平、同菅野虎夫及び同鈴木吉信を除くその余の原告ら及び参加人らの本件訴えのうち、被告鈴木俊一に対し地方自治法二三二条の四所定の「支出」の違法を理由として損害賠償を求める部分及び別紙二支出目録7記載の支出に係る損害賠償を求める部分を却下する。
二 原告瓜谷良平、同菅野虎夫及び同鈴木吉信を除くその余の原告ら及び参加人らのその余の請求を棄却する。
三 本件訴訟のうち原告瓜谷良平の請求に関する部分は、平成五年一二月一日、同原告の死亡により、同菅野虎夫の請求に関する部分は、平成六年五月一一日、同原告の死亡により、及び同鈴木吉信の請求に関する部分は、平成八年四月二三日、同原告の死亡により、それぞれ終了した。
四 訴訟費用は原告ら及び参加人らの負担とする。
事実及び理由
第一 当事者の求めた裁判
一 原告ら及び参加人らの請求
1 平成三年一〇月一八日付け監査請求を経た原告ら
(一) 被告鈴木俊一は、東京都に対し、二二八二万九三五〇円及びうち三三四万二三五〇円に対する平成二年一二月一三日から、うち二万円に対する平成三年一月一日から、うち一九四六万七〇〇〇円に対する同月二三日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 被告鈴木俊一及び同鹿谷嵩義は、東京都に対し、連帯して、二八〇一万八一五二円及びうち一〇三万円に対する平成三年一月二五日から、うち二六九八万八一五二円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 被告鈴木俊一及び同塚越健は、東京都に対し、連帯して、二六万七八〇〇円及びこれに対する平成三年一月二三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(四) 被告鈴木俊一及び同渡邊常義は、東京都に対し、連帯して、六万七三一一円及びこれに対する平成二年一二月二二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 平成三年一一月一一日付け監査請求を経た原告ら
(一) 被告鈴木俊一は、東京都に対し、二四〇〇万〇八八六円及びうち三三四万二三五〇円に対する平成二年一二月一三日から、うち六万七三一一円に対する同月二二日から、うち二万円に対する平成三年一月一日から、うち一九四六万七〇〇〇円に対する同月二三日から、うち一一〇万四二二五円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 被告鈴木俊一及び同鹿谷嵩義は、東京都に対し、連帯して、二六九一万三九二七円及びうち一〇三万円に対する平成三年一月二五日から、うち二五八八万三九二七円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 前記1の(三)と同じ
3 平成三年一一月二九日付け監査請求を経た原告ら
(一) 被告鈴木俊一は、東京都に対し、四八八九万五九八六円及びうち三三四万二三五〇円に対する平成二年一二月一三日から、うち六万七三一一円に対する同月二二日から、うち二万円に対する平成三年一月一日から、うち一〇三万円に対する同月二五日から、うち一九四六万七〇〇〇円に対する同月二三日から、うち二四九六万九三二五円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 被告鈴木俊一及び同鹿谷嵩義は、東京都に対し、連帯して、二〇一万八八二七円及びこれに対する平成三年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 前記1の(三)と同じ
4 平成四年(行ウ)第一一号事件参加人ら
(一) 被告鈴木俊一は、東京都に対し、二三五九万四二九三円及びうち三三四万二三五〇円に対する平成二年一二月一三日から、うち二万円に対する平成三年一月一日から、うち一九四六万七〇〇〇円に対する同月二三日から、うち七六万四九四三円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(二) 被告鈴木俊一及び同鹿谷嵩義は、東京都に対し、連帯して、二七二五万三二〇九円及びうち一〇三万円に対する平成三年一月二五日から、うち二六二二万三二〇九円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
(三) 前記1の(三)及び(四)と同じ
5 平成四年(行ウ)第三五号事件参加人ら
被告鈴木俊一は、東京都に対し、四七四九万七〇一三円及びうち六万七三一一円に対する平成二年一二月二二日から、うち一九七三万四八〇〇円に対する平成三年一月二三日から、うち一〇三万円に対する同月二五日から、うち二六六六万四九〇二円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
6 平成四年(行ウ)第五八号事件参加人ら
被告鈴木俊一は、東京都に対し、四六五一万六一三九円及びうち一九七三万四八〇〇円に対する平成三年一月二三日から、うち一〇三万円に対する同月二五日から、うち二五七五万一三三九円に対する同年三月三〇日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
7 平成四年(行ウ)第九五号事件参加人ら
被告鈴木俊一は、東京都に対し、二五七五万一三三九円及びこれに対する平成三年三月三〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 被告らの答弁
原告ら及び参加人らの請求をいずれも棄却する。
第二 事案の概要
一 本件は、東京都(以下「都」という。)の住民である原告ら及び参加人ら(以下、後記二4ないし6、第四の九及び別紙五等において特に区別する場合を除き、一括して「原告ら」という。)が、都知事であった被告鈴木俊一(以下「被告鈴木」という。)が、宗教的・服属的な儀式である即位の礼及び大嘗祭関連諸儀式に参列し拝礼等をしたこと及び都が天皇陛下御即位祝賀記念式典等の各祝賀事業を行ったことは、政教分離原則(日本国憲法(以下、単に「憲法」という。)二〇条、八九条)、国民主権原理ないし象徴天皇制(同法一条)に違反するのみならず、天皇の即位に対する祝賀を強制するものであって思想・良心の自由(同法一九条)を侵害する違憲・違法なものであり、別紙二支出目録記載のとおり右参列のための庁有自動車の運行に係る費用及び各祝賀事業に係る費用を都の公金から支出したのは違憲・違法であるなどと主張して、右各費用相当額及び各支出日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金について、都に代位して、被告鈴木及び右各支出(庁有自動車の運行に係る費用を除く。)に係る支出負担行為者であった被告鈴木を除くその余の被告らに対し、地方自治法(以下「法」という。)二四二条の二第一項四号前段に基づき損害賠償の請求をした住民訴訟である。
二 前提となる事実
(以下の事実のうち、証拠等を掲記したもの以外は、当事者間に争いのない事実である。)
1 当事者
(一) 原告らは、いずれも都内に住所を有する者である。
(二) 被告鈴木は、後記3の支出当時、都知事の地位にあった者、被告鹿谷嵩義(以下「被告鹿谷」という。)は、後記3(二)及び(三)の支出当時、都総務局長の地位にあった者、被告塚越健(以下「被告塚越」という。)は、後記3(五)の支出当時、都北部公園縁地事務所長の地位にあった者、被告渡邊常義(以下「被告渡邊」という。)は、後記3(六)の支出当時、都西多摩経済事務所長の地位にあった者である。
2 即位の礼・大嘗祭関連諸儀式への都の関与
(一) 被告鈴木の諸儀式への参列
(1) 「即位の礼委員会」(委員長・海部俊樹内閣総理大臣(当時。以下「海部首相」という。))及び「大礼委員会」(委員長・藤森昭一宮内庁長官(当時。以下「藤森宮内庁長官」という。))における決定に従い、別紙三記載のとおり、即位の礼(以下「本件即位の礼」という。)及び大嘗祭(以下「本件大嘗祭」という。)の関連諸儀式(以下「本件諸儀式」という。)が執り行われた。本件諸儀式のうち国事行為として行われたのは「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」であり、その他の諸儀式は皇室行事として行われたが(皇室行事として行われた諸儀式のうち、被告鈴木が参列した後記(2)、(3)及び(6)の各議式を、場合によりこれらに後記(7)の儀式含めたものを以下「本件皇室行事」という。)、本件諸儀式に係る経費は内廷費ではなく宮廷費から支出された。
(2) 被告鈴木は、平成二年一月二三日午前一〇時三〇分から同日午前一二時まで宮中において、「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し、その式次第に従って拝礼した。
(3) 被告鈴木は、平成二年一一月一二日午前九時から賢所において行われた「即位礼当日賢所大前の儀」並に皇霊殿及び神殿において行われた「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し、その式次第に従って拝礼した。
(4) 被告鈴木は、平成二年一一月一二日午後一時から宮殿で行われた「即位礼正殿の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列し、その式次第に従って敬礼をするとともに、海部首相の「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」との発声に引き続き、万歳を三唱した。
(5) 被告鈴木は、平成二年一一月一三日、宮殿で行われた「饗宴の儀」に「都道府県知事の代表」として参列した。
(6) 被告鈴木は、平成二年一一月二二日及び二三日、「大嘗宮の儀」である「悠紀殿供饌の儀」及び「主基殿供饌の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列し、それらの式次第に従って拝礼をした。なお、「悠紀殿供饌の儀」は同月二二日午後六時三〇分から大嘗宮内の悠紀殿で、「主基殿供饌の儀」は同月二三日午前零時ころから大嘗宮内の主基殿でそれぞれ行われ、被告鈴木は「主基殿供饌の儀」の終了した同日午前三時過ぎころまでの間、参列していた。
(7) 被告鈴木は、平成二年一一月二三日、「大饗の儀」に「都道府県知事の代表」として参列した(以下、前記(2)ないし(7)の各儀式に対する参列を「本件参列」という。)。
(8) 被告鈴木は、前記(3)、(4)及び(6)の各儀式に参列するため、都の所有する乗用車を利用した。
(二) 都の各種祝賀事業の実施
都は、天皇の即位をお祝いするとして、以下の各種祝賀事業(以下「本件各祝賀事業」という。)を実施した。
(1) 天皇陛下御即位祝賀記念式典
右式典は、平成二年一二月一九日、東京文化会館において、名誉都民、関係団体代表者等二千名を招待して開催され、被告鈴木らが祝辞を述べ、天皇のお言葉があったほか、東京都交響楽団の記念演奏等が行われた。
(2) 銀器の献上
内閣は、憲法八条の規定による皇室に対する贈与を認める国会の議決に基づき、天皇の即位を祝するために贈与される物品の譲受けに関する基準を定め、右基準に従い、都は、東京銀器「吉鶴」置物(時価一〇〇万円)の献上を決定し、右置物を購入して皇室に献上した。
(3) 祝賀御列の沿道における菊花装飾
都は、業者に対し、「祝賀御列の儀」が行われる皇居から赤坂御所までのうち都道部沿道に菊花装飾をし、植え付けた草花が、「祝賀御列の儀」当日の平成二年一一月一二日に最良の状態になるように委託した。
(4) 水元公園・都民の森における植樹
都は、業者に委託して、即位の礼の当日の平成二年一一月一二日ころ、水元公園及び都民の森において、天皇の即位を記念する植樹を実施した。
(5) 都営地下鉄記念乗車券の発売
都は、天皇の即位を記念して一日記念乗車券(以下「本件記念乗車券」という。)を発売した。
3 本件支出
被告鈴木の本件参列及び本件各祝賀事業に関し、別紙二支出目録記載のとおり、都の公金が支出された(以下「本件支出」という。)。その手続は以下のとおりである。
(一) 被告鈴木の前記2(一)(3)、(4)及び(6)の各儀式への参列のための庁有自動車の運行のための費用(以下「本件自動車運行費」という。)の支出
(1) ガソリン代
前記2(一)(8)記載のとおり、平成二年一一月一二日、二二日及び二三日に、被告鈴木が右各儀式に参列するために都所有の自動車が皇居まで運行され、右運行に係るガソリン代が都の公金から支出された。
都知事から権限の委任を受けた財務局経理部運送課長は、同月一二日及び二三日、右ガソリン代に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた財務局の予算事務を所管する課長は、右同日、その支出命令を発出した。
(なお、原告らは、右ガソリン代は一〇〇〇円を下らない旨主張している。)
(2) 運転手賃金
右(1)の庁有自動車の運行に伴い、当該自動車の運転手に対し、平成二年一一月一二日(当日は、「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」(平成二年法律第二四号)により休日とされた。)の休日勤務四時間(午前一一時四〇分から午後四時まで)に相当する休日給が支給され、また、同月二二日から同月二三日にかけての時間外勤務一一時間(同月二二日午後五時四五分から同月二三日午前五時まで)に相当する超過勤務手当が支給された(甲五の12ないし16及び弁論の全趣旨)。
都知事から権限の委任を受けた総務局人事部制度企画室人事システム担当課長は、平成二年一一月三〇日、右運転手賃金に係る支出命令を発出した。
(なお、原告らは、右運転手賃金は二万円を下らない旨主張しているが、本件請求との関係では、右(1)のガソリン代及び(2)の運転手賃金を合わせて二万円を下らないとして、合計二万円の請求をしている。)
(二) 天皇陛下御即位祝賀記念式典の費用の支出 二六九八万八一五二円
(1) 東京文化会館施設設備等使用料三二万三二五〇円及び一四万八六二〇円
都知事から権限の委任を受けた総務局長である被告鹿谷は、平成二年一二月四日、同局総務部総務課長(以下「総務課長」という。)の補助執行により、右使用料に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた総務課長は、同月一七日、右使用料のうち三二万三二五〇円に係る支出命令を、同月一八日、右使用料のうち一四万八六二〇円に係る支出命令をそれぞれ発出した。
(2) 招待状等印刷・あて名書き料七六万四九四三円
都知事から権限の委任を受けた総務局長である被告鹿谷は、平成二年一一月七日、総務課長の補助執行により、右印刷等の料金に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた総務課長は、平成三年一月八日、その支出命令を発出した。
(3) 記念品購入代金 五九二万二五〇〇円
都知事から権限の委任を受けた総務局長である被告鹿谷は、平成二年一一月二一日、総務課長の補助執行により、右購入代金に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた総務課長は、平成三年三月二二日、その支出命令を発出した。
(4) 色紙等印刷・作成料 一五四万六九五七円
都知事から権限の委任を受けた総務局長である被告鹿谷は、平成二年一二月一二日、総務課長の補助執行により、右印刷等の料金に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた総務課長は、平成三年三月二二日、その支出命令を発出した。
(5) 企画実施委託料 一七九四万二六〇〇円及び三三万九二八二円
都知事から権限の委任を受けた総務局長である被告鹿谷は、総務課長の補助執行により、平成二年一一月一五日、右委託料のうち一七九四万二六〇〇円に係る支出負担行為を、同月八日、右委託料のうち三三万九二八二円に係る支出負担行為をそれぞれ行い、都知事から権限の委任を受けた総務課長は、平成三年三月二二日、右各委託料に係る支出命令を発出した。
(三) 献上銀器の購入代金の支出一〇〇万円
都知事から権限の委任を受けた総務局長である被告鹿谷は、平成二年一一月一六日、同局知事室副室長の補助執行により、右購入代金に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた総務課長は、平成三年一月一八日、その支出命令を発出した。
(四) 祝賀御列における沿道の菊花装飾費用の支出 一九四六万七〇〇〇円
都知事である被告鈴木は、財務局経理部長の補助執行により、右費用に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた都第一建設事務所の予算事務を主管する課長は、平成三年一月一六日、その支出命令を発出した。
(五) 水元公園における植樹の請負等代金の支出 二六万七八〇〇円
都知事から権限の委任を受けた都北部公園緑地事務所長であった被告塚越は、平成二年一一月二九日、同事務所水元公園管理事務所長の補助執行により、右請負等代金に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた都北部公園緑地事務所庶務課長は、平成三年一月二五日、その支出命令を発出した。
(六) 都民の森における植樹の苗木等購入代金の支出 六万七三一一円
都知事から権限の委任を受けた都西多摩経済事務所長であった被告渡邊は、平成二年一一月九日、同事務所商工課長の補助執行により、右購入代金に係る支出負担行為を行い、都知事から権限の委任を受けた右商工課長は、同年一二月一七日、その支出命令を発出した。
(七) 本件記念乗車券の発売費用の支出 三三四万二三五〇円
都交通局長は、同局総務部長の補助執行により、右費用に係る支出負担行為を行い、都交通局長から権限の委任を受けた同局総務部財務課長は、平成二年一二月一日、その支出命令を発出した。
(八) 右(一)ないし(六)の各費用の支出は、いずれも出納長から権限の委任を受けた職員が行い、右(七)の費用の支出は、交通局長から権限の委任を受けた企業出納員が行った。その日付けは別紙四記載のとおりである。
4 監査請求
(一) 原告らのうち、原告番号一番から七〇番までの者は、平成三年一〇月一八日、同七一番から一〇二番までの者は、同年一一月一一日、同一〇三番から一一四番までの者は、同月二九日、それぞれ、本件支出は政教分離原則、象徴天皇制に違反し、思想・良心の自由等を侵害する違憲・違法なものであるとして、法二四二条に基づき都監査委員に対し、監査請求を行った。これに対し、都監査委員は、同年一二月一七日付けで、右監査請求を理由がないものとして棄却し、そのころ、右監査結果を原告らに通知した。
(二) 平成四年(行ウ)第一一号事件参加人らは、平成三年一一月八日、同様に、本件支出は違憲・違法なものであるとして、法二四二条に基づき都監査委員に対し、監査請求を行った。これに対し、都監査委員は、同年一二月二五日付けで、右監査請求を理由がないものといして棄却し、そのころ、右監査結果を右参加人らに通知した。
(三) 平成四年(行ウ)第三五号事件参加人らは、平成三年一二月一八日、同様に、本件支出は違憲・違法なものであるとして、法二四二条に基づき都監査委員に対し、監査請求を行った。これに対し、都監査委員は、平成四年二月四日、右請求のうち、前記3(一)、(二)(1)、(七)の各費用の支出に係る部分については、監査請求期間徒過を理由に不適法としてこれを却下し、その余の部分については理由がないものとしてこれを棄却し、そのころ、右監査結果を右参加人らに通知した。
(四) 平成四年(行ウ)第五八号事件参加人らは、平成四年一月二二日、同様に、本件支出は違憲・違法なものであるとして、法二四二条に基づき都監査委員に対し、監査請求を行った。これに対し、都監査委員は、同年三月六日付けで、右請求のうち、前記3(一)、(二)(1)及び(2)、(六)、(七)の各費用の支出に係る部分については、監査請求期間徒過を理由に不適法としてこれを却下し、その余の部分については理由がないものとしてこれを棄却し、そのころ、右監査結果を右参加人らに通知した。
(五) 平成四年(行ウ)第九五号事件参加人らは、平成四年三月二七日、同様に、本件支出が違憲・違法なものであるとして、法二四二条に基づき都監査委員に対し、監査請求を行った。これに対し、都監査委員は、同年五月二六日付けで、右請求のうち、前記3(一)、(二)(1)及び(2)、(三)ないし(七)の各費用の支出に係る部分については、監査請求期間徒過を理由に不適法としてこれを却下し、その余の部分については理由がないものとしてこれを棄却し、そのころ、これを右参加人らに通知した。
5 原告らは、平成四年一月一四日、法二四二条一項四号に基づき、本件訴えを提起した。平成四年(行ウ)第一一号事件参加人らは、同月二三日、平成四年(行ウ)第三五号事件参加人らは、同年二月二七日、平成四年(行ウ)第五八号事件参加人らは、同年三月三〇日、平成四年(行ウ)第九五号事件参加人らは、同年六月一〇日、それぞれ、平成八年法律第一〇九号による改正前の民事訴訟法七五条に基づき、共同訴訟人として本件訴訟に参加した。
6 本件訴訟において、原告ら及び参加人らが問題としている支出及びその支出に伴う財務会計上の行為は、別紙五の表記載の財務会計行為及び同表記載の各費用に係る各支出行為(法二三二条の四所定のもの)であり(ただし、同表記載の財務会計行為で×印を付したものを除くほか、①平成三年一一月二九日付け監査請求を経た原告らの請求に関しては、本件自動車運行費のうちガソリン代に係る支出行為を除き、②平成四年(行ウ)第三五号事件参加人らの請求に関しては、本件自動車運行費に係る支出行為、東京文化会館施設設備等使用料に係る平成二年一二月一七日付け支出行為及び本件記念乗車券の発売費用に係る支出行為を除き、③平成四年(行ウ)第五八号事件参加人らの請求に関しては、本件自動車運行費、東京文化会館施設設備等使用料、招待状等印刷・あて名書き料、都民の森における記念植樹及び本件記念乗車券の発売費用に係る各支出行為を除き、④平成四年(行ウ)第九五号事件参加人らの請求に関しては、本件自動車運行費、東京文化会館施設設備等使用料、招待状等印刷・あて名書き料、献上銀器購入代金、祝賀御列における沿道の菊花装飾費用、水元公園における植樹、都民の森における植樹及び本件記念乗車券の発売費用に係る各支出行為を除く。)、原告ら及び参加人らは、いずれも、監査請求まで一年以内に行われた支出のみを本件訴訟の対象としている。
なお、甲五の16によれば、平成四年(行ウ)第一一号事件参加人らの監査請求に対する監査結果においては、本件記念乗車券の発売費用に係る支出については、監査の対象とされていないことが認められる。しかしながら、同参加人らが都監査委員に提出した「東京都職員措置請求書」(甲五の16)によれば、右乗車券の発売についても違法・不当である旨主張していること、同参加人らは、違法・不当な行為として同請求書に記載された事項のうち公金の支出を伴うものについて監査を求める趣旨であることが認められるのであって、そうであれば、右乗車券の発売についても公金の支出を伴う以上、同参加人らにおいて監査請求の対象としているものと認めるのが相当である。そうすると、都監査委員が、右乗車券の発売費用の支出についてこれを監査の対象としなかったのは違法であり、したがって、同参加人らは、本件請求のうち右費用の支出に係る部分についても、適法な監査請求を経たものとみるべきである。
第三 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、(一) 被告鈴木が本件自動車運行費等(前記第二の二3(一)ないし(六)の各費用)に係る支出(法二三二条の四所定のもの)につき財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か、(二) 被告鈴木が、本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か、(三) 本件支出が違憲・違法なものであるか否か、(四) 被告らの損害賠償責任の有無であり、右(三)に関しては具体的には、本件支出が(1) 政教分離原則(憲法二〇条、八九条)に違反するか否か、(2) 国民主権原理・象徴天皇制(憲法一条)に違反するか否か、(3) 思想・良心の自由の保障を定めた憲法一九条に違反するか否かが問題となる。これらの点に関する当事者双方の主張の要旨は、それぞれ以下のとおりである。
一 被告鈴木が本件自動車運行費等(前記第二の二3(一)ないし(六)の各費用)に係る支出(法二三二条の四所定のもの)につき財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か(争点1)について
(被告鈴木の主張)
法二三二条の四所定の「支出」は、都道府県においては、出納長の権限に属するものであり、知事の権限に属するものではない。被告鈴木は、本件自動車運行費等(前記第二の二3(一)ないし(六)の各費用)に係る支出(法二三二条の四所定のもの)につき財務会計上の権限を有していなかったものである。
(原告らの主張)
被告鈴木は、都知事として、予算執行権及び会計監督権等を有し(法一四九条二号、五号、六号等)、出納長を選任し(法一六八条、一六二条)、補助機関たる出納長を指揮監督する(法一五四条)立場にあったものであり、他方、出納長は、知事の命を受けて出納事務をつかさどり、所属職員を指揮監督し、出納事務の執行状況につき随時文書又は口頭をもって知事に報告をする(東京都組織規程一四条)立場にあり、また、出納長は、知事の命がなければ支出をすることができない(法二三二条の四第一項)立場にあるものである。
したがって、被告鈴木には、都知事として、出納長の指揮監督下にあった当時の金銭出納員及び特別出納員が違憲・違法な行為をなさないよう指揮監督し、違憲・違法な財務会計上の行為を阻止すべき義務があったものであり、その意味において、被告鈴木は、本件自動車運行費等に係る支出(法二三二条の四所定のもの)につき財務会計上の行為を行う権限を有していたというべきである。
二 被告鈴木は都知事として、本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限を有していたか否か(争点2)について
(被告鈴木の主張)
地方公共団体の経営する鉄道事業は、地方公営企業法の適用を受ける地方公営企業である(地方公営企業法二条一項五号)ことから、管理者が設置されている(同法七条)。管理者は、地方公営企業の業務を執行し、その業務執行に関し当該地方公共団体を代表する者であり(同法八条一項)、さらに管理者に対しては、地方公共団体の長の一般的な指揮監督権も排除されている(同法一六条)。
都においては、都公営企業組織条例二条により、鉄道事業の管理者として交通局長を置いているのであるから、本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限は都知事に属するものではない。
したがって、被告鈴木は右費用に係る財務会計上の行為を行う権限を有していなかったのであるから、右財務会計上の行為が違憲・違法であることを理由として損害賠償を求める本件訴えについて、被告となるべき地位を有しないというべきである。
(原告らの主張)
本件記念乗車券の発売費用に係る支出を行う権限は交通局長に属するが、被告鈴木は、都知事として予算執行権及び会計監督権等を有し(法一四九条二号、五号、六号等)、交通局長を選任する権限を有する者であり(地方公営企業法七条の二)、右権限を有する者として、本件記念乗車券の発売を本件各祝賀事業の一環として実施することを自ら決定したものである。すなわち、本件記念乗車券の発売は、都の事務の執行と都営の鉄道事業の業務の執行という両方の側面を有し、両方の各執行権者が調整を行って執行すべき事務に該当するものというべきところ、被告鈴木は、右の各権限を有する都知事として、交通局長と調整を行った上、本件記念乗車券の発売を決定してその実施を交通局長に指示し、交通局長はその指示を受けて交通局の担当職員の補助執行により、本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行ったのである(同法一六条)。
したがって、被告鈴木は、本件記念乗車券の発売が違憲・違法であるとすれば、交通局長を通じて、交通局長の指揮監督下にあった職員が右発売費に係る財務会計上の行為を行うのを阻止すべき義務があるのであるから、右財務会計上の行為が違憲・違法であることを理由として損害賠償を求める本件訴えについて、被告となるべき地位を有する。
三 本件支出が政教分離原則(憲法二〇条、八九条)に違反するか否か(争点3)について
(原告らの主張)
1 政教分離原則に関する一般的な考え方
(一) 目的効果基準の適用領域
(1) 現行の憲法は、大日本帝国憲法(以下「明治憲法」ともいう。)における信教の自由の保障が極めて不十分に終わった沿革を踏まえ、その反省の上に立って、二〇条一項前段と二項で信教の自由(信仰・宗教的行為・宗教的結社の自由)を厚く保障するとともに、二〇条一項後段に、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」、同条三項に、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」と定め、国家と宗教の分離の原則(いわゆる「政教分離原則」)を採用することを明らかにした。そしてそれを財政面から裏付けているのが、宗教上の組織若しくは団体に対する公金の支出を禁止する憲法八九条である(以下、これらの規定を「政教分離規定」という。)。
憲法における政教分離規定は、国家神道体制の成立過程や、その教義の内容、明治憲法の下における国家と宗教との関係(すなわち国家神道の存在)が我が国あるいは世界、とりわけアジアの人々に巨大な害悪をもたらしたこと、さらには、ポツダム宣言の受諾から神道指令、現行の憲法に至る経過が立法事実となっている。
右の歴史事実からすれば、憲法の政教分離規定が、欧米のそれよりさらに意味が広くかつ深く、国家と宗教の、そしてとりわけ神社神道との徹底した厳格な分離を期していることは疑いを入れないところである。
(2) 判例(最高裁昭和四六年(行ツ)第六九号同五二年七月一三日大法廷判決・民集三一巻四号五三三頁(以下「津地鎮祭事件判決」という。)、最高裁昭和五七年(オ)第九〇二号同六三年六月一日大法廷判決・民集四二巻五号二七七頁(以下「自衛官合祀事件判決」という。)及び最高裁平成四年(行ツ)第一五六号同九年四月二日大法廷判決・民集五一巻四号一六七三頁(以下「愛媛玉串料事件判決」という。)等)は、憲法二〇条三項の禁止する「宗教的活動」とは、同条二項の「宗教上の行為」と異なり、宗教とのかかわり合いが社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるもの、すなわち、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になる行為に限られるとし、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを判断するに当たっては、当該行為の外形的側面(主宰者・式次第)のみにとらわれず、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行なうについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断されなければならないとして、政教分離原則違反の有無の判断につき、いわゆる目的効果基準を採用している。
しかしながら、政教分離原則は、ただ無原則に緩和されるべきではなく、現代社会の構造に規定された社会的要求―市場法則ないしプライス・メカニズムの支配に任せておいたのでは、無視又は侵害されてしまうところの社会的弱者の経済的文化的生存権の実現等―に対する即応との関係において緩和されるべきものである。すなわち、国家が、これらの社会的要求に応えて、特定の金銭給付・役務提供・施設供用等を行おうとする場合、その対象者又は対象物が何らかの宗教又は宗派と関係があるということで、当該措置が、形式主義的に解された意味における政教分離原則に違反するとされるようなことになれば、社会国家の実現を著しく阻害することになるし、右のような結果になることを避けるため、当該措置の対象から宗教に関係するものを一切除外して、これを実施すれば、社会国家的施策の実施に当たって、信仰を持つ人又は宗教に関係のある組織を、宗教を信ずるがゆえに不利益に扱うことになる。そこで、右のような社会国家において当然にないし不可避的に起こる困難な問題に対して、憲法諸価値を総合する高次の見地から解決を見出していくについての基準の一つとして、目的効果基準が機能すべきことになるのである。
つまり、目的効果基準は、当該措置の目的が世俗的なものであり、かつその本来の効果が宗教を促進も圧迫もしないものであれば、当該措置の結果、何らかの利益が偶然・副次的ないし間接的に特定の又はすべての宗教に帰属することがあっても、政教分離原則違反の結論を導き出すものではないとするものである。換言すれば、それは、政教分離原則と社会国家原則との間の調整原理、あるいは政教分離規定と狭義の信教の自由の保障規定との衝突の場合についての解決の基準とみることができるのである。
したがって、社会国家原則に基づく施策とはおよそ無縁な儀式等の場合には、その儀式等の行為の性質をみて、それが宗教的性格を持っているか、あるいは非宗教的性格(世俗的性格)を持っているかを唯一の判断基準とすればよく、国家が右のような宗教的性格を持つ儀式に関与すればそれだけで政教分離原則違反となり、国家の目的が宗教的か世俗的かを問題とする必要もないし、また国家の行為の効果を検討する必要もないのである。
(二) 目的効果基準による場合の具体的な審査方法
仮に、目的効果基準によって審査するとした場合には、自衛官合祀事件判決において示された当該基準の具体的適用に関する視点、すなわち、第一に、具体的な国家行為と宗教とのかかわり合いが「間接的」かどうか、という視点、及び、第二に、効果判断に関して、国家の行為の態様からして、国又はその機関として「特定の宗教」への関心を呼び起こし、あるいはこれを援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉を加えるような効果を持つものと一般人から評価される行為か否か、という視点を持つべきである。のみならず、愛媛玉串料事件判決の手法にならい、行為の客観的態様を重視して、政教分離原則をより厳格に判断すべきである。具体的には、以下の点に留意すべきである。
(1) 政教分離原則の立法事実としての国家神道の歴史的経緯の評価
愛媛玉串料事件判決は、日本国憲法の政教分離原則の立法事実として国家神道の歴史を挙げ、「たとえ相当数の者がそれを望んでいるとしても…憲法上許されることになるとはいえない。」として、違憲判断を導く論拠としており、かつ国家神道復活杞憂論に立つ少数意見を圧倒的多数で退けた。
このような国家神道の歴史的経緯の評価が必要不可欠である。
(2) 理性的人間の合理的な判断としての「一般人」の視点
津地鎮祭事件判決は、「一般人の宗教的価値」、「一般人に与える効果」などと述べ、一般人の判断を強調する。
しかし、右判決が言う「一般人」を、「多数者」と混同してはならない。つまり、一般人とは、宗教的多数者でないことはもちろんのこと、特別に宗教に敏感な宗教的少数者でもない。一般人は「一定の合理的な客観的判断能力を有する市民」と考えるべきである。
このことは、政教分離原則の主な目的が、政治過程を通じて自らの権利や意図を実現できる「多数者」ではなく、宗教的な少数者の保護を目的とするという、同原則の存在理由に由来するものである。
愛媛玉串料事件判決は、行為の宗教的意義や効果を評価する「一般人」の視点を、単なる多数者の評価と区別し、理性的人間の合理的な判断として位置付けた。同判決は、右のような視点に立った上、愛媛県が靖國神社等へ玉串料等を奉納する行為が政教分離規定に反するかどうかに関して、たとえ県民のうち相当数の者が玉串料等の奉納を儀礼として望んでいても、①国家神道の弊害を踏まえた憲法と政教分離規定制定の経緯に照らし許されない、②戦没者の慰霊及び遺族の慰謝は特定の宗教とのかかわり合いを持つ形でなくてもできる、③玉串料等の奉納は慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとも認められない、と判示しているのである。
(3) 当該行為の持つ客観的宗教性の重視
目的効果基準を具体的事案に当てはめる場合に、これまでの政教分離原則に関する諸判決の多くでは、当該行為の持つ客観的な意味(当該行為が宗教的意味を持つか、あるいは慣習化した社会的儀礼か、宗教とのかかわり合いが間接的か直接的か等)が重要な判断要素であった。そして、当該行為の持つ客観的意味さえ確定されれば、目的効果基準のその他の判断要素は、実質的にはそれほど機能していなかったといえる。
愛媛玉串料事件判決の場合も、当該行為の態様、つまり玉串料、献灯料を靖国神社に奉納する行為を「慣習化した社会的儀礼」と見るか否かが、キーポイントとなっているといえるが、当該行為の客観的意味に加え、行為の目的効果の基準も客観化、厳格化し、その有用化を図っている点にも一つの特徴がある。
(4) 公言された世俗的目的に対し客観的宗教性を重視した目的審査(目的の認定方法の客観化)
宗教とかかわり合いを持った行為を行う政府や行為者が自らこれを「宗教的理由に基づいて行った」と公言することは絶無であるから、その目的の審査を行う際には、単に政府の「公言された」世俗目的だけではなく、その背後にある実際の「顕著な」目的に深い洞察を加えなくてはならない。
換言すれば、目的の主観的契機と客観的契機とを不可分のものと把握して、主観的意図(当事者の一方的主張)への言及は形式的に済ませ、当該行為のもつ客観的な意味から目的を推認し、それを主たる理由として目的の宗教的意義(顕著な目的)を認定すべきである。
愛媛玉串料事件判決は、被上告人の主張した「本件支出は、遺族援護行政の一環として戦没者の慰霊及び遺族の慰謝という世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎない」という、被上告人の主観的な意図に重点を置いた目的判断の方法を退けている。そして、同判決は、戦前の国家神道の歴史認識や代替手段の存在等を理由として、「たとえそれが戦没者の慰霊及びその遺族の慰謝を直接の目的としてされたものであったとしても、世俗的目的で行われた社会的儀礼にすぎない」とはいえないとして、被上告人らの玉串料の奉納行為の持つ客観的な宗教性を重視する判断を行っており、当該行為に社会儀礼的意味合いが含まれていても宗教的意義があれば違憲とする立場を明確にした。すなわち、社会的儀礼は宗教的意義とは別の次元の概念であり、目的効果基準の適用は、結局、宗教的意義の評価の問題に帰着するのである。この点は、当該行為に当たり公言された世俗的目的(愛媛玉串料事件判決においては「戦没者の慰霊及び遺族の慰謝」がこれに当たる。)に対し客観的宗教性を重視して行為の目的における宗教的意義を検討する、という愛媛玉串料事件判決の判断方法に関連している。
また、「神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされている」という同判決の視点は重要であり、さらに、代替手段の存在を政教分離原則違反の有無の判断の一要素としたことは、違憲審査基準をより精密化するものとして注目される。
なお、国家が特定の宗教に対して特に公費の支出等を行った場合には、一般人において、その目的は、特定の宗教、宗教的伝統、宗教的信条を優遇することにあり、右支出は「国家の宗教的中立性」に違反する可能性があると「疑う」のが自然である。したがって、右支出等については、違憲性の推定が働き、国家の側で、当該行為が宗教的な目的よりもより密接に世俗的な目的に適合することを立証しない場合には、宗教的目的の存在が認められることになるというべきである。
(5) 特定の宗教への支援、関心の点からの効果審査(効果判断の客観化)
判例の示す「宗教に対する援助、助長、促進の効果」や「宗教的関心を高める」といった効果については、当該行為によって喚起される「特定宗教」への関心の程度が考慮されなければならず、また、その効果は、現実的な効果だけではなく、「可能性のある危険」でよいというべきである。
愛媛玉串料事件判決は、効果基準について、「一般人に対して、県が当該特定の宗教的団体を特別に支援し、それらの宗教的団体が他の宗教的団体と異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こす」ことを判断のポイントとして重視しており、津地鎮祭事件判決が、宗教意識の雑居性や神社神道が積極的な布教、伝道を行わないことを理由に、神道への援助、助長、促進の効果を生むためには「参列者や一般人の宗教的関心を特に高める」ことを要求して効果基準適用のハードルを意識的に高くしている点と質的に異なると考えられる。
また、愛媛玉串料事件判決は、効果基準に基づく判断の前提として、県が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がないことを挙げて、「県が特定の宗教団体との間で意識的に特別のかかわり合いをもったことを否定することができない」としているが、右の点は、同判決が、政治と宗教との厳格な分離の考えに立ちつつ、目的効果基準の適用の厳格化を図ったものと評価しうる。
(三) 象徴天皇制と政教分離原則
被告鈴木の本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式への参列(本件参列)等の憲法判断について、憲法が象徴天皇制を採用していることが、その政教分離原則との関係での合憲性を基礎付けるかのような議論がある。結局は同じ内容であるが、参列行為を社会的儀礼として合憲とする根拠として象徴天皇制を持ち出すといった議論も存在する。象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表する目的で参列したのであり、その目的において宗教的意義は全くないなどとする被告らの主張もその一つである。
しかし、これらの議論が、象徴天皇制の規範内容と政教分離原則の意義からみて、到底成り立ち得ないことは明らかである。
(1) 愛媛玉串料事件判決と象徴天皇制―国家神道体制に対する評価
愛媛玉串料事件判決は、単に総論として国家神道の歴史的経緯が政教分離規定の立法事実となっている旨を述べるにとどまらず、そのことを目的効果基準を厳格に適用する理由付けとし、また、国家神道復活杞憂論について否定的な立場をとるなど、津地鎮祭事件判決に比べ、歴史認識と国家神道に対する認識を大きく深化させ、政教分離原則を厳格に解釈している。
現行の象徴天皇制は、政教分離の原理の下に存立し、政教分離原則によって規定されているという意味で政教分離原則と不可分一体の関係にあり、また、政教分離規定の立法事実である国家神道の歴史的経緯等は、そのまま天皇から一切の政治的権能、宗教的権威を除去することを目的として制定された象徴天皇制の立法事実にもなっていることからすれば、愛媛玉串料事件判決の示した右のような考え方は、判例が、象徴天皇制について、天皇の権能、権威を強化する解釈をとることに否定的な方向にあることを示唆するものということができる。
(2) 象徴天皇制の規範内容
憲法が定める象徴天皇制の規範内容としては、以下の点が重要である。
ア 戦前の絶対的神権的天皇制及びこれと不可分一体の関係にあった国家神道体制に対する真摯な反省に基づいて制定された憲法の象徴天皇制における天皇の地位は、戦前とは完全に断絶したものであり、「天皇」とは憲法によって創設された特別国家公務員の地位を指す名称である。
イ 憲法における象徴天皇制は国民主権原理の上に立った制度であり、天皇は、国民主権原理に矛盾しない範囲でのみその存在を認められているにすぎない。
ウ 象徴天皇制を創設した経緯にかんがみるならば、天皇が行う行為には、いかなる意味においても宗教的、とりわけ神道的色彩があってはならない。
エ 「象徴」という文言は、法的には無意味な規定であり、ここから天皇の具体的権限を導き出すことは一切認められないし、象徴の意味を戦前の天皇制との連続性の上に立って解釈することは許されない。
オ 天皇の行為としては国事行為以外のものが認められるべきではない。このような解釈を基本とするならば、仮に一歩譲って天皇の公的行為を認めるいわゆる三行為説に立つとしても、右の公的行為の範囲は、国事行為と密接不可分な行為に限定されなくてはならず、また、公的行為を含め天皇の行為のすべては、内閣のコントロールと責任の下に置かれなくてはならず、したがって、天皇の行為はその行為内容に関して内閣が立ち入ることができるものでなくてはならない。
(3) 象徴天皇制と政教分離原則
前記(2)記載の象徴天皇制の規範内容及び前記(1)記載の愛媛玉串料事件判決の基本的な考え方に沿うならば、象徴天皇制を政教分離原則緩和の理由にする議論(前者)や宗教的儀式への参列を社会的儀礼として肯定する根拠にする議論(後者)が成り立たないことは明らかである。以下具体的に述べる。
ア 象徴天皇制と参列目的の宗教性
被告鈴木の本件参列について、天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表するためのものであって、その目的において宗教的意義はないという被告らの主張は、前者の議論の典型である。
しかし、世俗的目的が存在するという理由で宗教的目的が阻却されるものではなく、宗教的目的の有無についてはそれ自体として判断する必要があり(これは愛媛玉串料事件判決が判示したところである。)、そのことは、その世俗的目的が天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表する目的であったとしても何ら変わるところはないのである。
一応検討すべきは、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表するという目的が他の世俗的目的と異なるところがあるかという点である。
しかし、前記(2)で述べたように、天皇が象徴であるということには何ら法的意味はなく、そこから一定の義務が国民に対して課せられるなどの何らかの法的効果が発生するものではないこと、象徴天皇制と政教分離規定とは、国家神道体制への反省という同一の立法事実に基づいて制定されたものであり、象徴天皇制を根拠に政教分離原則を緩和する方向での解釈は絶対に許されないことなどにかんがみれば、天皇の皇位継承儀式を特別視する解釈が成り立たないことは、あまりにも明白であろう。
イ 象徴天皇制と社会的儀礼
後者についていえば、被告鈴木が天皇の皇位継承に祝意を表する目的で本件諸儀式に参列したものとしても、そのことが社会的儀礼として合憲化されないこともまた明らかである。
社会的儀礼の側面を持つことは右参列の目的の宗教性を阻却しないというべきであり、前記(2)記載の象徴天皇制の規範内容及び前記(1)記載の愛媛玉串料事件判決の基本的考え方に沿うならば、右参列の目的の宗教性が認められるにもかかわらず、その目的が天皇の皇位継承に祝意を表するためであるということのみを理由として、その宗教性が阻却されるということはあり得ないのである。
2 本件諸儀式の内容とその意義
(一) 本件諸儀式の内容は、別紙三記載のとおりである。そのうち、「13 即位礼正殿の儀」、「14 祝賀御列(おんれつ)の儀」、「15 饗宴の儀」については国事行為とされ、それ以外の儀式は皇室行事とされた。そして、国事行為に要する費用のみならず、「賢所(かしこどころ)に期日奉告の儀」を始めとする皇室行事に要する費用のすべてが宮廷費から支出された。
本件諸儀式のうち被告鈴木が参列した諸儀式の内容は、別紙六記載のとおりである。
そして、本件諸儀式は、別紙七記載のとおり、ほとんど完全に戦前の登極令(明治四二年皇室令第一号)及び同附式に従って行われた。
(二) 本件諸儀式の意義
(1) 本件諸儀式は、その全体が、天照大神を祀る賢所を始めとする宮中三殿への「期日奉告の儀」に始まり「賢所御神楽の儀」を含む宮中三殿への拝礼で終わる、一連の神事としての意義を有している。すなわち、右一連の諸儀式は儀式の意味内容上、即位の礼、大嘗祭及びそれらが終わったことを祝う大饗並びにこれらの中心的儀式をはさむ神事である大礼序儀と大礼後儀の五つに大きく分けることができるところ、その各儀式が持つ意味は次のとおりである。
ア 大礼序儀
これは、前記の宮中三殿への「期日奉告の儀」、伊勢神宮並びに神話上初代天皇とされる神武天皇の陵墓及び直近の四代の天皇の陵墓に勅使を派遣し奉幣を行う儀式、大嘗祭に使う米を栽培する田である悠紀(ゆき)田・主基(すき)田を亀卜(きぼく)によって決定する「斎田点定の儀」とそこから収穫する儀式である「斎田抜穂(ぬきほ)の儀」からなり、いずれも純然たる神事である。
イ 即位の礼
即位の礼当日は、宮中三殿にまず奉告してから「即位礼正殿の儀」が行われるが、賢所、すなわち皇祖天照大神への奉告は、天皇が群臣を率いて即位を奉告する「即位礼当日賢所大前の儀」としてとりわけ重視される。その後に行われる「即位礼正殿の儀」(登極令の「即位礼当日紫宸殿の儀」に当たる。)は、外国の使節、群臣を前に天皇が剣璽を安置してある「高御座」(たかみくら)に登壇し、勅語を読み上げて即位を内外に宣言し、これに対し総理大臣が全国民を代表して「寿詞」(よごと)を読み上げ、万歳三唱を行う儀式である。
ウ 大嘗祭
大嘗祭においてもまた、宮中三殿を始めとした神々への奉告や奉幣が行われるが、中心は「悠紀殿供饌の儀」と「主基殿供饌の儀」からなる「大嘗宮の儀」である。これは、儀式前に建造された大嘗宮内の悠紀殿と主基殿において、全く同じ儀式がただ時間をずらして行われるものであり、夕方から深夜にかけてまず「悠紀殿供饌の儀」(夕御饌の儀)が、次いで明け方から未明にかけて「主基殿供饌の儀」(朝御饌の儀)が行われる。儀式の内容は秘儀であるとされるが、一般には天皇が天照大神とともにその年にとれた米を始めとする一一種類の食べ物を共に食べることによって、神の霊力を身に付ける(神になる)儀式であるとされる。
エ 大饗
これは即位の礼・大嘗祭が無事終わったことを祝う祝宴であるが、いわば神事の後の直会(なおらい)に当たるものである。ここに招かれた者は天皇の恩恵に預かった者であり、大饗は、彼らが天皇への忠誠を誓う場となる。
オ 大礼後儀
これは、即位の礼・大嘗祭が無事に終わり即位したことを天皇が伊勢神宮や山陵に自ら奉告し拝礼する儀式と、宮中三殿に全儀式の無事終了を奉告し拝礼する儀式である。天皇が大嘗祭で神格を獲得したことを受けて、儀式名は、それまでの「奉告の儀」という名称から「親謁の儀」という名称に変わる。
(2) これらの諸儀式は、全体として、近代天皇制国家における天皇の権威と地位の源泉を目に見える形で示す天皇制正統神話のヴィジュアル化という意味を持っており、登極令の下で行われた大正、昭和の即位の礼・大嘗祭と儀式内容がほとんど同一であって、皇祖天照大神に淵源する神権的統治権の承継と神器の授受という儀式の核心は何らの変更も受けていない。このように、本件諸儀式は、明治憲法の下における絶対的神権的統治者としての天皇の地位を神話的に正当化する儀式にほかならず、こうした戦前の天皇の地位を否定しかつ国家神道の反省の上に国民主権原理と政教分離原則を確立した憲法の象徴天皇制とはおよそ相容れない儀式なのである。
(三) 即位の礼、大嘗祭の歴史的沿革
本件諸儀式を行うことにつき、政府は「憲法の趣旨に沿い、かつ皇室の伝統等を尊重したものとする」という見解を発表したが、右に述べたように本件諸儀式が憲法の趣旨に全く反していることは明らかである。また、以下に述べるように、本件諸儀式は明治以後の近代天皇制国家にふさわしい儀式としてそれ以前の即位儀式を改変し又は新たに創造されたものであり、「皇室の伝統」として根拠付けることはできないものである。
(1) 明治以前の即位儀式
そもそも即位儀式とは、新たに就任した王がその権威の正当性と権力の源泉を目に見える形で示す儀式であり、宗教的・文化的な伝統儀式の装いを持つものの、その本質は政治的儀式である。それゆえ、即位儀式は王の権力の強弱やその時代の支配的な宗教・文化状況等の要因によって変化を受けざるを得ないのである。
天皇の即位儀式は古代においては神器を承継して高御座に昇り、即位の宣言を発して臣下の寿詞・拝賀を受けることを主な内容とするものであったが、七世紀の持統天皇のころから収穫儀礼を主な内容とする大嘗祭が加わった。さらに八世紀から九世紀初頭の桓武・平城天皇以降、即位礼が践祚と即位の礼の二段階に分かれ、以後践祚、即位の礼、大嘗祭という三つの天皇就任儀礼が行われるようになった。
その後、中世には仏教(密教)による天皇の地位の基礎付けが図られ、即位礼において天皇が高御座で印を結んで真言を唱え大日如来と一体化する「即位灌頂」の儀式が行われるようになり、一〇六八年の後三条天皇以後、幕末の孝明天皇まで同儀式が行われた。
また、大嘗祭については、中世における天皇権力の衰退を反映して一四六六年の後土御門天皇の挙行以降中断し、一六八七年の東山天皇の時の一時復活まで実に九代二二一年間にわたり挙行されなかった。近世における大嘗祭の復興には五代将軍徳川綱吉や八代将軍徳川吉宗の意向が強く働いているが、これは平和時における将軍の権威を高めるために天皇の権威を利用しようとしたものである。しかし、大嘗祭当日に天皇が賀茂河原で行っていた荘重盛大な儀式である禊行幸は、天皇の権威の浸透をおそれる幕府がこれを不許可としたため復興されなかった。
このように中世から近世にかけて即位の礼・大嘗祭の諸儀式は変容を受けてきたのであり、とりわけ即位の礼における即位潅頂の実施は即位儀式が純粋な神道形式でなく神仏習合的な形で行われてきたことを示しており、また、大嘗祭の長期間の不挙行は、大嘗祭が即位儀式にとって必要不可欠なものではなかったことを示している。
(2) 明治維新期における即位儀式の変容
明治天皇の即位儀式においては、天皇権力の回復(王政復古)と、仏教に変わる神道思想(国学)の興隆、さらには開国と近代国家への移行という時代の中で、①天皇制正統神話(天孫降臨神話)を強く反映し、即位潅頂の廃止、中国式礼服の日本式への変更など、それまでの仏教色、中国風を排して神道儀礼として行われ、②国際化と対外的威信発揚の性格が強められ、即位礼において地球儀が置かれ、大嘗祭後外国公使を招き洋風の音楽を奏する祝宴が開かれ、③近代国民国家における国民統合の萌芽として、大嘗祭に当たり太政官が全国諸神社への告諭を出したり、「庭積机代物(にわづみのつくえしろもの)」として一般国民からの献納を受けたりすることが行われるなど、従前の儀式と比べ、大きな変化が見られた。これらは、即位儀式が単なる伝統儀式でなく、その時代の天皇の権力の強弱や政治的・文化的理念の影響を受けて変容するものであることを示している。
(3) 登極令の制定過程とその意義
近代天皇制の即位儀礼に関する法制の整備は、その大綱を定めた明治二二年裁定の皇室典範(以下「旧皇室典範」という。)の成立を第一段階とし、登極令の成立をもって第二段階とすることができる。
旧皇室典範は、明治七年(一八七四年)の「民選議院設立建白書」の提出に始まる国会開設、自由民権運動の流れの中で政府が憲法の制定と並んでその制定作業を進めたものであり、明治一四年(一八八一年)七月の岩倉具視「大綱領」以後、憲法と皇室典範は分けて定められることとされ、皇室に関する事項には議会や内閣の容かいを許さない方針がとられた。その後明治一六年(一八八三年)には、京都・畿内の「旧慣」保存策の一環として即位の礼・大嘗祭の京都での執行が決定された。この間、憲法調査のため渡欧中の伊藤博文(以下「伊藤」という。)らがロシア皇帝戴冠式に出席し、王の就任儀礼の実際とそれが国民統合に果たす役割を学んだ。帰国後、伊藤は明治憲法と旧皇室典範の制定の中心となり、両者は、明治二二年(一八八九年)二月一一日にともに公布された。旧皇室典範の中で、即位に関する規定は第二章の一〇条から一二条までの三条であり、践祚、即位の礼、大嘗祭の三つの儀式を行うこと及び即位の礼・大嘗祭は京都で行うこと等の大綱が規定された。
その後、登極令制定の動きが本格化するのは日清戦争後の明治三二年(一八九九年)八月に伊藤を総裁とする帝室制度調査局が設置されてからであるが、当初の段階では践祚及び即位礼に関する「登極令」と大嘗祭に関する「大祀令」が別個に成案化されており、純然たる神道儀式である大嘗祭は、国家的な即位儀式ではなく、皇室の儀式とする位置付けがされていたと考えられる。しかし、日露戦争後の明治三九年(一九〇六年)ころから、「大祀令」は登極令に一本化され、同附式とともに帝室制度調査局において議了となり、その後枢密院での審議を経て明治西二年(一九〇九年)二月一一日に公布された。
登極令制定への動きが本格化した背景には、明治三一年(一八九八年)の憲政党の結成や最初の政党内閣である隈板内閣の成立にみられる、日清戦争後の政党勢力の伸張に対する天皇政府の危機感が存在しており、また、大嘗祭が国家的儀礼として登極令に取り込まれた背景には、日露戦争後の政党勢力のますますの伸長や都市大衆の政治勢力としての登場といった大正デモクラシー運動につながる新しい事態を天皇の神権的権威の強化によって乗り切ろうという意図があったことが指摘できるのであり、これは国家神道体制の確立と軌を一にしたものである。
以上のとおり、旧皇室典範の成立を経て登極令の制定に至る近代天皇制の即位儀式の制定過程は、終始政党勢力の伸張やデモクラシーの要求の高まりに対抗して天皇の絶対的神権的君主としての地位を強化する方向で行われてきたのであり、また、「皇室の伝統」を尊重するよりもむしろ近代国民国家における国民統合に儀式の果たす役割を重視し、西欧の王室の戴冠式をも参考にしつつ、伝統を改変し又は新たに創造して制定されたのである。
(4) 大正・昭和の天皇即位の儀式
大正及び昭和の即位の礼・大嘗祭は、こうして制定された登極令に基づき、天皇の絶対的神権的統治権者としての権威を国民に徹底する一大イベントとして、莫大な予算を投じ全国家的規模で挙行された。この代替わり儀式は、国民統合(すなわち天皇国家体制への国民世論の動員)という点において日清戦争や日露戦争に匹敵する役割を果たした。
3 我が国の歴史における本件即位の礼・大嘗祭の意味
(一) 近代神社と皇室祭祀の同一性
神社神道は、古代の地縁集団・血縁集団等の集団的表徴により自然発生的に成立した宗教であって、成立以来、アニミズム的要素やシャーマニズム的要素をも引きずりながら、民族の統合とともにある程度の共通性を持つに至った民族宗教であり、神話と儀礼によってその信仰の保持・伝達が図られてきた。ところが六世紀に仏教が伝来すると、聖徳太子、天智・天武天皇らによって、仏教は治国の要道として重んじられ、日本の在来宗教であった神道と習合して、以来、江戸時代末期に至るまで神仏習合として全国の社寺に及ぶこととなった。日本民衆の信仰としては、純粋神道も純粋仏教も存在せず、神仏習合が日本人の宗教であったのであり、歴代天皇においても仏教に帰依した天皇が多く存在している。皇室の宮中行事においても仏教行事が重要な役割を果たしており、天皇の就任儀礼にも仁王会、即位灌頂という仏教行事が挙行されていた。
これに対し、明治維新によって倒幕を果たした明治政府は、西欧列強諸国に対抗するため、中央集権的な近代国家の建設を急いだが、その前提として、国民に国家に対する忠誠心を植えつけ、その精神的統合を早急に実現する必要があった。その国民統合の求心力として利用されたのが、天皇の存在であり、その宗教的権威であった。天皇の宗教的権威を利用して国民統合を実現するために、既存の神社神道を基盤としつつ、儒仏以前の純粋神道のあり方を求める復古神道の思想に導かれて、新しく明治政府によって創りだされた宗教が近代の神社神道である。そして、皇室の神道化として、明治元年(一八六八年)に即位潅頂が廃止されたのを始めとして、幕末まで皇室の宮中行事として行われていた仏教行事(大元帥法、後七日御修法等)がことごとく廃止され、その一方で神道による皇室行事が急速に拡充された。さらに、明治四年(一八七一年)には宮中三殿すなわち賢所、皇霊殿、神殿という神道式の施設が皇居内に設けられ、皇室の年中行事が神道儀式に置き換えられていった。このようにして整備・新定された神道式の皇室儀式が皇室祭祀といわれるものである。
右のように、近代の神社神道も皇室祭祀も、明治維新期の国学者の手によって、復古神道という同一の神道理念に基づいて形成されたものであり、宗教的には同じ内容を持っており、国家神道の信仰内容もこの近代神社神道と同一の神道理念に基づくものである。
(二)国家神道の歴史
(1) 国家神道とは何かについて
国家神道とは、近代日本において、天皇及び日本国の権威とそれへの忠誠心を国民の中に浸透させるために国家の祭祀あるいは国民道徳として、政府の法令により非宗教とされ、またそのために少なからぬ改変を受けた神社神道をいう。この定義からも明らかなとおり、国家神道は、近代以前に存在した自然宗教としての神社神道と同じものではなく、明治以後の政府によって、天皇や国家への崇拝へと作り替えられたものである。
その教義の中心は、三大神勅、とりわけ天壌無窮の神勅にある。それは、①日本は天照大神の子孫である天皇が支配する国である、すなわち日本の統治権を天皇(家)が独占し、他の者が統治者となることを排除すること、②天皇の地位あるいはその統治する日本の国が永遠に滅びることなく発展する、すなわちその永遠不滅であること、の二つの意味を含むものである。これによって、天皇はその統治の正統性を基礎付けた。この神権的天皇に対する崇拝によって国民統合を図るという一貫した目的をもって、国家神道は我が国の政策を指導する原理となったのである。
右に述べた意味での国家神道を理解する場合、政治的側面と宗教的側面とが同時に存在することを押さえることが重要である。すなわち、国家神道は、政治的には、日本の国家および統治者である天皇の存在を説明する論理であり、その点で政治イデオロギーである。しかし、この政治イデオロギーは、同時に、天孫降臨神話を前提とした神としての天皇の崇拝、そして神の国としての国家の崇拝という宗教性を有している。この二面性を把握するとき、国家神道の政治宗教ともいうべき特質が明らかとなる。
(2) 国家神道の成立
ア 神道国教化政策
明治維新直後から明治八年(一八七五年)ころにかけ、神権的な天皇像を国民に浸透させるために、神道を唯一の正しい宗教として国教的な地位に置く神道国教化政策がとられた。これは、幕府に代わる新たな中央集権国家の建設のため、その理念として復古神道による「王政復古」、「神武創業の昔に還る」を必要としていたことが背景にあった。神道国教化政策は、一方では、仏教と習合し、民衆の現世利益あるいは部落レベルの共同体の立ち行きを祈願するものであった伝統的な神社信仰の内容を、創建神社の建立等により神としての天皇および神の国としての国家崇拝へと改変していき、他方では、神道以外の宗教を厳しく抑圧した。また、仏教においては、僧侶が教導職に任命され、三条の教則(敬神愛国の旨を体すべき事、天理人道を明らかにすべき事及び皇上を奉戴し朝旨を遵守すべき事)を国民に広めさせるなど、神道国教化の積極的役割を担わされた。この神道国教化政策は、それまで天皇の存在すら知らなかった国民に、国の支配者として天皇が存在し、それが天照大神以来の神の血統を嗣ぐ神聖な存在であることを知らしめるという一定の成果を上げた。
イ 「神道は宗教に非ず」の論理の成立
しかし、強引な神道国教化政策は、国内宗教界からの抵抗や、条約改正交渉において信教の自由の承認を求める欧米諸国の圧力などのため崩壊せざるを得なかった。政府は、明治八年(一八七五年)「信教の自由の口達」を出し、「天皇政府の政策に翼賛する限り」という限定付きながらも、神社神道以外の宗教に対する信教の自由を認めることとなった。官制上も、神道国教化政策を主導した教部省が廃止され、内務省社寺局となった。
ところが、このような信教の自由を認める流れの中で、神道自身も仏教やキリスト教と同じような一つの宗教であるとする動きが起こり、明治一〇年(一八七七年)、神道界の神の体系化にかかわる祭神論争へと発展した。祭神論争は天皇の権威を相対化させる主張を含むものであり、天皇や皇祖神を重視する政府にとって見過ごせない問題であった。政府は、祭神論争を自ら収束させるため、明治天皇自ら神道大会議を開催して論争の決着を図った。すなわち、神の位置付けを第一に天照大神、第二に皇祖・皇宗、第三に天神地祇(てんしんちぎ)とし、それまでの神道にはなかった神々の位置付けを自ら創出し、神道理論を天皇中心主義に抜本的に改変したのであった。
この神道理論の改変の後、政府は、明治一五年(一八八二年)には「自今神官は、教導職の兼補を廃し、葬儀に関係せざるものとす」という神官教導職の分離令を出して神官を宗教者ではないものとして扱うなどし、他方、神社神道以外の宗教に対しては、教導職を廃止して管長制度をとった。政府による直接的把握を放棄して、管長を通じて教団を間接的に管轄していくという宗教政策をとることとなったのである。
この時期は、自由民権運動が大きく高揚し、政府が天皇制国家を維持するためのイデオロギーを模索していた時に当たる。しかし、一方、悲願である条約改正を実現するため、帝国憲法を制定し、かつ信教の自由を認めることもまた必要であった。明治政府は、神道大会議により神々を天皇に従属させることとして天皇制を支えるイデオロギーを獲得し、かつそれについて非宗教であるという論理をとることによって信教の自由と両立させるという国家神道の論理を得たのである。
ウ 国家神道の確立
その後、日清・日露戦争を経て、国家神道の確立をみる。その原動力としては、まず第一に二度の対外戦争を戦うために、従来にない国民の動員を必要とし、その装置として国家神道が極めて有効であったことが挙げられる。また、資本主義の発達に伴い都市が誕生し、そこから自由主義思想等の新しい思想が生まれて大正デモクラシーが起こり、政治的にも藩閥政治に代わり政党政治が登場する中で、これに対抗する手段として天皇の位置付けを確立せざるを得なかったという事情も存在していた。
神道を非宗教とする論理を獲得した政府は、官制上も神道を国家の宗旨へと貫徹していった。財政的にはそれまでの保存金制度を廃し、府県郷村社に至るまで共進金制度によって公のものとし、内務省社寺局を、神社を管轄する神社局と他の宗教を管轄する宗教局とに分離するなどした。そして、他の宗教に対しては、教派神道、仏教、キリスト教を公認宗教とし、行政による監督・保護の対象とした。公認宗教の側もこれに応え、明治四五年(一九一二年)には、三教会同の決議によって政府の政策への協力を宣言している。
ここにおいて、国家神道は確立をみるに至ったのである。
エ ファシズム期の国家神道
前述のとおり、国家神道は、神道を国家の祭祀として位置付けることによって絶対的神権的な天皇の権威を根拠付け、一方、限定付きながら信教の自由を保障するという微妙なバランスをとっているところに、その特質があった。
ところが、昭和六年(一九三一年)の満州事変以降のファシズム期において、国家神道は国家の祭祀であるとする建前を乗り越え、公認宗教である仏教やキリスト教についても、教義の中身にまで介入を行うようになった。満州事変から太平洋戦争に至る戦時体制を維持するためには、政府は、文字どおり国民を私生活を含め根こそぎ動員する必要に迫られたからであった。
この動員を行うに当たっての核心が、天孫降臨神話に基づく絶対的神権的天皇の権威であった。天孫降臨神話に基づく天皇の権威を強化するため、政府は神社参拝を強制し、公認宗教に対してさえその教義と神・天皇との関係を問い詰めていった。また、治安維持法違反や不敬罪として、大本教の第二次弾圧など多くの教団に対し厳しい弾圧が加えられた。昭和一四年(一九三九年)には宗教団体法が成立して戦時体制を支えるための宗教の動員が実行された。翌年には、神祇院が設置され、再び国家による敬神思想の普及が行われた。
このように、ファシズム期には本来国家神道の持っていた信教の自由との微妙なバランスが大きく崩れ、すべての宗教、国民を巻き込む形で国家全体が戦時体制に突き進んでいったのである。
(3) 神社本庁による国家神道の信仰継承
日本政府は昭和二〇年(一九四五年)八月一五日、ポツダム宣言を受諾して無条件降伏した。同年一二月一五日には神道指令が発布され、国家神道体制は解体された。すなわち、神社に対する国家の関与は禁止され、皇室祭祀令、登極令、神社祭式、社格制度等が廃止されて、神社も一宗教として存続することとなった。しかし、昭和二一年(一九四六年)二月三日に神社本庁が設立されると同時に、全国の神社のほとんどは、この神社本庁の下に結集した。
この神社本庁の憲章の前文は、「神祇を崇め、祭祀を重んずるわが民族の伝統は高天原に事始まり、国史を貫いて不易である。夙く大宝の令、延喜の式に皇朝の風儀は明らかであるが、明治の制もまた神社を国家の祭祀と定めて、大道はいよいよ弘された。…ここに神社関係者の総意によって、全国神社を結集する神社本庁が設立され、神宮を本宗と仰ぎ、伝統の護持に努めることとなった。」と述べて、明治以降の伝統を継承することを宣言するとともに、「祭祀の振興と道義の昻揚を図り、以て大御代の彌栄を祈念し」(一条)、「神宮を本宗と仰ぎ、奉賛の誠を捧げる」(二条一項)、「神宮及び神社を包括して、その興隆と神徳の宣揚に努める」(同条二項)、「敬神尊皇の共学を興し」(三条)、「神社は…皇運の隆昌と氏子崇敬者の繁栄を祈念することを本義」(八条)とするなど、天皇崇拝の信仰、天皇の聖なる権威の下で統合される国体の信仰という国家神道の信仰内容はそっくりそのまま神社本庁に受け継がれているのである(以下、原告らの主張するこの信仰内容を「神社神道」という。)。
右のように、国家神道体制が制度上解体されたにもかかわらず、その信仰面においては、天皇を現御神として神聖な存在だとする信仰及び日本という国はその神聖な天皇の下で統治されるべき国であるという国体の信仰は、現在の神社本庁に継承されているのである。
(三) 神社神道と皇室祭祀
国家神道の中心的規範でもあった皇室祭祀は、戦後、皇室の私事とされたが、伊勢神宮を最高の祭祀施設とし、天照大神を万世一系の天皇の祖先神とし、天皇が祭司となって国家万民の平安を祈願する祭祀を行っている点では従前と変わりがなく、その宗教行事及び信仰内容からして、神社本庁と別の宗教とすることはできない。すなわち、神社本庁の信仰上、皇室祭祀は皇位という国家の地位に伴う祭祀であり、これを行う天皇は国家最高の祭司であって、宗教的には、皇室祭祀は神社本庁の信仰内容の上位部分を形成しているものである。
(四) 戦後天皇制の歴史
(1) 国家と神社神道との結合を排除した国民主権の憲法
天皇制は、敗戦とポツダム宣言の受諾によって大きく変容した。天皇は、現行憲法の下では象徴とされ、その行為も憲法が定める国事行為に限定された。神社神道も天皇の個人的宗教の範囲に限定され、国家との関係は一切切断された。憲法の政教分離規定は、単に宗教一般と国家との分離を意味するのではなく、神社神道と国家との厳格な分離を特に意図したものであった。その趣旨は、皇室典範にも盛り込まれ、旧皇室典範に存した「大嘗祭」は削除された。
ア 政教分離原則の制定経過
連合国の指導者たちは、国家神道の教義は世界平和に敵意あるものであり、日本の超国家主義、軍国主義も国家神道のカルトに根付いていると理解し、信教の自由の確立と神社神道の国家からの完全な分離を日本の民主化の重要な第一歩として占領政策を進めた。
昭和二〇年(一九四五年)一〇月に連合国最高司令官総司令部から政府にあてて発せられたいわゆる自由の指令(「政治的民事的及宗教的自由ニ対スル制限ノ撤廃ニ関スル件」)では、信教の自由の制限の撤廃、すなわち「宗教団体法」や「治安維持法」を廃止することが指令された。また、同年一二月に同司令部から政府あてに発せられたいわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)は、神社神道が軍国主義的、超国家主義的イデオロギーを宣布するための機関として使われる危険性をはらむことから、「神道の国家からの分離と教育体制からの除去を達成する」ために、神社神道に関連するあらゆる慣例、儀式、神話、伝説、その他一切の国家からの厳しい分離を命じた。昭和二二年(一九四七年)一一月公布の憲法の二〇条、八九条は、神道指令の内容が占領終了後すぐに改正されて消えることを防ぐため、神道指令の趣旨をくんで明文化されたものであった。
こうした経過からみれば、憲法の政教分離規定は、単に宗教一般と国家との分離を意味するのではなく、その最大の眼目が、神社神道と国家との厳格な分離を特に意図したものであったことは明らかである。
イ 旧皇室典範の改正
占領軍は、旧皇室典範から国民主権原理、政教分離原則に反する部分を削除する改正を日本政府に求め、日本側の臨時法制調査会第一部会の委員も「即位の礼等の公の儀式から宗教的(神秘的)色彩を取り除くやう注意するを要する」と記し、大嘗祭は削除することが表明された。
憲法特別担当国務大臣金森徳次郎は、衆議院本会議で、「改正憲法におきましては、宗教上の意義を持った事柄は、国の当然の儀式とはいたさないことになっております。したがって…賢所の御祭りのごときは、宗教的意味をかなり含んでおりますものと存じまするが故に、之を皇室典範の中に取り入れることは困難であるわけであります。…大嘗祭は同じような理由によりまして、皇室典範の中に取り入れることも出来ません」と答弁し、さらに委員会審議では、これら宗教儀式は天皇の「私生活」であり、皇室経費のうち「内廷費」で、すなわち「国としては関係ない」領域で行われることを繰り返し答弁したのである。
したがって、皇室典範が、宗教性のある「即位礼当日賢所大前の儀」や大嘗祭を公的行事として行うことを許さないものであることは、一点の疑いを入れる余地もないほど明確なことなのである。
ウ 国民主権下の象徴天皇制
敗戦当初、日本政府は、大日本帝国憲法の下の「国体」すなわち万世一系で統治権を総覧する天皇の体制を維持することに執着していた。しかし占領軍は、侵略戦争を起こさないためには、軍備を厳しく制限するだけではなく、統治体制を国民主権・民主主義に変更しなければならないと指摘し、ただ、占領終了後の大きな反動を防ぐために「象徴」として天皇を残すことを提案した。その際の地位は、「統治」を意味する「ガバーン(GOVERN)」はもちろん、「名誉的統治」を意味する「レイン(REIGN)」という用語さえ排斥し、「象徴」すなわち「シンボル」として非常に厳格に天皇から政治上の色彩を剥奪した。
したがって、右経過からみても、「象徴」という地位は、積極的な意味を含むものではなく、一切政治権力に関与しないという消極的意味しか有しないものであり、「象徴」であるということに基づいて何らかの天皇の権限が導き出される余地は全くないのである。
(2) 復古派と民主主義運動との綱引きによる動揺
現行憲法の下でも、為政者は、戦前神社神道と結び付いて軍国主義的イデオロギーの核となった天皇の権威を温存し、拡大することを図ってきた。しかし、この動きは、一九六〇年安保の国民的運動や一九八〇年代のアジア諸国からの批判など、その都度、我が国若しくはアジアの民主主義運動の力によって、辛うじて押さえられてきた。
(3) 戦後の天皇の神社神道における最高の祭司としての地位
戦後史における天皇制を概観した上であらためて強調されるべきなのは、天皇は、憲法上の地位が大きく変わっても、引き続き神社神道の最高の祭司であるという事実である。
すなわち、神社神道は、日本の統治は神に連なる歴代天皇によって行われてきたものであるとしており、天皇の統治の正統性を宗教的に裏付け、これに対する国民の信仰を獲得することが神社神道の布教の内容と目的である。神社神道の立場からすれば、戦後も天皇が行ってきた神道諸儀式は、天皇が神代の時代から受け継いできた祭司としての地位に基づくものであって、天皇の私事ではなく、皇室祭祀は神社本庁の信仰内容の上位部分を形成する儀式である。しかも、神道は儀礼により教化を図る儀礼中心の宗教である、から、天皇(特別国家公務員である憲法の「天皇」と呼称は同一であっても、その意味は全く異なる。)は神道の最も重要な要素である儀礼をつかさどる、正に神社神道全体の最高の祭司なのである。
神社神道の教義は、神である天皇による統治こそ日本の本来の姿であるとする。したがって、神社神道は、必然的に、天皇の行う神道儀式に公的性格を認め、公費を支出することを国や地方自治体に求め、また、儀式の意義を多くの国民に知らせて布教の効果を上げることを目指す。戦後も、神社神道が、執ように、天皇の元首化や靖國神社の国家護持、首相の靖国神社公式参拝、即位の礼・大嘗祭の宗教儀式・服属儀礼としての性格の維持とこれに対する公的性格の付与を求めて運動してきたのはそのためである。
(五) 神社神道などの圧力による本件諸儀式の宗教色の増大
神社神道は、その教義に基づく布教活動として、天皇の代替わりの儀式の宗教色と服属儀礼的性格を維持し、かつ、これに公的性格を付与するために、各方面への啓蒙や要望活動を活発に展開した。
すなわち、当初、政府は、右儀式について、なるべく宗教的な色彩を取り除き、国民の中から強い異論が出ないようにし、天皇を国家的な統合の中心として示すことを目指した。実際、リクルート事件や消費税導入による政治的不安定も影響して、代替わり儀式のうち最初の「朝見の儀」は、宗教色を一切抜いて行われた。
政府は、右儀式に先立って行われた昭和天皇の葬儀に当たる「大喪の礼」についても、当初は「宗教色を抜く方針」を打ち出していた。この方針に対して、自民党のいわゆるタカ派議員からなる「国家基本問題同志会」が古式に則るよう自民党や首相に対して申し入れ、神社関係者も藤波元官房長官を介して首相官邸や宮内庁の関係者と協議した。この時点で既に大嘗祭を視野に入れて「大喪の礼」の儀式をめぐる運動がなされていたのである。さらに「国家基本問題同志会」の知識人などが集会を開き首相に対し申し入れをし、論壇にも寄稿された。結局、政府は容易に方針を転換して「大喪の礼」を宗教色の濃い儀式とし、「葬場殿の儀」にも首相が出席し、「大喪の礼」と「葬場殿の儀」との儀式の一体化が徹底された。
神社神道と右派は、右のように政府の方針を変更させたことをある程度評価し、次の目標を大嘗祭の公的行事化に据えたのである。神社神道と右派は、「大喪の礼」の宗教化はまだ不十分だったとして、即位の礼・大嘗祭について、その宗教儀式・服属儀礼としての性格を守ったままこれを公的行事とするために「大嘗祭の伝統を守る国民委員会」を結成して署名運動に取り組んだ。
4 本件諸儀式の宗教性
(一) 儀礼(祭祀)による信仰の伝達
(1) 神社本庁憲章によれば、一条には「祭祀の振興と道義の昂揚を図り」と、八条には「神祀を奉斎し、祭祀を行い」と、また一一条には「神職は、ひたすら神明に奉仕し、祭祀を厳修し、常に神威の発揚に努め、氏子・崇敬者の教化育成に当たることを使命とする」とそれぞれ規定されている。このように、神社本庁の信仰内容あるいは宗教的な世界観というものは、祭祀を行うことの中に保持され、また、祭祀を行うということによって伝達されるものである。すなわち、神社神道とは、正に儀礼を中心とした宗教なのであり、神社における教化(信仰伝達・教化)は、祭祀に始まり祭祀に終わるとされるのである。
(2) ところで、宗教においては多種多様の象徴が駆使されているが、それは、内心に形成された信仰の世界というものが、哲学のような知的・理性的な世界認識ではなく、知・情・意・感覚までをも含む全人格的な世界認識のあり方であって、言語的・理性的な手段のみではこれを的確に表現できないからである。そうした言葉・論理で表せないものを表現する際に、様々な象徴を用いて、人がその象徴の体系に触れ、自らその世界を追体験することを通して信仰を獲得するということが、信仰の伝達にはどうしても必要となってくる。宗教儀礼は、このような宗教の情意的・感覚的・実感的側面を伝達し、信仰を形成せしめる上で欠くことのできない役割を担っているのである。祭祀儀礼に専念する神社神道が今日までその信仰を伝えてきているということは、祭祀儀礼に布教伝道の作用があることの何よりの証拠なのである。
(二) 即位の礼・大嘗祭関連諸儀式(本件諸儀式)の宗教性
以下に述べるとおり、本件諸儀式は全体として神道儀礼としての意味を持っており、しかも、一連の天皇就任儀礼の中心ともいうべき「即位礼正殿の儀」と「大嘗宮の儀」は、天孫降臨神話という皇室祭祀及び神社本庁における核心的教義を再現する神道儀礼であり、その宗教性は明らかである。
(1) 本件諸儀式の一体性とその宗教性
「賢所に期日奉告の儀」に始まり、「即位礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の儀」に終わった一連の儀式は、神霊の存在を前提として神楽や神饌、幣帛等を奉納し、祝詞を上げて神霊に奉告・守護を願う神道儀礼をもって行われた。
各儀式が執り行われた施設はすべて神道施設であり、用いられた道具は神道祭具である。すなわち、賢所は皇祖天照大神を祀る神道施設であり、皇霊殿は歴代天皇・皇族を、神殿は国中の神々を祀る神道施設、大嘗宮は臨時に設けられた神道施設である。
また、「即位礼正殿の儀」に用いられた高御座は、皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、皇祖天照大神から三種の神器を授けられて地上の統治をゆだねられたときに座った「天津高御座」を表すものであって、天孫降臨神話と密接に結び付いた神道祭具であるし、「即位礼正殿の儀」及び「大嘗宮の儀」に用いられた剣と璽も、「皇祖天照大神から手渡された天皇の地位の正当性のシンボルである」とする天孫降臨神話と密接に結び付いた神道祭具である。
さらに、各儀式の式次第は、登極令・同附式と時を同じくして制定され、かつ、神道指令によって同じく廃止された皇室祭祀令や神社祭式をほとんど踏襲して行われたものであって、神社神道の儀礼様式に従って執り行われた神道儀礼にほかならない。
このように、神道施設において、神道祭具を用い、かつ、神道の祭式に則って行われた本件諸儀式は、各儀式が一体となって天孫降臨神話に基づく神聖王の誕生物語を儀礼的に再現した神道儀礼にほかならず、その宗教性は明らかである。
(2) 「即位礼正殿の儀」の宗教性
右儀式は、天皇が高御座に昇り、皇族、外国使節、内閣総理大臣を始めとする三権の長、国務大臣、自治体代表等を前に、皇位継承を内外に宣明するお言葉を述べ、これに対し内閣総理大臣が寿詞を読み上げた後、高御座の下から皇位継承を祝して万歳を三唱し、参列者が唱和するという儀式である。
高御座は、正殿中央に置かれる天皇の玉座であり、その名称は、続日本紀の文武天皇の即位宣命にある「天津日嗣高御座の業」に由来する。右にいう「天津日嗣」とは天皇の資格のことであり、高御座に座ることによって天津日嗣すなわち天皇の地位に就くことになるのである。登極令附式によれば、その形態は、三層の黒塗りの継壇の上に八角形の屋形を立て、蓋上中央の頂きには翼を張った金色の大鳳凰、八角の角棟には小鳳凰、摶風の上南北二角に大鏡各一面、小鏡各四面、その他の六角に大鏡各一面、小鏡各二面を立て、蓋下中央に大円鏡一面云々が装飾され、中には御椅子と呼ばれる玉座が置かれる。八角形は、大八洲と呼ばれた日本全国を支配するという象徴的意味がある。
また、装飾品の大小の鏡は、皇祖天照大神自身を示すものであり、この鏡の下に据えられた椅子に天皇が就き、左右に三種の神器である剣と璽を置くことにより、「天津高御座」に就いていた皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、皇祖天照大神から三種の神器を授けられて地上の統治をゆだねられたという天孫降臨神話を現代に再現する宗教儀礼である。
右儀式の中で、天皇が高御座の帳を開けて姿を表すのも、雲をかき分けて高千穂の峰に降り立った皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の姿を表すとされており、同じく天孫降臨神話を再現する象徴的な意味を持っている。
このように、即位礼正殿の儀」は、天皇が神に由来する神聖王であることを受け入れ、国民の代表がこれに服属することを誓うことを象徴的に表す儀式であって、その宗教性は明らかである。
しかも、右儀式は、同日に行われた「即位礼当日賢所大前の儀」、「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に引き続いて挙行された。右の「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は、「即位礼正殿の儀」が行われることを宮中三殿に奉告する儀式であり、「即位礼正殿の儀」と密接不可分の関係を持った儀式であるが、いずれも、皇祖天照大神や歴代天皇・皇族、その他の国中の神々を祀る神道施設において、神饌・剣璽という神道祭具を用い、神楽や祝詞、拝礼という神道作法を行った明白な神道儀式である。これらの明白な宗教儀式と密接不可分な関係をもって引き続き行われたという点からも、「即位礼正殿の儀」の宗教性は明らかである。
(3) 「大嘗宮の儀」の宗教性
右儀式は、天皇が皇祖天照大神と一体化し、現御神となるという特別の意義をもった最も神秘的な神道儀礼であり、その宗教性は、政府自身もこれを認めるほどに明らかである。
右儀式の中心は、「悠紀殿供饌の儀」、「主基殿供饌の儀」である。これらの儀式が行われた悠紀殿・主基殿の内部配置は同一で、その内陣には、中央に寝座が設けられ、そのすぐ脇に天皇の御座、それと向かい合う形で神座が設けられた。またその儀式内容と意義も同一である。
「悠紀殿供饌の儀」は、皇室祭祀の伝統に則って執り行われた宗教儀礼である。
まず掌典長が悠紀本殿に進み祝詞を奏すると、神態の装束と呼ばれる白の生絹の斎服をまとった天皇が、廻立殿から悠紀殿に進む(悠紀殿渡御)。この行列は、式部長官及び宮内庁長官が前行し、御前侍従が剣璽を捧持し、天皇には御後侍従が菅蓋と呼ばれるすげがさをかざし、脂燭を執って路を照らすと、左右からは膝立ちした侍従が天皇の歩むのに従って葉薦を展べ、後ろから巻いていくというものである。天皇はその行列の真中を、純白の衣装に身を包み、足袋のままの裸足で歩む。天皇の歩む道は、葉薦と呼ばれる特別の薦の道で、侍従たちが一間前から伸ばし、一間後から巻いていくもので、天皇以外に歩く者はいない一回限りの道である。
この行列は皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原から地上に降り立ってくるときのシーンを具象化したものであって、正に天孫降臨神話を再現した神道儀礼である。
こうして天皇の行列が悠紀殿に到着すると、侍従は剣璽を案上に奉安し、天皇は外陣の御座につく。その後、膳屋で調理された神饌が掌典らによって順次南庭の廻廊に並べられる(神饌行立)。これが終わると、神楽歌が奏される中を天皇が悠紀殿の内陣の御座に着き、天皇自ら神饌を供え、拝礼した上で告文を読み、神饌を相伴する直会を行う。そしてその後、寝座における秘儀が行われるのである。
右儀式においては、皇祖天照大神が大嘗祭に臨んで神座につき、天皇と差し向かいでその年の新穀を共食する。その後、天皇は中央の寝座で衾をかぶり、そこにしばらくこもる動作をすることによって皇祖天照大神と一体化し、現御神になるとされる。
この寝座における儀式は、天孫降臨に際して、天照大神が「真床追衾」で皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を覆って天降らせたことを象徴的に表した神道儀式であり、その宗教性は明白である。
神道における神は、一神教の神のように、人間と断絶した異質の存在ではない。皇祖天照大神以来、連綿と続く貴種の血統のゆえに、通常の人間とは異なる特別の尊さを見出すとき、そこに神を見るのである。践祚・即位の礼・大嘗祭は、正しく天皇が現御神としてこの国を支配する者であることを確認する神道儀礼にほかならないというべきである。
(三) 参列・拝礼行為の宗教性
本件諸儀式が、天津日嗣たる神聖天皇が日本の支配者としてその地位に就くという儀式である以上、その支配の正当性を承認しこれに服従する被支配者の存在は、本件諸儀式を成り立たせる不可欠の構成要素である。
したがって、地方の統治者として被支配者を代表して本件諸儀式に参列した被告鈴木の行為は、神聖天皇、聖なる国体を表す宗教儀式を完成せしめたものであり、神社本庁の信仰内容の表出・伝達を完成させたという宗教的な意味を持つ行為にほかならない。
既に述べたように、宗教儀式は、それ自体が表している宗教的な信仰内容を表出し、それを他に伝達する機能を持っているのであって、被告鈴木が本件諸儀式に参列した際にその主観においていかなる意識を持っていたかは、さして重要なことではない。右儀式に参列したという客観的事実そのものが、「天皇の地位は神に由来するものであり、天皇は神の末裔たる神聖な統治者である」とする本件の宗教儀式を成り立たせる宗教的意義を持つ行為であり、神社本庁(皇室祭祀)の信仰を伝達し、普及する効果を持ったのである。
さらに、被告鈴木は本件諸儀式に参列したのみではなく、その式次第に従って拝礼しているが、拝礼は神道祭祀にとって最も普遍的かつ基本的な宗教行為であり、したがって、被告鈴木は、神道施設において、神道祭式に従って神霊に拝札するという明白な宗教行為を行ったものである。
(四) 都の行った本件各祝賀事業の宗教性
都の行った本件各祝賀事業は、それぞれ個別に単独の行事としてみる限り、特段の宗教的意味はない。しかし、宗教的な祭礼には、見せ物や飲食、酒宴、パレード、花火など華やいだ気分を盛り上げる祝祭的行事が付き物であることは、全世界に普遍的な事実である。このような、宗教的祭儀と一体のものとして行われる祝祭的行事を、単なる世俗的行事とみるのは正しくない。宗教的祭儀の祝祭的部分は、神社神道では神賑(しんぶり)行事と呼ばれており、日常的時間の流れを断ち切り、そこに非日常の空間を現出し、人々の感情を解放、放出させることによって宗教的価値を獲得、再確認させる重要な宗教的役割を担っている。このような祝祭は、単なるおまけではなく、宗教的祭りの本質的部分を構成するものと考えられる。
実際に、戦前の即位儀礼(昭和大礼)についてみると、抽象的な文字言語等を通してしか即位礼の様子を知り得なかった当時においては、地方の奉祝行事は、その中で国民が感情を爆発・熱狂させ、現御神天皇とその赤子たる臣民という国体の信仰を実感的に把握する場となり、国民の情緒的連帯、統合に資するという意味で、極めて重要な役割を担ったのである。
本件各祝賀事業は、中央で行われた即位の礼という宗教儀式と一体的に行われたという意味において、宗教的意義を持ち、宗教的効果をもたらしたといえるのである。
5 神社神道復活杞憂論について
戦前の明治憲法体制の下でも、第二次大戦中のようなファシズム期における国家神道のあり方が一貫していたわけではない。神社神道の特別の公的地位と個々人の信教の自由との微妙なバランスがとられた時期が、ファシズム期以前の時期に相当期間あり、そのバランスが崩れる中でファシズム期の国家神道へと変質していったのである。したがって、本件諸儀式のような突出した公的神道儀式がもし合憲と承認されるようなことがあれば、現在の体制のバランスを大きく崩し、神社神道の公営化が大きく進展する危険性が大きいことを、戦前の歴史の教訓として汲むべきである。
また、戦後の歴史をみても、為政者の天皇利用のあり方は大きく変化しており、必ずしも一色ではない。しかも、その変化は、一方で国家主義的政治家や公的地位の獲得強化のために一貫して活動する神社神道などからの強い働きかけによって、政教分離原則や国民主権原理から離れる方向へ向かい、他方で国民の運動やアジア諸国の批判により辛うじて一定の歯止めがかけられてきたのである。特に一九八〇年代以降、神社神道などの復古的な動きは、日本企業の世界的進出に対応した軍事大国化の志向と結び付いて、一九七〇年代よりもはるかに強力になっている。例えば、近時においては、天皇を過去の侵略戦争の謝罪の特使としてアジア諸国の警戒感を解こうとする天皇の現代的利用の例が目立っている。したがって、もし神社神道などからの強い働きかけにより実現した公的行事としての本件即位の礼・大嘗祭が合憲とされれば、一方で神社神道などの公的地位を求める力はさらに援助・助長・促進され、他方で政教分離原則や国民主権原理を求める国民の運動は大きな困難を負わされることとなるだろう。そうなれば、行政の政教分離原則や国民主権原理からの逸脱が飛躍的に拡大していくことは明らかである。
6 本件即位の礼・大嘗祭に対する国の関与
(一) 内閣及び宮内庁による準備
(1) 平成元年七月、内閣は即位の礼の準備に当たる事務レベルの「即位の礼検討委員会」の初会合を開き、組織作りについて検討を開始し、これに基づき、同年九月二六日に「即位の礼準備委員会」の設置を閣議決定した。同年一二月二一日、右準備委員会は反対意見を無視して政府見解をまとめた。第一に、即位の礼は国事行為として総理府予算を充てることとし、第二に大嘗祭は「収穫儀式」に根ざしたものであり、安寧と五穀豊穣などを皇祖及び天神地祇に感謝し、国民のために祈念する儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するとみることは否定できないとしたにもかかわらず、右儀式は皇位承継に伴う一世一代の重要な儀式であり、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下では国としてその挙行を可能にする手立てを講ずることは当然との理論で、「公的な性格」を認め、宮内庁予算のうちから、公的行為の支出に充てられる宮廷費を使用することとした。この政府見解は同日臨時閣議で了承された。平成二年一月八日、内閣は、即位の礼の実施大綱を検討する「即位の礼委員会」の設置を閣議決定し、右決定に基づき右委員会はその検討を行い、「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」を国の儀式として行うことを決定した。右委員会は、「即位の礼実施連絡本部」を設置し、各儀式の式次第の実施要綱である「即位の礼の挙行について」を決めた。
(2) 平成元年七月、総理府の外局である宮内庁は、同庁長官を委員長とする「大礼検討委員会」を設置し、日程、参列者の数、調度品の調達、大嘗宮の規模などの検討に入った。同年九月二六日には、同じく宮内庁長官を委員長とする「大礼準備委員会」が設置され、同年一二月二一日には内閣の「即位の礼準備委員会」が「政府見解」をまとめたのに合わせて、「検討結果」を発表した。平成二年一月八日、内閣の「即位の礼委員会」の設置に合わせて、宮内庁には同庁長官を委員長とする「大礼委員会」が設置された。右委員会は大礼関係の儀式と概要を発表し、大嘗祭を同年一一月二二日夕刻から二三日未明にかけて皇居東御苑で行うことを決めた。同年九月一九日、右委員会は、皇室の儀式の諸日程を正式決定するとともに儀式内容の概要を発表した。
(3) 以上のように、一連の本件諸儀式は内閣及び宮内庁が共同作業で準備し、国事行為とされた儀式の事務は総理府が、それ以外の儀式の事務は宮内庁が担当し執り行ったものである。
(二) 本件諸儀式のための費用に係る予算措置と支出
平成元年一二月二四日、平成二年度予算の大蔵原案が内示され、本件即位の礼・大嘗祭のための予算として八一億一八〇〇万円が計上された。これは東京サミットなど我が国の重要な行事・式典のための予算の中でも突出した規模のものであった。そのうち、国事行為とされた「即位礼正殿の儀」のための予算が一四億三五〇〇万円であったのに対し、大嘗祭のための予算は二二億四九〇〇万円とされた。平成二年一〇月一一日、政府は「過激派」への対応の名目で即位の礼等に関する警備費用として予備費から四二億〇九八〇万円の追加支出を決めた。その結果、即位の礼・大嘗祭関係の予算は、総額で一二三億二七八〇万円となった。
なお、政府は、平成元年六月一五日、即位の礼に関し、皇室による祝品の受取りを可能にする議決を国会に求めることを閣議で決め、右の件はその後国会で議決された。
右のような異常な予算措置により、全国民は、個人の思想・信条とは無関係に本件諸儀式のために強制的に出費を強いられることになったのである。
(三) 国の丸抱えによる宗教儀式・服属儀礼
以上のように、本件即位の礼・大嘗祭への国の関与は、大規模かつ多面的・全面的であった。しかも、後述のとおり、国は、日本国民及び諸外国民の広範な反対の意思を無視し、神社神道を始めとする一部の復古勢力の強い影響を受けてその意思決定を行ったのである。
7 本件即位の礼・大嘗祭に対する都の関与
(一) 被告鈴木の公人としての本件諸儀式への参列行為
(1) 本件諸儀式は、別紙三記載のとおり三一の一連の諸儀式から成り立っていたが、以下に述べるように、被告鈴木はそのうち「即位礼正殿の儀」、「大嘗宮の儀」を始めとする合計八つもの重要な儀式に「都道府県の総代」あるいは「都道府県知事の代表」として、公人として参列した。都知事の儀式参列は、当初から我が国の首都で皇居の所在地であり、かつ儀式挙行地である都の代表者として、儀式自体の重要かつ不可欠な構成要素とされており、また、被告鈴木自身、右儀式に公人として参列することを当然の前提として準備を行った。
ア 国及び宮内庁からの本件諸儀式への招待状ないし案内状を受け取った被告鈴木は、平成二年一一月九日の第一回都議会臨時会において、正式に「式典には私も都民を代表して参列するとともに、賀表を奉呈することといたしております。この喜びを都民とともに分かち合い、祝賀の意を広く表するために、都は記念式典並びに記念行事を開催することといたしました。天皇陛下及び皇室の御繁栄を祈念しつつ、一二〇〇万都民とともに、衷心より慶賀の意を表する次第であります。」と述べ、被告鈴木が右儀式に公式参列すること及び各種の記念行事を都が行うことを報告した。同日の都議会では、「天皇陛下には、即位の礼を執り行われ、日本国及び日本国民統合の象徴として皇位を承継なされますことは誠に喜ばしいかぎりであります…都議会は、都民とともにここに謹んでお祝いを申し上げます。」という賀詞が採択された。
イ 右の準備作業を並行して行いながら、被告鈴木は、まず、平成二年一月二三日午前一〇時三〇分から一二時まで宮中三殿において行われた「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に、「都道府県の総代」として参列した。
ウ その後、被告鈴木は、前記の都議会において「都民を代表して参列する」旨の発言をした上で、平成二年一一月一二日午前九時より賢所において行われた「即位礼当日賢所大前の儀」及び皇霊殿において行われた「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列した。
エ 被告鈴木は、「即位の礼委員会」の委員長である内閣総理大臣の案内を受け、同日午後一時から宮殿で行われた「即位礼正殿の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列した。
オ 同年一一月一三日、被告鈴木は、宮殿で執り行われた国の行事である「饗宴の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列した。
カ 被告鈴木は、同年一一月二二日及び二三日、宮内庁長官の案内を受け、「大嘗宮の儀」(大嘗祭)に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列した。
なお、被告鈴木は、「大嘗宮の儀」のうち「悠紀殿供饌の儀」の始まった同月二二日午後六時半ころから「主基殿供饌の儀」の終了した翌二三日午前三時過ぎころまでの長時間にわたり、右式次第に従って参列をしていたものである。
キ 被告鈴木は、同年一一月二三日、「大饗の儀」に招待され、「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列した。
(2) 右に述べた被告鈴木の本件諸儀式への参列は、天皇の代替わりの儀式である本件諸儀式の不可欠な構成要素となっていた。
ア 本件諸儀式は、登極令に忠実に従って執り行われたが、登極令は中央及び地方の高等官の儀式への参列を規定していた。その趣旨は、日本国の実際の統治をつかさどる高級官僚が、こぞって天皇を神聖不可侵な統治者と認めこれに服従の意を表す意味を持つものであり、中央及び地方の高等官の出席は、右代替わり諸儀式を完結する上で宗教的に不可欠の構成要素となっているものである。特に地方高等官の参列は、歴史的にも地方豪族が天皇の統治者としての宣明に応じ、これに忠誠、服従を誓うものであり宗教儀式として最も重要な要素である。
イ 本件諸儀式においては、当初から都道府県知事の参列が予定され、その中でも特に都知事は特別な立場の人間としてその参列が求められ、予定されていた。具体的には、被告鈴木は、本件諸儀式が行われる首都東京の知事ということで、全国の都道府県知事の代表としてその参列が当初から予定に組み込まれていたし、また、大嘗祭で使用される神饌米を収穫する悠紀田、主基田の選定された大分県、秋田県の知事とともに特別に配偶者の同伴が認められた。また、前述したように、被告鈴木は、都道府県の総代として、他の都道府県知事と異なり、内閣総理大臣を始めとする三権の長らとともに「即位礼正殿の儀」及び「大嘗宮の儀」以外の諸儀式にも特別に参列した。
ウ 以上に指摘したとおり、被告鈴木の本件参列は、当初から本件諸儀式の一連の式次第の中で極めて重要な位置を占める扱いを受けていた。すなわち、被告鈴木の右参列は、その参列がなくても完成しうる儀式に被告鈴木が単に参列したという性格のものではなく、むしろ、被告鈴木が参列しなければ儀式自体の意味が決定的に損なわれてしまうという意味で、被告鈴木の右参列は、いわば儀式の不可欠な構成要素となっていたといえる。
(二) 被告鈴木の公人としての拝礼行為
被告鈴木は、前項で述べた本件諸儀式に参列したのみではなく、右諸儀式の中で神道固有の方式に基づいてそれぞれ拝礼行為を行っている。すなわち、被告鈴木は、神道儀式に参列する以上の神道儀式固有の行為を積極的に行っており、主体的に神道儀式の構成にかかわっているといえるのであり、宗教的行為を積極的に行ったものと評価しうる。
(三) 都の行った本件各祝賀事業
都は、宮内庁からの推薦依頼に応えての「庭積机代物」の提供、「お祝品」の奉祝要請に応えての一〇〇万円相当の銀器の献上(平成二年一二月ころ)、天皇御即位祝賀記念式典の実施(同年一二月一九日)、都立施設の無料開放(即位の礼当日)、記念植樹の実施(即位の礼当日前後)、本件記念乗車券の発行(即位の礼前日発売)、都バス・都電の装飾運行(即位の礼当日)、祝賀御列の菊花装飾(即位の礼当日に最良の状態になるよう装飾)、汽笛の一斉吹鳴(即位の礼当日)等天皇の代替わりを祝賀するため各種記念事業を大々的に準備、遂行した。
お祝品の購入代金である一〇〇万円という金額は、全国中の都道府県の中でも突出しており、都が右一連の記念事業を行うため全体として五〇〇〇万円以上の支出をしているのも全国一の規模である。その他菊花装飾が祝賀御列のために特別に行われたのを始め、各種記念事業が本件即位の礼ないし本件大嘗祭の実施日に合わせ、その当日又は前後に行われており、その他の行事もおおむね前回の昭和天皇の即位の礼・大嘗祭に呼応して行われた奉祝行為と全く一致する。
都が行った以上のような本件各祝賀事業は、個々別々ではなく一体としてとらえられるものであり、また、本件諸儀式と一体として不可分に結び付いて行われたものである。右各祝賀事業は、天皇の代替わりの儀式である本件諸儀式の存在を都のみならず、首都であることの影響力から全国中に広く知らしめ、天皇の政治的、宗教的権威を飛躍的に高める役割を果たした。その意味で都が行った右各祝賀事業は国が行った宗教儀式である本件諸儀式を盛り上げる目的をもってそれぞれ執り行われたものといえる。
8 本件即位の礼・大嘗祭をとりまく社会的状況
(一) 被告らの各行為の違憲性の評価は、本件諸儀式とそれへの行政の関与それ自体のみによって定められるものではなく、本件諸儀式がどのような社会的状況の下で行われ、どのような社会的影響をもたらしたのかを踏まえて判断されなければならない。
特に、昭和天皇の死去以前の下血報道のときから、マスコミの画一的で系統的な報道と「自粛」騒動によって、天皇への関心は高められ、全体の風潮に従わざるを得ない雰囲気が醸成されていた。マスコミの論調は、天皇を平和主義者として美化するものが多く、このような報道自体、戦争犠牲者の遺族や従軍慰安婦などの戦争被害者の救済のために活動している人々にとっては、耐え難いものであった。お祭や大学祭は自粛ムードとなり、イベントなど企業活動も不況で解雇も心配され、バザーの中止で福祉作業所の経営が苦しくなった。年賀はがきが売れ残り、忘年会も小じんまりとされ、門松の競りも中止された。市場や商店ではクリスマスケーキも売れ残り、かずのこの「寿」の文字が消えるなどの影響が出た。労働組合の中には労働者の重要な権利であるストライキの延期を計画するところもあった。昭和天皇が死去し、天皇の即位、新元号の制定や昭和天皇の美化報道が噴出し、昭和天皇の葬儀である「大喪の礼」前後にはコンサートなどが自粛を強要されるなど、市民生活に深刻な悪影響が出た。このように、天皇の代替わりによって多数の市民の生活が広範で深刻な影響を受けている状況の下で、本件即位の礼・大嘗祭が行われたのである。
(二) 本件即位の礼・大嘗祭による神社神道の布教
神社神道は、天皇を日本国の神としていただき、氏子たる国民がこれに仕えることによって国が繁栄し、国民は幸福になれる、とする宗教であり、そのような神社神道にとって即位の礼・大嘗祭は、天皇が神と一体となる最高かつ最大の儀式である。
したがって、神社神道の教義によれば、即位の礼・大嘗祭億国家の儀式として行なわれることが当然に要請されるものであり、これを皇室の私的儀式とすることは神社神道の教義に反するものであり、そこで、神社神道は、本件即位の礼・大嘗祭を国家の儀式として大規模に行い、多数の国民にその教義を知らせることを目指して、積極的に活動した。そのような活動が功を奏して、本件即位の礼・大嘗祭は国家の公的行事とされ、マスコミは連日洪水のように「公的行事」の解説として本件諸儀式の意義や神道上の教義を詳細かつ系統的に報道した。その結果、神社神道の教義は多くの国民に知らされることとなり、神社神道は多大の布教効果を上げ、大いに促進・援助・助長されることとなったのである。
(三) 本件即位の礼・大嘗祭への奉祝の強制
国は、明白な宗教儀式であり、かつ国民主権下の象徴天皇制に抵触する服属儀礼である本件即位の礼・大嘗祭に、巨額の国家予算を投じてこれを行っただけでなく、国会を始め様々な機関を通じて奉祝を強制し、相当数の地方自治体が積極的にこれに応えて奉祝のために公費を支出した。国は、奉祝に異を唱えようとする勢力に対して、戒厳令下のような警備体制をとり、奉祝に反対する意見を表明する者は、右翼による脅迫やテロリズムの対象とされた。
本件で問題とされている本件諸儀式への都の関与および被告らの財務会計上の行為は、右のような国、地方自治体及び右翼による奉祝強制の一貫として行われたものであり、その評価に当たっては、当時の右のような社会的状況が十分にしん酌されるべきである。
(四) 国民の反対の声
右のように奉祝を強制された社会的状況の下でも、国会の場ではもちろん、各政党、地方自治体、日本弁護士連合会や市民運動のグループなどから様々な形で、本件即位の礼・大嘗祭を国家の公的行為とし、地方自治体が公費でこれに関与することに対する反対の意見が表明された。空前の規模の奉祝強制であり、反対意見の表明自体極めて勇気を要する困難な状況にあったにもかかわらず、本件即位の礼・大嘗祭を公的行事とするかどうか、政教分離原則に反し国民主権原理の下の象徴天皇制に抵触する形で行うかどうかについては、賛否両論が相きっ抗していたのである。
本件即位の礼・大嘗祭とこれへの都の関与は、神社神道と連携する勢力によってこうした多数の反対の意見を踏みにじって強行されたのであり、決して単に「伝統」の継承として行われたのではないし、単に「社会的儀礼」として行われたものでもなかったのである。
9 国の本件諸儀式への関与の政教分離原則違反
(一) 既に述べたとおり、本件諸儀式の宗教性は明らかであり、本件諸儀式への国の関与は目的効果基準を適用するまでもなく、政教分離原則違反と判断されるべきである。
(1) 「即位礼正殿の儀」への関与の政教分離原則違反
「即位礼正殿の儀」を国事行為として挙行することが政教分離原則に違反することは、
ア 本件諸儀式は全体として一つの神事をなしており、その意義は、皇祖天照大神を頂点とする神々の存在を前提として神楽や神饌、幣帛等を奉納し、祝詞を上げて神々に奉告し守護を願うものであり、「即位礼正殿の儀」はその一連の諸儀式の頂点に位置するものであること、
イ とりわけ、「即位礼正殿の儀」の直前に行われる「即位礼当日賢所大前の儀」は、前記のとおり皇祖天照大神の前に天皇が群臣を率いて即位を奉告する儀式であり(この儀式が皇室祭祀として宗教的意義を有するものであることは争いがない。)、「即位礼正殿の儀」と不可分一体のものという位置付けをもっていること、
ウ 「即位礼正殿の儀」で天皇が登壇する高御座は、前記のとおり昭和の即位の礼で用いられたものと全く同一のものであり、その意義は皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が皇祖天照大神から日本の統治をゆだねられた際に就いた「皇祖の霊座」とされるものであること、
エ 右の高御座には三種の神器である剣と璽が置かれたが、これも皇祖天照大神が瓊瓊杵尊に日本統治の象徴(レガリア)として授けたとされるものであること、
から明らかというべきである。
実際、前記のとおり、戦前の登極令の下の即位の礼・大嘗祭の諸儀式はすべて国家神道の下の宗教儀式として挙行されていたのである。本件の「即位礼正殿の儀」と登極令の下の「即位礼当日紫宸殿の儀」は「賢所大前の儀」の直後に行われるという儀式の位置付けも、高御座に登壇して臣下の寿詞を受けるという儀式の内容も、ほとんど全く同一のものであって、名目的に「即位礼正殿の儀」のみを切り離して国事行為としたところでその宗教的意義に何の影響もないことは当然である。
特に重要なことは、登極令の下の即位の礼・大嘗祭が憲法の政教分離原則の立法事実である国家神道の頂点に立つ儀式といえることである。国家が国家神道の儀式を二度と公的に行わないこと、とりわけ天皇を現人神とする儀式を行わないことは、憲法が政教分離原則を定めた最大の眼目である。
(2) 皇室行事として行われた大嘗祭等の諸儀式への関与の政教分離原則違反
国は大嘗祭等の諸儀式の挙行準備及び事務に深く関与し、かつこれらの儀式のすべてを天皇の私費である内廷費ではなく(ちなみに、本件大嘗祭とほぼ同一の宗教的意義をもつ毎年の新嘗祭は内廷費から支出されている。)、公金である宮廷費から支出した。こうした国の関与及び財政的支援がなければ、右の諸儀式を挙行することは不可能であった(大嘗祭関係の予算は二二億四九〇〇万円に上っており、内廷費では到底賄いきれないものである。)。
右の諸儀式は戦前の国家神道の下においては、登極令に基づき天皇の即位に際し国家が公的に行う儀式とされたが、戦後、神道指令と政教分離原則により国家神道が否定され、それに伴い皇室典範から大嘗祭の規定が削除され登極令も廃止された以上、国家が公的にこれらの儀式を挙行することは許されず、皇室の私的祭祀としてのみ存続することが許容されているにすぎないものである。
大嘗祭等の諸儀式については、政府見解自身その宗教的性格を否定できない明確な宗教儀式であり、右の諸儀式への国の関与は、目的効果基準を適用するまでもなく政教分離原則違反と判断されるべきである。
(二) 目的効果基準による検討
本件諸儀式への国の関与は、目的効果基準に従って判断しても、以下のとおり、政教分離原則に違反するというべきである。
(1) 愛媛玉串料事件判決の視点を踏まえた総論
ア 政教分離原則の立法事実としての国家神道の歴史的経緯の評価
本件諸儀式は、前述のとおり、戦前の登極令に準拠して行われたが、登極令の定める諸儀式は天孫降臨神話に基づき万世一系の天皇が現人神として即位するという国家神道の教義による祭祀そのものであり、大正・昭和の即位の礼・大嘗祭の諸儀式が国家神道の最大規模の儀式として行われ、国体イデオロギーに国民を動員した歴史をみても明らかなとおり、国家神道の正に中核ともいえる宗教儀式である。その意味で、戦後、神道指令と新憲法制定を受けて皇室典範から大嘗祭の規定が削除されたのは当然といえる。むしろ、天皇制と神道の公的な場面における結び付きの否定こそが国家神道否定の眼目であったといえるのであり、これが認められるのであれば、国家神道否定の意義は大半が失われるとさえいえよう。
愛媛玉串料事件判決の判示に照らせば、このように国家神道と深いかかわり合いを持つ本件諸儀式への国の関与が許されないことは明らかである。国家神道の否定、政教分離原則の制定、戦前の絶対的神権的天皇制から国民主権下の象徴天皇制への転換という、憲法制定前後の劇的な変化にもかかわらず、戦前の国家神道の下と同じ天皇即位の儀式が行われるというのはあまりに異常であり、反憲法的な事態といわざるを得ない。
イ 理性的人間の合理的な判断としての「一般人」の視点
本件即位の礼・大嘗祭は、多数の歴史学者や憲法学者のほか、内閣自身が設置した「即位の礼準備委員会」が意見聴取を行った有識者からも、その宗教性や服属儀礼性が問題として指摘されていた。また、政府自身、かつては「神式の下において国が大嘗祭という儀式を行うことは許されない」と国会答弁をしており、宗教色のない天皇の代替わりの儀式を検討していたと考えられる。にもかかわらず、神社本庁などの戦前の神権的天皇制に郷愁を感じ現在もなお天皇の宗教的権威を重視しようとする一部右派勢力の運動により、本件諸儀式は戦前同様の国家神道スタイルによる祭祀として挙行されたものである。
右の一部右派勢力の要望が理性的人間の合理的判断と同視できないことはもとより明らかであるが、これを愛媛玉串料事件判決の判断方法に照らしていえば、①憲法制定の経緯からして、国家神道の核心的な儀式であった戦前の即位の礼・大嘗祭を現行憲法の下で再現することが許されないことは論をまたないし、②天皇即位の祝典やセレモニーは特定の宗教とのかかわり合いを持つ形でなくても十分可能であって、むしろ戦後世代が多数派となった現在ではそれが多数者の意識にも合致するであろうし、③即位の礼・大嘗祭は、天皇の代替わりの特別の儀式であり、かつ、本件以前の大正・昭和の時代には国家神道による歴然たる宗教儀式として挙行されていたものであり、それが「慣習化」したり、「社会的儀礼」にすぎないものになったなどとは到底認められないのである。
なお、右の②は、愛媛玉串料事件判決が特定の宗教とかかわり合いを持つ形でない代替手段の存在を政教分離原則違反の有無の判断の一要素としたことと関連しているが、皇室典範に規定された「即位の礼」については、高御座や三種の神器を用いず皇室神道とのかかわり合いを持たない方法で、憲法にふさわしい即位祝典として行うことは十分可能であるし、実際にもそのような儀式がいったんは検討されていたのである。
他方、大嘗祭については、概念上宗教儀式そのものであるから、これを特定の宗教とのかかわり合いを持たない方法で行うことはおよそ不可能であるが、戦後、皇室典範から大嘗祭の規定が削除され、即位の礼のみが残された経緯からは、右のように即位の礼は特定の宗教とかかわり合いを持たない祝典として挙行し、大嘗祭は公的には挙行しないというのが法の趣旨にかなうものというべきである。大嘗祭は、仮に挙行するとしても、皇室の私的行事として内廷費の範囲内で挙行すれば足りるのであり、これは新嘗祭などの皇室祭祀令に規定されていた皇室祭祀が、戦後、皇室祭祀令の失効後は皇室の私的行事として内廷費で挙行されているのをみれば、むしろ当然のことといえよう。
ウ 公言された世俗的目的に対し客観的宗教性を重視した目的審査
国事行為とされた「即位礼正殿の儀」の挙行についてみると、政府見解は右儀式の目的を「即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式」としているが、当該行為の外形的側面(主宰者、式次第)、当該行為の行われた場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、とりわけ、前記(一)(1)アないしエに述べたとおりの客観的事情を考慮すれば、右儀式は、前述のとおり、天皇が皇祖天照大神に由来する「皇祖の霊座」(「天津日嗣高御座」)に登壇し、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就くことを宣明する皇室神道上の儀式(高御座への登壇を中核的儀式とする祭祀)と評価されるべきものであり、こうした宗教儀式の挙行が宗教的意義を有することは明らかである。
他方、大嘗祭についていえば、政府自身、その関与の目的について、「宗教上の儀式としての性格を有する」大嘗祭に対し「国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずる」と説明しているのであるから、公言された目的においてさえその宗教的意義は明らかである。客観的にも、大嘗祭その他の皇室行事とされた関連諸儀式は、当該行為の外形的側面(主宰者、式次第)、当該行為の行われた場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価などいずれの点から考察しても明白な皇室神道儀式(皇室祭祀)であり、これに公金支出を始め人的物的支援を行い、「その挙行を可能にする手だてを講ずる」ことは、当然に宗教的意義を有すると評価されるべきである。
なお、皇室神道が単なる伝統儀式や儀礼ではなく、現在もなお活発な宗教的活動を組織的継続的に行っている宗教団体であること、さらに、皇室神道と神社神道との密接な関係などについては、既に前記3等で詳細に述べたとおりである。
エ 特定の宗教への支援、関心の観点からの効果審査
皇室神道・神社神道以外の他の宗教(団体)が同種の天皇即位の儀式を挙行することは考えられず、したがって、国が他の宗教(団体)が挙行する同種の儀式に対して同種のかかわり合いをすることは考えられないことから、本件諸儀式の挙行に当たっては、国が特定の宗教(団体)との間で意識的に特別のかかわり合いを持ったということが確認される。
本件諸儀式における国の宗教への関与の効果についてみるに、「高御座」への登壇という皇室神道上の儀式を中核とする「即位礼正殿の儀」を国事行為として挙行したこと、大嘗祭その他の皇室神道の諸儀式を「公的」なものとして国が深く関与し財政的にも全面的に支援して挙行したことは、いずれも一般人に対し、国が特定の宗教である皇室神道及び皇室神道と宗教的内容を同じくする神社神道を特別に支援しており、それらの宗教が他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えたことは明白である。また、本件即位の礼・大嘗祭は、「一世に一度の」大規模なイベントとして挙行されたから、これに対する参列者及び一般人の関心は異常に高められ、「高御座」、「三種の神器」あるいは「大嘗祭」などといった皇室祭祀と神社神道の信仰に深くかかわる事柄についても興味関心が喚起され、さらにこれをマスメディアが繰り返し取り上げて解説することにより、特定の宗教である皇室祭祀や神社神道への関心を強く呼び起こしたことも明白である。
そして、重要なことは、本件における国の宗教へのかかわり合いの程度が、靖國神社及び護國神社の例大祭等の祭祀に県が玉串料等を支出したという愛媛玉串料事件判決の事案に比して、はるかに巨大な規模でありかつ深いものであったということである。特定宗教に対する援助、助長、促進等の効果を論じる際には、こうしたかかわり合いの規模と深さは現実的な効果の大きさを示す要素として当然重視されるべきである。
(2) 「即位礼正殿の儀」について
ア 当該行為の外形的側面(主宰者、式次第)
「即位礼正殿の儀」は国事行為として行われたが、その儀式の「主宰者」は、実質的にみると、「お出まし」、高御座への登壇、「お言葉」、寿詞及び万歳三唱を受ける、「ご退出」というように、儀式の中心となり儀式の進行をつかさどっていた天皇であるといえる。前記3(三)及び(四)(3)で述べたように、天皇は戦前から一貫して皇室祭祀を主宰する宗教家という側面を持ち、本件諸儀式においても「大嘗宮の儀」に典型的に見られるように、皇室祭祀の神官である掌典職の補佐を受けて祭祀を主宰している者であるが、「即位礼正殿の儀」もそのような意味において天皇が主宰した儀式であった。
また、「即位礼正殿の儀」の式次第、方式についてみても、天皇が剣璽を捧持した侍従を従えて現われ、高御座に登壇してお言葉(勅語)を述べ、内閣総理大臣の寿詞と万歳三唱を受け、退出するという式次第は、ほとんどが戦前の国家神道の下の「即位礼当日紫宸殿の儀」の式次第を踏襲したものである。右儀式における装飾や天皇の服装についても同様であり、天皇が着用した黄櫨染の束帯は、宮中三殿への「期日奉告の儀」や即位の礼・大嘗祭後の神宮等への「親謁の儀」、「賢所御神楽の儀」などの神事の際にも着用されたものである。特に皇祖天照大神に由来する「霊座」とされる高御座と三種の神器である剣と璽を使用したことは、右儀式が宗教的意義を有することを明確にした。
さらに、前述のとおり、「即位礼正殿の儀」はその直前に行われる「即位礼当日賢所大前の儀」と不可分一体の儀式であるが、後者の儀式は、天皇が掌典長の補佐を受けて主宰し、神饌や幣物を供し神楽や祝詞が奏される中で天皇と参列者が拝礼を行う皇室祭祀の式次第に従った純然たる神道儀式であり、この儀式と一体としてみたとき本件即位の礼の外形的宗教性は一層はっきりする。
イ 当該行為の行われた場所
「即位礼正殿の儀」が行われた場所は皇居の正殿松の間であるが、前述のとおり、「皇祖の霊座」とされる高御座と皇后の登壇する御帳台が殿上をほぼ占拠し、右松の間は、高御座を中心とした宗教的色彩を帯びた特別の舞台となった。
また、「即位礼正殿の儀」の直前に行われた「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」の挙行された場所は、皇室祭祀の中心的宗教施設である宮中三殿である。
ウ 当該行為に対する一般人の宗教的評価
津地鎮祭事件判決は、地鎮祭について、「土地の神を鎮め祭るという宗教的な起源をもつ儀式であったが、時代の推移とともに、その宗教的意義が次第に希薄化してきている」として「一般人の意識においては、起工式にさしたる宗教的意義を認めず、建築着工に際しての慣習化した社会的儀礼として世俗的な行事と評価している」と判示した。
これに対し、高御座への登壇を儀式の中核とする「即位礼正殿の儀」は、元来天皇の宗教的権威付けを目的とした極めて宗教性の高い儀式であった上、前記2(三)(3)及び(4)で述べた登極令の制定過程と大正・昭和の天皇即位の儀式の実態をみても、時代の推移とともにその宗教的意義が希薄化するどころか、国家神道の下でかえって宗教的性格を強めていたとさえいえるものであり、右判決に照らしても、「慣習化した社会的儀礼」などとは言えないことは明らかである。戦前の国家神道の下において、「即位礼当日紫宸殿の儀」(今回の「即位礼正殿の儀」に当たる。)は、天皇が万世一系の現人神統治者の地位に就く儀式とされ、一般人の意識においても当然そう理解されてきたのである。
「即位礼正殿の儀」においても、戦前とほぼ完全に同一の儀式が挙行されたこと、高御座と三種の神器の剣璽が用いられたこと、本件即位の礼・大嘗祭関連諸儀式(本件諸儀式)が一連のものとして行われたこと、直前に「賢所大前の儀」が行われたことなどの諸事情はマスコミ等を通じて広く知られていたから、一般人の意識において、「即位礼正殿の儀」は、皇室祭祀に沿った宗教的儀式であると理解されていたのである。
エ 当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無・程度
政府見解は、「即位礼正殿の儀」について、「即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式」であると述べており、このように公言された目的だけをとれば世俗的なものといえる。しかし、前記1(二)(4)で述べたとおり、公言された目的において宗教性が認められることは絶無であり、また、多くの宗教儀式は何らかの意味で世俗的な目的を持っている(例えば、家内安全、商売繁盛、病気快癒、大学合格など)のであるから、公言された目的のみで宗教的意義を判断するとおよそ目的において宗教性がある場合などなくなってしまい、右に掲げた基準の存在意味がなくなる。したがって、公言された世俗的目的の背後にある実際の「顕著な」目的に洞察を加えなければならない。
この点、政府は、前記のとおり、海部首相を委員長とする「即位の礼委員会」及び藤森宮内庁長官を委員長とする「大礼委員会」を組織し、一連の本件諸儀式を準備し、実質的な主催者兼スポンサーとしてすべての儀式を執り行った。したがって、政府は、「即位礼正殿の儀」が「賢所に期日奉告の儀」に始まる一連の神事の頂点として、天皇が皇祖の霊座について万世一系の皇位を承継する儀式であるという宗教的意味を十分に理解していたはずである。そして、このことは、前記3(五)等で述べたとおり、今回の天皇の代替わりの儀式において、当初宗教色を抜こうとした政府方針が神社本庁やタカ派政治家・知識人の圧力を受けて変更され、大嘗祭の挙行を含め戦前の登極令をほぼ完全に踏襲して行われることになった経緯に照らせば、より一層明らかである。
このように、前記(一)(1)アないしエの諸点を考慮したとき、「即位礼正殿の儀」の目的は、単に「即位を公に宣明」するという目的のみならず、天皇が皇祖天照大神に由来する皇祖の霊座(天津日嗣高御座)に登壇し、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就くことを宣明するという目的を不可分のものとして有する宗教的儀式(神社神道と宗教的本質を同じくする皇室祭祀)であるといえ、そのことは当該行為者である政府も十分に理解していたといえる。
オ 当該行為の一般人に与える効果・影響
本件即位の礼・大嘗祭は、それが神社本庁らの勢力の要望に沿った形で挙行され、国が莫大な予算を投じ、一大イベントとしてマスコミの連日の洪水のような報道がなされたことにより、神社神道を援助、助長、促進する絶大な効果をもたらしたこと、その反面、国と地方自治体の奉祝活動や過剰警備、右翼による言論封殺等により皇室祭祀に違和感を持つ他宗教者や無宗教者の良心を圧迫し侵害したことについては、前記8で述べたほか、後記四(原告らの主張)で述べるとおりである。
右にみたとおり、即位の礼は「慣習化した社会的儀礼」などではなく、正に「一世に一度の」大規模なイベントとして挙行されたから、これに対する参列者及び一般人の関心は異常に高められ、「高御座とは何か」とか「三種の神器とは何か」などといった皇室祭祀と神社神道に深くかかわる事柄についても興味関心が喚起され、さらにこれらをマスメディアが繰り返し取り上げて解説することにより、皇室祭祀や神社神道に対する宗教的関心が高まったことは疑い得ない。また、皇室祭祀に則った本件即位の礼を単なる皇室の私的行事とせず、国事行為として挙行したことは、国が皇室祭祀及び皇室祭祀と宗教的本質を同じくする神社神道に対し特別の地位を与えたことを意味する。そして、この地位は、本件諸儀式にとどまらず、今後も天皇の代替わりや皇太子の結婚などの皇室の重要行事が皇室祭祀として繰り返し行われることによって一層強固にされ(現に昭和天皇の「大喪の礼」や現皇太子の「結婚の儀」は国事行為として行われた。)、国家と皇室祭祀及び神社神道との間における特別に密接な関係がいよいよ強まることは明らかである。
カ 結論
以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件即位の礼(「即位礼正殿の儀」及びこれと密接不可分のものとして付随する「祝賀御列の儀」、「饗宴の儀」)は皇室祭祀に則った宗教的儀式であり、その目的は、単に「即位を公に宣明」するという目的のみならず、天皇が皇祖天照大神に由来する皇祖の霊座(天津日嗣高御座)に登壇し、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就くことを宣明するという宗教的目的を不可分のものとして有するものと認められ、その効果は皇室祭祀及び神社神道を援助、助長、促進し、他の宗教を圧迫するものと認められるから、本件即位の礼の挙行は、憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動に当たる。
(3) 皇室行事として行われた本件大嘗祭等について
ア 当該行為の外形的側面(主宰者、式次第)
本件大嘗祭等の諸儀式の中心となりその進行をつかさどる「主宰者」は、天皇及びこれを補佐する掌典である。ところで、前述のとおり、天皇は戦前から一貫して皇室祭祀を主宰する宗教家という側面を持ち、本件諸儀式においても「大嘗宮の儀」に典型的にみられるように、自ら祭主として宗教儀式を執り行っている。また、掌典は皇室祭祀の神官であり、宗教家そのものである。
また、儀式の式次第、方式についてみるに、いずれの儀式も戦前の登極令及び同附式を完全に踏襲した歴然たる神道儀式の方式により、天皇以下の服装や儀式の祭具及び装飾品等も皇室祭祀の一定の方式に従ったものである。例えば、「大嘗宮の儀」についていえば、前記4(二)(3)で式次第を引用したように、神座の奉安、斎火の灯燎、祝詞と神楽、剣璽の奉安、拝礼、神饌の行立、直会等が順次行われ、その際、天皇は「御祭服」を着用したのである。
イ 当該行為の行われた場所
本件大嘗祭等の諸儀式が行われた場所は、「大嘗宮の儀」については皇居内に特別に設置された祭祀施設である大嘗宮(悠紀殿、主基殿)であり、その他の本件即位の礼・大嘗祭関連諸儀式については宮中三殿、伊勢神宮、天皇山陵などいずれも宮中祭祀及び神道関連の宗教施設である。
ウ 当該行為に対する一般人の宗教的評価
本件大嘗祭等の諸儀式は、元来、天皇の宗教的権威付けを目的とした極めて宗教性の高い儀式であった上、前記2(三)(3)及び(4)で述べた登極令の制定過程と大正・昭和の天皇即位の儀式の実態をみても、時代の推移とともにその宗教的意義が希薄化するどころか、国家神道の下でかえって宗教的性格を強めていたとさえいえるものであり、「慣習化した社会的儀礼」などとはいえないことは明らかである。戦前の国家神道の下において、大嘗祭は、「大神と天皇が御一体におなりあそばす御神事」(昭和一八年採用の国定教科書「初等科修身四」)とされていたものであり、一般人の意識においても当然そう理解されてきたのである。
本件大嘗祭等の諸儀式は、戦前と完全に同一の儀式が挙行されたこと、その内容は前述のとおり政府見解において宗教的意義の認められた歴然たる宗教儀式(皇室祭祀)であること、あらゆる意味において「世俗化」や「慣習行事化」などは認められないこと、またその宗教的意義がマスコミ等を通じて広く知られていたことなど、いずれの点をとってみても、一般人の意識において宗教的儀式そのものと認められていたことは明らかである。
エ 当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無・程度
政府見解は、本件大嘗祭の意義を「天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式」であり、宗教上の儀式としての性格を有するとしつつ、「皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとるわが国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる」としている。
この政府見解によれば、「宗教上の儀式としての性格を有する」大嘗祭に対し、「国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずる」というのであるから、公言された目的においてさえそれが宗教的意義を有することは明らかである。
他方、本件大嘗祭以外の皇室行事とされた諸儀式は、「即位礼当日賢所大前の儀」などいずれも明白な神道儀式(皇室祭祀)であるが、政府見解等においては、これらに対し公金である宮廷費が支出されたことについてその目的・趣旨は全く説明されていない。
なお、右の政府見解の記者説明において、多田首席内閣参事官は、公金を支出するのは、「大嘗祭の宗教上の儀式としての性格に着目したものではなく、皇位が世襲であることに伴う伝統的皇位継承儀式という、大嘗祭の公的性格ないし公的色彩に着目したため」であると述べている。しかし、前記1(三)で述べたとおり、憲法が皇位を世襲としたことは皇位の継承方法を定めたにすぎないものであり、宗教的儀式を公的に挙行する根拠となしうるものではない。また、前述のとおり、多くの宗教儀式は、何らかの意味で世俗的な目的(例えば、家内安全、商売繁盛、病気快癒、大学合格など)を持っているのであり、この世俗的な目的のみに着目して公的性格を論じれば、ほとんどの宗教的儀式に公金を支出できることになる。それゆえ、右の記者説明で、公的側面があればどれほど宗教的なものでも公金を支出できるのかと問われた石原官房副長官は、「宗教色があっても、公的性格が認められれば公金支出はできるという一般原則を作ろうとは思っていない。」と回答している。
しかしながら、こうした宗教的意義のある儀式や行為について世俗的側面のみを分離して判断する立場は、判例の取る立場ではない。
ところで、皇室行事とされた本件大嘗祭等の諸儀式への国の関与の顕著な目的、客観的意味を考察する際には、①右諸儀式が前述のとおり政府見解自体その宗教性を認めた明白な神道儀式であること、②国の関与の態様が、政府の一員である宮内庁長官を委員長とする「大礼委員会」が儀式の内容やスケジュールを含め準備過程から全面的に関与するという、極めて程度が高くかつ密接なものであったこと、③「大嘗宮の儀」を挙行するための莫大な額に上る費用のすべてが公金である宮廷費から支出されたことが重要である。
以上から、本件大嘗祭等の諸儀式は国の関与なしには挙行し得なかったものであり、国の関与は実質的には国が主催したと同視できるほど強度なものであったといえる。正に、国は、右諸儀式の「挙行を可能にする手だてを講」じたのである。したがって、国の右諸儀式への関与、公金支出の目的は、明白に宗教的儀式(皇室祭祀)である右諸儀式を挙行すること自体にあったといえる。
これは、私人が挙行する葬儀などに参列して香典などの儀礼的な額の金員を支出するのとは全く異なるものである。
オ 当該行為の一般人に与える効果、影響
本件大嘗祭等の諸儀式への国の関与及び公金支出の直接的な効果は、右の目的の結果として右諸儀式の挙行を可能にしたということである。これが皇室祭祀及び(皇室祭祀と宗教的本質を同じくする)神社神道に対する援助、助長に当たることは明らかである。
さらに、前記(2)の「即位礼正殿の儀」のところでも述べたとおり、本件即位の礼・大嘗祭は、神社本庁らの勢力の要望に沿った形で挙行され、それに国が莫大な予算を投じ、一大イベントとしてマスコミの連日の洪水のような報道がなされたことにより、神社神道を援助、助長、促進する絶大な効果をもたらし、その反面、国と地方自治体の奉祝活動や過剰警備、右翼による言論封殺等により皇室祭祀に違和感を持つ他宗教者や無宗教者の良心を圧迫し侵害した。
右にみたとおり、本件大嘗祭は、本件即位の礼と同様、「慣習化した社会的儀礼」などではなく、正に「一世に一度の」大規模なイベントとして挙行されたから、これに対する参列者及び一般人の関心は異常に高められ、「大嘗祭とは何か」等の皇室祭祀と神社神道に深くかかわる事柄についても興味関心が喚起され、さらにこれらをマスメディアが繰り返し取り上げて解説することにより、皇室祭祀や神社神道に対する宗教的関心が高まったことは疑い得ない。また、本件大嘗祭等の皇室祭祀を単なる皇室の私的行事とせず、公的なものとして国が深く関与し、財政的にも全面的に支援して挙行したことは、国が皇室祭祀及び神社神道に対し特別の地位を与えたことを意味する。そして、この地位は、今後も天皇の代替わりや皇太子の結婚などの皇室の重要行事が皇室祭祀として繰り返し行われることによって一層強固にされ、国家と皇室祭祀及び神社神道との間において特別に密接な関係がいよいよ強まることは明らかである。
カ 結論
以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、本件大嘗祭等の諸儀式への国の関与及び公金支出の目的は、皇室祭祀に則った歴然たる宗教的儀式である右諸儀式を挙行するという宗教的なものと認められ、その効果は、皇室祭祀及び神社神道を援助、助長、促進し、他の宗教を圧迫するものと認められるから、右諸儀式の挙行は、憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動に当たる。
(4) 以上の検討によれば、国が「即位礼正殿の儀」を国事行為として挙行したこと、並びに本件大嘗祭等の諸儀式の挙行準備及び事務に深く関与し、かつこれらのすべての儀式を行うための費用を公金である宮廷費から支出したことは、いずれもその目的が宗教的意義を持ち、その効果が特定の宗教に対する援助、助長、促進になると認められるものであり、これによってもたらされる国と皇室神道及び神社神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものであって、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に当たるというべきである。
(三) 憲法第八九条違反
(1) 憲法八九条は、その前段で、宗教上の組織団体への公金支出等を禁止している。国や地方公共団体と宗教上の組織などとの財政上の関係を断つことにより、憲法第二〇条の政教分離原則を、財政面から徹底させようとするものである。
右の立法趣旨からすれば、当然のことながら、憲法八九条の規定する宗教上の「組織」、「団体」といえるための要件として、寺院や神社のように物的施設を中心とした厳格な団体性を有することを要求してはならないというべきである。宗教上の「組織」、「団体」には緩やかな結合体や、宗教的事業ないし活動や運動を行う団体も含まれると考えるべきである。
(2) また、いかなる形態の公金支出が違憲とされるべきかについては次のように考えるべきである。
宗教的な事業ないし活動への公的な財政援助は、他の国民と同一条件で行われる限り許される。例えば、国や地方公共団体が、宗教的事業等のために、他の一般国民と同一の条件で国有地、公会堂等の利用を許す場合がその典型例である。
これに対し、特定の宗教的事業や活動などそれ自体に対して公金を支出することは、その名目や金額いかんを問わず、違憲となるものというべきである。
(3) 皇室は、皇室祭祀の宗家という側面においては、神社神道と宗教的本質を同一とする皇室祭祀(皇室神道とも称される。)という特定の宗教の信仰、礼拝を行うことをその地位に伴う不可欠の重要な活動の柱としているのであるから、「宗教上の組織若しくは団体」とは「特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織ないし団体を指す」とする最高裁昭和六二年(行ツ)第一四八号平成五年二月一六日第三小法廷判決・民集四七巻三号一六八七頁(以下「箕面忠魂碑事件判決」という。)の見解によっても、憲法八九条の「宗教上の組織若しくは団体」に当たるというべきである。実際、天皇は、現在も、明治憲法の下で行われていたものとほぼ同様の皇室祭祀を繰り返し行っており、新嘗祭、四方拝、元始祭、春季皇霊祭、式年祭など年間数十回の祭祀を行っている。これらを行うための費用が公金たる宮廷費ではなく内廷費で賄われているのは、憲法の政教分離原則及び八九条の規定に沿ったものであることはいうまでもない。
国が、本件即位の礼・大嘗祭において、その挙行費用として莫大な予算を計上し公金を支出したことは、皇室祭祀という特定の宗教的活動を行う皇室が皇室祭祀を巨大な規模で挙行することを可能にするという意味で、宗教的活動それ自体に対して公金を支出したものにほかならず、その名目や金額を問わず、憲法八九条に反し違憲というべきである。
(4) 仮に、目的効果基準に従って判断するとしても、前記(二)で述べたとおり、国が本件即位の礼・大嘗祭において総額八一億一八〇〇万円に上る莫大な予算を計上して公金を支出したことによってもたらされる国と皇室神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものと解される以上、右支出はその名目を問わず、憲法八九条の禁止する公金の支出に当たり、違憲というべきである。
10 都の行為の政教分離原則違反
(一) 都の行為の概要
知事である被告鈴木の行為を含む都の固有の行為の内容は、前記7に詳述しているとおりであるが、その要点は以下のとおりである。
被告鈴木は、三一の一連の天皇の代替わりの儀式(本件諸儀式)のうち、八つの宗教儀式に、「都道府県の総代」あるいは「都道府県知事の代表」として(「大嘗宮の儀」には夫婦同伴で、かつ深夜に八時間半を超える長時間にわたって)参列した。また、被告鈴木の右参列は、地方長官の儀式への参列、とりわけ首都東京の知事及び各都道府県の代表としての参列を意味し、右諸儀式の重要な構成要素をなしていた。さらに、被告鈴木は、単に右諸儀式に参列したのみならず、右諸儀式の中で拝礼又は敬礼という神道固有の宗教行為をも積極的に行った。また、都は、本件諸儀式と一体となった形で本件各祝賀事業を準備、遂行した。
(二) 国の政教分離原則違反との関係
(1) 前記9で述べたとおり、本件即位の礼・大嘗祭は、政教分離原則に違反した違憲の儀式である。
国であれ、都であれ、いかなる者の行為であっても、すべて最高法規である憲法による規制を受ける。したがって、憲法に違反した国の儀式に参列した被告鈴木の行為は、直ちに違憲の判断を受けるべきものである。
また、被告鈴木の前記(一)記載の諸儀式への参列行為自体に着目し、その政教分離原則違反の有無を検討するに当たっても、右諸儀式の違憲性の吟味は必要不可欠である。そもそも、本件は、国家の宗教的活動に対する都の関与が問題となっているのであるから、国の行った右諸儀式に対する憲法判断を避けることはできない。つまり参列した儀式に対する法的評価を前提とすることなしに、被告鈴木のそれへの参列行為のみを単独で取り出して評価することは意味がない。
(2) 次に、被告鈴木の行為は、国の違憲行為と相関させ、それら一連の行為の中で判断されなければならない。国の行った本件諸儀式への動員に応じて被告鈴木が前記(一)記載の諸儀式に参列したことは、国の違憲行為を完成させたものといえる。実質的にも、被告鈴木は、国が行い又は実質的に行ったとみるべき本件即位の礼・大嘗祭関連の八つの宗教儀式に参列しており、しかも、これらの儀式への参列形態は、右諸儀式の中で「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」として位置付けられていた。被告鈴木の右諸儀式への参列・拝礼は、右諸儀式に不可欠の重要な構成要素であるばかりでなく、このような位置付けにある被告鈴木が参列・拝礼を行うことは、国により挙行された右諸儀式の進行等につき、自ら積極的な関与をしたと評価せざるを得ないものである。つまり、被告鈴木の右諸儀式への参列行為は、国の行った本件諸儀式と一体化している。したがって、被告鈴木の右諸儀式への参列行為を国の行った本件諸儀式と切り離して評価することはできないのである。
(三) 被告鈴木の本件参列等の行為の政教分離原則違反
(1) 以上に述べたとおり、被告鈴木の本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式への参列(本件参列)等の行為は、いずれも無条件で政教分離原則違反となるべきものであるが、目的効果基準に従って判断しても、次のとおり政教分離原則に違反するというべきである。
ア 右諸儀式への参列と宗教とのかかわり合い
愛媛玉串料事件判決は、靖國神社等がその境内において挙行した恒例のそして最も盛大な宗教上の儀式へ県が玉串料等を奉納することは、「県が特定の宗教団体の挙行する重要な宗教上の祭祀にかかわり合いを持ったということが明らかである」とした。
「即位礼正殿の儀」と不可分一体のものである「即位礼当日賢所大前の儀」(この儀式にも被告鈴木は「都道府県の総代」として出席した。)が行われた賢所は、皇祖天照大神を祀る神道施設であり、その儀式内容は、皇室祭祀の主宰者である天皇が神道の祭具を用い、神道固有の式次第に従って行う完全なる宗教行事である。
また、「即位礼正殿の儀」そのものは、国事行為とされているが、儀式の中心となり儀式の進行をつかさどる主宰者は、皇室祭祀の最高の祭司である天皇であった。また、同儀式は、皇孫瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が、皇祖天照大神から三種の神器を授けられ地上の統治をゆだねられた時に昇ったとされる「天津高御座」において、神道祭具である剣や璽を用いて天孫降臨神話を再現する宗教儀式であり、その宗教性は明らかである。
さらに、本件大嘗祭が宗教儀式であることは、政府自身が認めているところである。
そして、被告鈴木は、本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式にいずれも「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」として参列し、かつ、拝礼という神道固有の方式に基づいた宗教行為等も行った。また、既に述べたとおり、被告鈴木の右諸儀式への参列は、右諸儀式そのものの重要な構成要素となっていた。したがって、被告鈴木の右諸儀式への参列行為が宗教上の重要な祭祀と深いかかわり合いを持つものであったことは明らかであり、その参列形態も、それが一連の神道諸儀式の中核的祭祀に本質的なかかわり合いを持つものであったことを意味している。
なお、愛媛玉串料事件判決が、「神社神道においては、祭祀を行うことがその中心的な宗教上の活動であるとされている」とし、さらに玉串料等の奉納は「宗教上の儀式が執り行われる際に神前に供せられるものであり…各神社が宗教的意義を有すると考えていることが明らか」と判示したことは、重要である。被告鈴木は、神道における重要な宗教上の儀式(宗教上の活動)に登極令に定められている皇室神道の祭式に則った方式で積極的に関与しており、したがって、皇室神道の側で被告鈴木の右諸儀式への参列が宗教的意義を有すると考えること、被告鈴木の右諸儀式への参列に対する一般人の評価が、単なる世俗化された行事、あるいは習俗化された行事への儀礼的な参列というものではなく、天皇が主宰する、それこそ一世一代の最大規模の宗教的行事への参列という評価となることは疑いを入れない。
イ 宗教上の儀式への関与の形態
本件諸儀式は、皇室祭祀及び神社神道の核心的教義を再現する極めて重要な宗教儀式であり、本件即位の礼・大嘗祭を含む三〇余の一連の宗教諸儀式が一体となって形成されているところ、被告鈴木は、右一連の諸儀式のうち重要な八つの宗教儀式に、公用車を用い、かつ「都道府県の総代」ないし「都道府県知事の代表」として参列したのであり、その参列は、右一連の諸儀式の重要な構成要素となっていたのである。また、被告鈴木は、その参列した右諸儀式の中で拝礼という神道固有の方式に基づいた宗教行為も行った。
つまり、被告鈴木が、右のごとき宗教儀式である各儀式に自ら参列し、公人として自ら拝礼という宗教行為を行うことは、儀式に参列せず単に公金により玉串料等を奉納するという愛媛県知事が行った行為に比して、その関与の形態がより直接的である。また、被告鈴木の参列した儀式の数や内容は、愛媛県の行ったそれよりもはるかに多く、しかも、その参列・拝礼が全都道府県を代表するものであって、それらの宗教儀式の重要な構成要素となっていることを併せ考えると、被告鈴木の右宗教儀式に対するかかわり合いの程度は、愛媛県知事の場合より一層深いものといわざるを得ない。
次に、愛媛玉串料事件判決の法廷意見は、香典は個人に対する哀悼の意と家族に対する弔意の表明であり、玉串料等はこれと異なって宗教団体自体の行う祭祀に対するものであって、両者については一般人の評価も全く異なるとした。また、さい銭についても、玉串料等は地方公共団体の名を示して行うが、さい銭ではそういうことはなく、社会的意味も同一でないとした。
右判示との関係で、被告鈴木の右諸儀式への参列・拝礼を検討すると、その参列・拝礼は宗教団体に対するものあるいは宗教行為自体である点で玉串料等の奉納と類似する。さらに、地方公共団体の名を示して行われる点で、さい銭とは異なるが、玉串料等の奉納とは類似するといえる。
ウ 被告鈴木の本件参列等の目的
被告鈴木が、本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式へ参列する際に公言した目的は要約すると、「日本国、日本国民統合の象徴である天皇が皇位を継承されたことに対する祝意を表すため」というものである。
しかし、宗教とかかわり合いを持った行為を行う公の機関が自ら、「宗教的理由に基づいて行った」と公言することは絶無であるから、この目的を審査するには、「公言された」世俗的目的のみに拘泥するのではなく、その背後にある実際の「顕著な」目的に深い洞察を加える必要がある。そして、その洞察においては、当該行為の持つ客観的意味から目的を推認する方法が採用されるべきである。
そこで、被告鈴木の当該行為を検討すると、次のことが明らかとなる。
まず第一に、被告鈴木は、一連の三一の宗教儀式のうち平成二年一月二三日の「賢所に期日奉告の儀」から始まって、同年一一月二三日の「大饗の儀」に至るまで、約一年間にわたり、合計八つもの宗教儀式に連続的に参列した。しかも、被告鈴木は、「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」として、その参列が特別に要請され、また、他の道府県知事と異なり、唯一、内閣総理大臣を始め三権の長らとともに、本件「即位礼正殿の儀」及び「大嘗宮の儀」以外の明白な宗教儀式である関連諸儀式にも参列し、拝礼した。
第二に、被告鈴木は、神事を法令化した登極令に則った各神道儀式に、その式次第に沿った形態で参列し、純然たる宗教行為である拝礼等を行った。
第三に、被告鈴木の右諸儀式への参列は、登極令にいう、地方高等官の儀式への参列を意味し、右諸儀式を完結させる上で不可欠の構成要素であった。
第四に、北海道、神奈川県の知事が、本件即位の礼・大嘗祭への参列は憲法の政教分離原則との関係で問題がある、あるいはそれに反するとして、出席を断っていた。とりわけ本件大嘗祭については、右両知事を含めて一六名もの知事がその理由は別にして、その参列を取り止め、かつ参列をした知事のうち少なくとも四名が私費での参列を明言していた。
第五に、国会でも、本件即位の礼、とりわけ政府が自らその宗教性を認めた本件大嘗祭への国費の支出については議論が集中し、その政教分離原則違反について疑問が提出され、また、地元の新宿区議会等においても大嘗祭の公式行事化に反対する意見書が内閣総理大臣などにあて提出されていた。さらに、数多くの市民団体等から本件即位の礼・大嘗祭が政教分離原則に違反する旨の抗議の声が上がり、マスコミ等でも種々報道されていた。
第六に、都知事の職にあった被告鈴木は、戦前より内務・自治官僚の道を一貫して歩み続け、一時は特務機関にも身を置くなど、正に戦前の国家神道体制の中枢にあった人物であり、同時に、戦後の新憲法の下の神道指令以降の改革を身をもって体験した人物であった。このような被告鈴木の経歴からして、同被告は、本件即位の礼・大嘗祭が政教分離原則に違反していることを十分認識しつつ、あえてそれらの儀式に参列した疑いが極めて強い。
以上の客観的な諸事情からすれば、被告鈴木の実際の「顕著な」目的ないし当該行為から客観的に推認される目的は、本件即位の礼についていえば、皇祖の霊座(高御座)に登壇し、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就く天皇に対する畏敬崇拝の意を表すということであったことは疑いを入れない。また、本件大嘗祭についていえば、天皇が皇祖天照大神と一体化し、現人神になる完全な宗教儀式に参列し、現人神となった天皇に対する畏敬崇拝の意を表すということであったこともまた疑いを入れないのである。
エ 一般人の宗教的評価等(社会的儀礼との関係について)
愛媛玉串料事件判決は、地鎮祭との比較で、「神社自体がその境内において挙行する恒例の重要な祭祀に際して右のような玉串料等を奉納することは、時代の推移によって既にその宗教的意義が希薄化し、慣習化した社会的儀礼にすぎないものになっているとまでは到底いうことができず」と判示した。
既に述べたとおり、本件即位の礼・大嘗祭の強度の宗教性からいえば、それらが、地鎮祭のように「宗教的意義が希薄化し」たとか「慣習化した社会的儀礼にすぎない」などとは到底いうことはできない。また、本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式への参列・拝礼が宗教的意義を有することも明らかであるので、一般人が、被告鈴木の右諸儀式への参列・拝礼を「社会的儀礼の一つにすぎないと評価しているとは考え難い」といえる。
そうだとすれば、被告鈴木において、右諸儀式への参列・拝礼が「宗教的意義を有するものであるという意識を大なり小なり持たざるを得ない」ことも疑いを入れない。
オ 被告鈴木の本件参列等の効果
この点の検討に当たっては、「宗教に対する援助、助長、促進、圧迫、干渉の効果」について、繊細な検討をしなければならない。
すなわち、具体的な効果のみならず、そのような効果がもらたす「可能性のある危険性」、「潜在的・間接的影響」や「一般人に対して他の宗教団体に比して優越的な、特別なものであるとの印象を生じさせる危険性」等にまで十分に配慮し検討しなければならないのである。
まず、被告鈴木の本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式への参列等は、前述した国の行為の効果と重複し、かつ相乗的な効果を及ぼすものである。
次に、被告鈴木が、それ自体明らかに宗教性を有する本件即位の礼・大嘗祭関連の八つの儀式に「参列」し、「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」として式次第を全うしたことの固有の意味が検討されなければならない。
都知事自ら右諸儀式に参列し、拝礼した行為は、愛媛玉串料事件判決における愛媛県の行為(靖國神社から春秋の例大祭又はみたま祭が行われることの案内があると、おおむね事前に同県東京事務所の職員が、玉串料等として支出する金員を通常の封筒に入れて靖國神社の社務所に持参し、愛媛県から玉串料等として持参した旨を告げて、靖國神社に交付していた。ただし、これらの祭祀に県の職員が参列することはなかった。)と比べ、より当該宗教への支援の効果があり、また、当該宗教への関心を呼び起こすものと一般に考えられる。しかも、本件即位の礼・大嘗祭は、テレビその他のマスコミで「全国的行事」として大々的に報道され、これにより国民の関心は盛り上げられたのであり、各地の知事らの参列等は、そのムードを盛り上げる上で大きな役割を果たした。
つまり、都知事であった被告鈴木は、右参列によって、全国四七都道府県のすべてが右一連の諸儀式に参列しているという印象を広く国民に与えたのである。このことは、皇室祭祀ないし神社神道と地方公共団体全体との潜在的・間接的な結び付きを越えて、直接的かつ顕著な結び付きを、国民全体に幅広く印象づけたことを意味する。
そうすると、被告鈴木の右参列等の行為によって皇室神道や神社神道が物質的、経済的側面において現実的、具体的に支援、促進されることはあまりなかったとしても、それが、国民一般に皇室神道及び神社神道に対する特別の関心を生じさせたことは否定できないというべきである。特に、本件大嘗祭は、国民一般の関心の的になるように時間をかけて準備されたのであり、そのための周到な計画が実施されたのである。
また、このことは、このような大規模な神道儀式の挙行を強く望み、政府に働きかけていた神道勢力を強く励まし、これらの勢力を明確な形で援助、助長をしたこととなる。そして、その反面、一般人に対して、神道が他の宗教に比較して優越するもの、特別なものであるという明確な印象を与え、かつ、他のキリスト教、仏教等の宗教に圧迫を与えたことも疑いを入れない。
カ 愛媛玉串料事件判決は、地方公共団体が他の宗教団体の挙行する同種の儀式に対して同様の支出をしたという事実がうかがわれないことを指摘しているところ、本件即位の礼・大嘗祭は、その性格上、皇室神道、神社神道以外の他の宗教(団体)儀式(たとえばキリスト教ないし仏教式)で挙行されることは考えられず、したがって、都が他の宗教(団体)が挙行する同種の儀式に対して同種のかかわり合いをすることは、過去においてそのような実例がなく、また、今後将来にわたっても全く考えられないのであり、被告鈴木の本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式への参列等により、都が特定の宗教(団体)との間にのみ意識的に特別のかかわり合いを持ったことは否定することができないというべきである。
都が特定の宗教(団体)に対してのみ本件のごとき形で特別のかかわり合いを持つことは、一般人に対して、県が当該特定の宗教団体を特別に支援しており、それらの宗教団体が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものといわざるを得ないのである。
(2) 以上の諸事情を総合して判断すれば、被告鈴木の本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式への参列等の行為は、その目的が宗教的なものであり、また、その効果は皇室祭祀ないし神社神道を援助、助長、促進し、反面において他の宗教を圧迫すると考えられるのであって、憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動に当たるというべきである。
(四) 本件各祝賀事業の政教分離原則違反
本件各祝賀事業についても、これらが政教分離原則に違反していることは明らかである。
(1) まず、政教分離原則に違反した本件諸儀式と一体となって実施された本件各祝賀事業は、憲法の禁止する政教分離原則に無条件で違反した行為というべきである。
(2) 目的・効果基準に従って判断するとしても、その結論は変わらない。
すなわち、都が実施した本件各祝賀事業は、いずれも本件諸儀式と一体をなすものとして実施されたものである。むろん、右各祝賀事業が、天皇の即位自体を祝賀するという趣旨を含んでいたことは事実である。しかし、右各祝賀事業は、天皇の即位の時期ではなく、それから一年以上も経過した、本件即位の礼・大嘗祭の時期に焦点を当てて実施されている。すなわち、天皇の即位自体よりもむしろ、本件即位の礼・大嘗祭という儀式と一体をなすものとして実施されているのである。
したがって、本件各祝賀事業の実施が政教分離原則に違反するかどうかを目的・効果基準にしたがって判断するに際しては、本件即位の礼・大嘗祭等と一体をなすものとして実施されたというその性質にかんがみ、前述した被告鈴木の本件諸儀式への参列等の行為とほぼ同様の判断に至るべきものと考えられるから、右各祝賀事業の実施行為が政教分離原則に違反することは明らかなのである。
(被告らの主張)
1 政教分離原則について
憲法は、「信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。」(二〇条一項前段)とし、また、「何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。」(同条二項)として、いわゆる狭義の信教の自由(個人の信教の自由)を保障する規定を設ける一方、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない。」(同条一項後段)、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。」(同条三項)とし、さらに「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため、…これを支出し、又はその利用に供してはならない。」(八九条)として、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(政教分離規定)を設けている。
一般に、政教分離原則とは、国家(地方公共団体を含む。以下同じ。)は宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされているところ、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の定める制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時として、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられたなどのこともあって、同憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかった。憲法は、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き、右のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、さらにその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至ったのである。元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であった。これらの諸点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。
しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的、文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。
右のような見地から考えると、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものと解すべきである。
右政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであり、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては、当該行為の主宰者が宗教家であるかどうか、その順序作法(式次第)が宗教の定める方式に従ったものであるかどうかなど、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならないのである。
憲法八九条が禁止している公金その他の公の財産を宗教上の組織又は団体の使用、便益又は維持のために支出すること又はその利用に供することというのも、前記の政教分離原則の意義に照らして、公金支出行為における国家と宗教とのかかわり合いが前記の相当とされる限度を超えるものをいうものと解すべきであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、前記と同様の基準によって判断しなければならないのである。
2 被告鈴木の本件参列等の行為について
(一) 政府は、「即位の礼準備委員会」を設け、本件即位の礼及び大嘗祭について検討した結果、平成元年一二月二一日政府見解を公表した。右見解は、本件即位の礼は、日本国及び日本国民統合の象徴として即位された天皇がそれを公式に宣明され、内外の代表より祝賀を受けられる儀式であり、皇室典範二四条の定めによる国の儀式(憲法七条一〇号)として、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重して国事行為として行うものである、また、本件大嘗祭は、皇位が世襲であることに伴う一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承の儀式であるが、その趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するとみられることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、本件大嘗祭を国事行為として行うことは困難であるとした上、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられ、その意味において、公的性格を有する皇室行事と位置付けて、その費用は宮廷費から支出することが相当である、というものであった。
(二) 被告鈴木は、都知事として、「即位礼正殿の儀」については、「即位の礼委員会」の委員長である内閣総理大臣より、また、本件皇室行事については、宮内庁長官よりそれぞれ案内を受けたことから、右政府見解を踏まえ、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に社交的儀礼を尽くすとともに、天皇への祝意を表する目的でこれに参列した。
(三) 被告鈴木が本件諸儀式に参列した経緯等は以上のとおりであり、内閣、国会、最高裁判所、地方公共団体の構成員その他多数の者の中の一人として案内を受けて儀式に参列し、拝礼等をしたにとどまり、儀式の企画、進行等には一切関与していないのである。
これに対し、原告らは、都知事が「都道府県の総代」として本件諸儀式に参列したことは、内閣総理大臣などと同一の特別の扱いを受けるほどの重要な役割を担っていた旨主張する。
確かに、被告鈴木が「都道府県の総代」として右諸儀式に参列したことは原告らの主張するとおりであるが、しかし、「都道府県の総代」の決定については、宮内庁より全国知事会に対して推せんの依頼があり、全国知事会が、当時全国知事会会長であった被告鈴木を推せんしたというにすぎないのであって、被告鈴木は、前記の案内状にも都知事の肩書きのみで「都道府県の総代」という記載がなかったことから、本件諸儀式における「都道府県の総代」という認識は全くないままこれらに参列したのである。
(四) ところで、愛媛玉串料事件判決は、愛媛県が、靖國神社又は護國神社の挙行した礼大祭、みたま祭又は慰霊大祭に伴い、玉串料、献灯料又は供物料を県の公金から支出したことは違憲であると判断しているが、被告鈴木の大嘗祭への参列行為は、右玉串料の奉納等の行為とはその内容を全く異にすることはいうまでもないところであり、特に注意すべき点としては、右玉串料の奉納等の行為は、愛媛県が自らの判断で積極的に行ったものであるのに対し、被告鈴木は、宮内庁長官の案内により受動的に本件大嘗祭へ参列したにすぎず、本件大嘗祭の儀式の計画、進行等に全く関与していないことにある。
また、玉串料の奉納等については、地方公共団体が特定の宗教団体に玉串料、供物料等の支出をすることについて、文部省、自治省等が、政教分離原則に照らし、慎重な対応を求める趣旨の通達、回答をしてきたのに対し、本件大嘗察については、政府は、政府見解として、結論的には公的性格を有する皇室行事として位置付けていたものであり、被告鈴木は、右政府見解に従い、宮内庁長官の案内により本件大嘗祭に参列したものである。
当時、右政府見解とは異なる見解が存在していたことも事実ではあるが、被告鈴木が右政府見解に従って本件大嘗祭に参列したことに責めらるべき点は何ら存しないというべきである。
(五)(1) 被告鈴木が参列した本件大嘗祭等の諸儀式は、その意義、内容及び形式からして、広い意味で神式の儀式であり、宗教的儀式とみられるから、被告鈴木の右諸儀式への参列が宗教とかかわり合いをもつものであることは否定することができないが、そのかかわり方は、一般に行われる祭礼に社会の一般慣習に従って儀礼上参列する場合と同様の性格を有するのである。
(2) すなわち、①天皇は、日本国憲法上、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴と定められ、一般的かつ大多数の国民あるいは都民はそのように考えており、②大嘗祭は、皇位継承に不可欠ではないにせよ、全体としてみれば皇室の伝統に基づく皇位継承に必要かつ重要な儀式の一つで、一世に一度の儀式であり、③大嘗祭は、神社神道の祭祀と同性質の宗教儀礼とはいえず、また、特定の宗教、宗派の教義、信仰の普及、拡大を目的とするものでも、既に消滅した国家神道の基盤であった思想・観念と結び付くものでもなく、④被告鈴木の本件参列は、大嘗祭の挙行地である都の知事という重要な公職にある者の社会的儀礼として、天皇が主宰する皇室の私的行事に際し、天皇への祝意を表す目的で行われたものであるから、その目的に宗教的な意義はなく、⑤被告鈴木は、三権の長、国会議員、他の道府県の知事ら多数の参列者とともに皇居において大嘗祭に参列したにとどまるものであって、本件大嘗祭の進行等につき自らは何らの関与もしていないのである。
憲法は天皇を日本国の象徴であり、日本国統合の象徴として定めているところ、憲法は日本国の最高規範であるばかりでなく、日本国の文化の一側面を有するのであって、それゆえに、天皇を日本国の象徴、日本国民統合の象徴としてとらえる社会的、文化的諸条件があると考えられることからすれば、被告鈴木の本件大嘗祭等の諸儀式への参列は、右に述べたように、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴とされ、国の要職にある天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、天皇への祝意を表するという効果を持つことは当然として、それ以上に、特定の宗教を援助、助長、促進し、他の宗教を圧迫するなどの効果を持つ行為ではないものである。
(3) 右に述べたとおり、被告鈴木の本件大嘗祭等の諸儀式への参列は、その目的は、天皇の皇位継承儀式に際し、天皇に対し祝意を表するという、専ら社会的慣習に従った世俗的なものであり、その効果も、天皇に祝意を表する以上に、特定の宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉になるようなものではないのである。
したがって、被告鈴木の右諸儀式への参列は、宗教とのかかわり合いの程度が我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものとはいえず、憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動には当たらないと解すべきである。
(六) そうすると、被告鈴木が都知事として本件諸儀式に参列した行為は、それらの儀式に加担する目的、効果を持つものと認めることはできず、その目的において宗教的意義は全くないものであって、政教分離原則に反するものではない。
3 本件各祝賀事業について
(一) 都は、天皇陛下の御即位に当たり、都が日本の首都であり、その区域内に皇居が存在すること、及び都の主催する各種の式典等に度々御列席を願うなど皇室との結び付きも深いことなどから、御即位に対して祝意を表するため本件各祝賀事業を実施したものである。右各祝賀事業の概略は、次のとおりである。
(1) 天皇陛下御即位祝賀記念式典
都は、平成二年一二月一九日、東京文化会館において、名誉都民、都民文化栄誉賞受賞者、関係団体代表者等約二〇〇〇名を招待して右式典を実施した。右式典においては、都民の代表者三名の祝辞、幼稚園児による花束贈呈に続いて、天皇陛下のお言葉があり、東京都交響楽団の記念演奏が行われた。
(2) 銀器の献上
国会は、平成二年六月二六日、天皇陛下御即位を祝するために贈与される物品の譲り受けについて議決をなし(憲法第八条)、内閣は、同年七月三日、右議決に基づき、皇室が譲り受けることのできる団体として、衆議院、参議院、内閣又は最高裁判所の構成員等によるもの、及び都道府県等と定め、さらに宮内庁は、その具体的な取扱手続等を定めた(平成二年七月三日付宮内総発第三五六号)。
都は、右方針等に即して検討した結果、御即位のお祝いにふさわしいものとして、都を代表する歴史と伝統のある工芸品である東京銀器の献上を決定し、献上した。
(3) 祝賀御列の沿道における菊花装飾
都は、従来から、外国の要人のためのパレード等の際、相当の人出が予測されることから道路における草花の装飾を施行してきているところ、「祝賀御列の儀」が国事行為として行われ、最大規模の人出が予想されることから、外国の要人のためのパレード等の行事と同様に、道路環境整備の一環として右菊花装飾を施行したものである。なお、草花の種類は、季節に応じて変化をもたせ、秋に菊花装飾とすることは、通常行われているところである。
(4) 水元公園における植樹
都は、水元公園の年間維持管理業務による樹木の植栽及び補植等通常の公園の維持管理の一環として右植樹を実施し、ソメイヨシノ三本を植樹した。
(5) 都民の森における植樹
都は、都民の森において例年行っている森林愛護、緑化推進運動及び造林奨励等の事業の一環として右植樹を実施し、モミの木三本を植樹した。
(6) 本件記念乗車券の発売
記念乗車券は、都民の関心の深い行事について、その行事を記念して発売するものであるが、都交通局は、天皇陛下の御即位は右の趣旨に合致するものとして、本件記念乗車券を発売したものである。
(二) 以上のとおり、都の実施した本件各祝賀事業は、都が天皇陛下御即位に祝意を表するため自らの判断の下に企画、実施したものであり、その内容において宗教性を帯びるものは一切ないから、本件各祝賀事業は政教分離原則に違反するものではない。
(三) 原告らは、都の本件各祝賀事業は、本件即位の礼及び大嘗祭と一体となって実施されたものであって、それ自体でも宗教性を持つものであり、政教分離原則に違反する旨主張する。
しかし、本件各祝賀事業の実施時期については、昭和天皇の死後ある程度の期間祝賀事業を差し控えるのは社会通念上当然のことであり、さらに国においても祝賀儀式を実施することが予定されているのであるから、その実施、時期との関連において検討することもまた当然のことであって、都は、右のことに配慮しながら右実施時期を決定したのである。
四 本件支出が国民主権原理・象徴天皇制(憲法一条)に違反するか否か(争点4)について
(原告らの主張)
1 本件諸儀式の服属儀礼性
登極令をほぼ完全に踏襲して行われた本件諸儀式は、明治憲法の下における絶対的神権的統治者としての天皇の地位を天孫降臨神話に基づいて正当化し、神聖天皇の就任を祝うとともに、国民がその神聖天皇の支配に服するという意味を持った儀式である。したがって、これら一連の諸儀式は、宗教性のみならず、強度の服属儀礼性を有している。また、各儀式を個別にみても、次のとおりその服属儀礼性は明らかである。
(一) 「即位礼正殿の儀」の服属儀礼性
「即位礼正殿の儀」に用いられた高御座の八角形の形態は、大八洲と呼ばれた日本全国を支配するという象徴的意味を持ち、右儀式の内容も、天皇がその高御座の上から即位を宣言し、内閣総理大臣が天皇を見上げる位置から寿詞を読み上げて万歳を三唱し、参列者が唱和するというものであって、その服属儀礼性は明らかである。
(二) 「大嘗宮の儀」の服属儀礼性
「大嘗宮の儀」においては、悠紀殿・主基殿が敷設され、悠紀田・主基田という国の東西の地方で収穫された新穀が神饌として使用されるとともに、悠紀殿・主基殿の南庭の帳殿に「庭積机代物」として魚介類、野菜、果実等の日本全国からの献上物が置かれる。
悠紀殿・主基殿や悠紀田・主基田は、天皇の地位が全国に及ぶことの象徴であり、庭積机代物も日本全国が天皇の支配に服することの象徴である。このように、「大嘗宮の儀」の服属儀礼性もまた明らかである。
(三) 参列・拝礼行為の宗教性と服属儀礼性
本件諸儀式が、天津日嗣たる神聖天皇が日本の支配者としてその地位に就くという儀式である以上、地方の統治者として被支配者を代表して本件諸儀式に参列し、その就任を祝って万歳を三唱し、かつ、拝礼した都知事である被告鈴木の行為が、神聖天皇の支配の正当性を承認するとともに、被支配者としてその支配に服することを象徴的に表す服属儀礼性を有することも明らかである。
2 本件即位の礼・大嘗祭の違憲性―象徴天皇制と国民主権原理からの逸脱
(一) 本件即位の礼の違憲性
(1) 本件即位の礼について、政府は、平成二年一月一九日付の「『即位の礼』の実施について(大綱)」の冒頭で、「『即位の礼』は、国の儀式(憲法第七条第一〇号)として、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重して、次の要領により挙行する」と述べ、憲法七条一〇号(「儀式を行ふこと。」)の国事行為としてその合憲性を根拠付けている。
しかしながら、憲法七条一〇号にいう「儀式」については、当然のことながら、他の憲法規範に違反してはならないという厳格な制約が課せられている。すなわち、まず、天皇が主宰する「儀式」(憲法七条一〇号)は、国民主権原理と矛盾するものであってはならない。戦前の絶対的神権的天皇制の下で儀式が極めて重要な政治的役割を果たしたこと、現在も天皇に政治的影響力を持たせようとする政治勢力が現実に政治に一定の影響力を与え続けていることを考えると、この点は特に強調されなければならない。また、憲法七条一〇号の「儀式」は、決して宗教性を帯びてはならず、いかなる宗教とも全く無関係なもの、宗教的色彩を一切取り除いたものでなくてはならない。これは、憲法が国家と宗教との分離の原則を採用していることから出てくる当然な結論である。
(2) これを本件についてみるに、本件即位の礼は、天孫降臨神話を具現する宗教儀式であり、右神話に由来する「高御座」が用いられたこと、「三種の神器」の剣と璽が高御座の左手の案に置かれていたことなど、その宗教性は明白である。また、右儀式は、海部首相が天皇から一段低い位置に立って「天皇陛下万歳」を唱えるなど、服属儀礼的性格を有するものであって、国民主権原理とは相容れない儀式であった。
したがって、本件即位の礼は、右のとおり宗教性があり、国民主権原理と矛盾するという点において、憲法七条一〇号の「儀式」の限界を超え、違憲というべきである。
(二) 本件大嘗祭の違憲性
本件大嘗祭が憲法の規定する国事行為に該当しないことは明白であるから、そもそも天皇が大嘗祭という儀式を行なうことが天皇の行為の限界との関係で、憲法上許されるのかが問題となるところ、以下に述べるとおり、本件大嘗祭は天皇が憲法上行いうる行為の限界を超えており、違憲である。
(1) 天皇という公務員の行為については、国事行為以外の行為は認められていないと解される(いわゆる「二行為説」)ところ、国事行為となし得ない本件大嘗祭は天皇が行いうる行為の限界を逸脱しており、明らかに違憲である。
(2) 仮に、国事行為と私的行為(これは公務員たる天皇の行為ではない)以外に公務員たる天皇としての行為を認める見解(いわゆる「三行為説」)に立っても、本件大嘗祭の違憲性は明白である。
ア すなわち、三行為説は、天皇の伝統的権威を維持復活させようという意図から、国事行為以外の行為を天皇が次々に実施するという現実の政治の状況の下、天皇の行為が無限定に拡大していくことを規制するという強い目的意識の下に提唱されたものである。
したがって、国事行為以外に、準国事行為、象徴としての行為、公的行為(以下このような行為を総称して便宜上「公的行為」という)など、公務員たる天皇としての行為類型を認めるこれらの見解においても、その範囲においては厳しい限定が付されている。すなわち、これら公的行為の範囲は、憲法の国事行為が限定的に列挙されていることに対応して、これに準ずるものとみるべき実質的な理由のあるものに限られるとされている。
また、三行為説に立った場合、公的行為についても国事行為と同様、内閣の「助言と承認」あるいはこれに準ずるコントロールが求められ、その実施については全面的に内閣の責任の下に置かれることが必要とされる。
さらに、三行為説に立った場合、国費の支出についても国事行為に準じた取扱いがされることになる。すなわち、公的行為の費用については、宮内庁が経理する国費である宮廷費(皇室経済法五条)から支出されるべきものとされ、天皇の私有財産であり天皇の公務員としての給与に当たる内廷費(同法四条)をもって支出すべき費用とは明確に区別されるのである。このような区分は、国費の支出は、その妥当性に関する国民のコントロールに基づいて行なわれなくてはならないという財政民主主義(憲法八三条、八八条など)からの帰結である。
イ これを本件についてみると、以下のとおりである。
本件大嘗祭が宗教性を帯びた儀式であることは、政府見解自体が認めるところであり、また、本件大嘗祭は、服属儀礼的性格を有する国民主権原理に反する儀式である。それゆえ、政府自身も、本件大嘗祭を憲法七条一〇号の儀式として行なうことができないものと判断したのである。
アで述べたとおり、公的行為の範囲は、憲法の国事行為に準ずるとみるべき実質的な理由のあるものに限られるとされているにもかかわらず、このように他の憲法規範と矛盾するという理由で国事行為としてなし得ないとしたものを、公的行為として実施することは明らかな脱法的行為であり、認められない。
また、政府見解は、大嘗祭を「その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式」としているが、公的行為の場合も、前述のとおり、その行為には内閣の「助言と承認」あるいはこれに準ずるコントロールが必要であり、その前提としては当然に「国がその内容に立ち入ること」が不可欠なのであって、国が内容に立ち入ることのできない行為を公的行為とする余地はないというべきである。
国がその内容に立ち入ることができず、したがって、国のコントロールが及び得ない行為について、国費を支出することは、皇室費用に関する民主的コントロールを義務付けた憲法八八条及びその基礎にある財政民主主義原則に正面から背馳するものである。
(3) 政府見解について
政府見解は、天皇の行為を「国事行為」、「公的行為」及び「その他の行為」と分類し、「その他の行為」の中に、「純粋な私的な行為」と「公的性格がある、ないし公的色彩がある」行為の二つの類型があるとし、本件大嘗祭はこの「公的性格がある、ないし公的色彩がある」行為に該当するとして、これに対する国費(宮廷費)の支出を含め、国が人的物的に援助することが許されるという解釈をとっている。従前、政府は、公的行為の範囲に関する限定的解釈の姿勢は極めて不十分であったとはいえ、三行為説をとっていたのであり、右解釈は政府見解の明確な変更である。
政府があえてこのような特異な解釈を行なったのは、明らかな宗教儀式である上に、「国がその内容に立ち入ることのなじまない性格の儀式」であって内閣の責任の下に置くことのできない大嘗祭を、これまでの「公的行為」という政府見解の枠組の中で合憲とするのは不可能だという認識が存在するものと思われるが、このような解釈が脱法的解釈であり、認められないことは明白である。右のような異様な憲法解釈をとって合憲性を説明しなくてはならないこと自体、大嘗祭の違憲性を端的に示しているのである。
(三) 都の行為の違憲性―象徴天皇制と国民主権原理からの逸脱
本件諸儀式に関連して、都は、都知事であった被告鈴木が「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」として明白な神道儀式を含む右諸儀式に参列し、また、本件各祝賀事業を行なうなど、本件諸儀式と不可分一体の形で、各種の行為を行なった。これらの行為自体もまた、象徴天皇制と国民主権原理から逸脱した明白な違憲行為である。
(1) 都知事の本件参列等の行為について
被告鈴木は、本件即位の礼・大嘗祭を含む八儀式にわたって関連諸儀式に参列し、それらの中の明白な神道儀式において拝礼という宗教行為を行なった。
これらの被告鈴木の行為は、右諸儀式が天皇が神であることを前提とする天孫降臨神話を具体化したものであったこと、「即位礼正殿の儀」において当時の海部首相が天皇よりも約1.3メートル低い位置から「天皇陛下万歳」を叫んだことなど、それらの内容にかんがみると、天皇が国民とは異なった神としての権威を持った存在である、あるいは国民よりも一段高い位置の存在であることを前提としたものであって、国民主権原理に反する行為であったことは明らかである。
なお、天皇が象徴であるということから、被告鈴木の右行為の違憲性が阻却されるものではない。前記三(原告らの主張)1(三)(2)で述べたとおり、天皇が象徴であることからは何らの積極的な意味は導き出されないものであり、したがって、天皇が象徴であるということは、本来的には違憲な行為を合憲とするという原因にはなり得ないのである。
(2) 都の行った本件各祝賀事業について
都は、前記第二の二2(二)記載のとおり本件各祝賀事業を行った。
右各祝賀事業は、その内容からも、これらが実施された時期からも、天皇の即位自体ではなく、本件即位の礼・大嘗祭という天孫降臨神話の具体化たる儀式と一体をなすものとして実施されたものであることは明らかである。
すなわち、右各祝賀事業は、憲法上の特別国家公務員である天皇の地位への明仁の就任ではなく、明仁が万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就くことに対する祝賀として実施されたものである。したがって、右各祝賀事業が国民主権原理に違反するものであることは明らかである。
(四) 皇位世襲制(憲法二条)について
(1) 皇位の世襲制(憲法二条)の意味
皇位の世襲制は、法の下の平等原則(憲法一四条一項)と正面から矛盾し、また、国民主権原理との関係でも厳しい緊張関係にある制度である。したがって、右世襲制を法の下の平等原則や国民主権原理といった憲法の基本原理と調和させるためには、それは、天皇という公務員の後継者確保を確実ならしめるためにその選任方法として採用されたものと解するほかない。それ以上の解釈を憲法二条から導くことは、日本国憲法の基本原理の優越性を無視するものであり、許されないというべきである。
(2) 政府見解は、皇位の世襲制を本件大嘗祭の合憲性の根拠付けとしているかのようであり、本件即位の礼においてもこのことは当然の前提とされているかのようである。
すなわち、政府見解は、「大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとるわが国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる」と述べる。
(3) しかし、右政府見解は、具体的に検討すると極めて非論理的な見解である。まず、政府見解は、大嘗祭を「皇位が世襲であることに伴う」「伝統的皇位継承儀式」とするが、皇位継承儀式は皇位の世襲に不可欠な要件ではない。したがって、「伴う」という言葉の意味するところは明らかでない。また、皇位の世襲制は、皇位継承儀式全般の合憲性を基礎付けているのか、「伝統的」皇位継承儀式のみが、世襲制によって合憲とされる趣旨なのかも明らかではない。
このように、政府見解では、何ゆえ、世襲制が大嘗祭の合憲性の根拠付けとなるのかについての論理的説明は全くなされていない。
(4) また、右政府見解は、憲法二条の内容として、天皇という公務員の選任方法という以上の内容を大幅に読み込むという誤った解釈を前提として初めて成り立つものである。
すなわち、右政府見解は、憲法二条の「世襲制」という概念の中に皇位継承儀式を不可分一体のものとして読み込み、かつ、右の「世襲制」という概念が、その儀式の形式を現行の憲法制定以前の歴史を踏まえたものにすることを要請していると解釈するのである。
右解釈のうち、「世襲制」という概念が「伝統的」皇位継承儀式の実施を要請しているという点はより重大な問題をはらんでいる。
すなわち、世襲制が、日本国憲法で初めて創設された公務員「天皇」の選任方法である限り、大日本帝国憲法の下でどのような皇位継承儀式が行なわれていたかは無関係であり、現行の憲法の下で「伝統的」皇位継承儀式なるものが存在する余地はない。
しかも、ここでいう「伝統的」皇位継承儀式とは、結局のところ、絶対的神権的天皇制を維持強化するために制定された登極令の定める儀式そのものであり、何ら尊重すべき「伝統」ではないこと、登極令の定める儀式は、明治時代に創設された皇位継承儀式であり、何ら「伝統」ではないこと、さらに、大嘗祭については中世に二〇〇年以上にわたって中絶しており、「伝統」とはいえないことをも併せ考慮するならば、右政府見解の違憲性は明白である。
(5) したがって、本件において政府見解等が根拠としているような、皇位の世襲制(憲法二条)が本件即位の礼・大嘗祭の合憲性の根拠とならないことは明白である。
(被告らの主張)
1 被告鈴木の本件参列等の行為について
前記三(被告らの主張)2で述べたとおり、被告鈴木は、都知事として、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承儀式に儀礼を尽くし、祝意を表する目的で参列したのであり、その目的において宗教的意義は全くなく、また、内閣、国会、最高裁判所、地方公共団体の構成員その他多数の者の中の一人として案内を受けて右儀式に参列したにすぎないのであって、その参列は、内閣総理大臣のように右儀式の主催者側の参列とは全くその意味を異にするのである。
なお、被告鈴木が、右儀式の企画、進行等に一切関与してないことはいうまでもない。
以上のことからして、被告鈴木が都知事として右儀式に参列した行為は、右儀式に加担する目的、効果を持つものとはいえず、象徴天皇制に違反するものではない。
2 本件各祝賀事業について
都が本件各祝賀事業を行った経緯及び内容は前記三(被告らの主張)3(一)で述べたとおりである。右各祝賀事業は、都が天皇陛下御即位に祝意を表するため自らの判断の下に企画、実施したものであり、その内容において宗教性を帯びるものは一切ないのであって、本件各祝賀事業は象徴天皇制に違反するものではない。
五 本件支出が思想・良心の自由の保障を定めた憲法一九条に違反するか否か(争点5)について
(原告らの主張)
1 思想・良心の自由の意味
(一) 憲法一九条の趣旨
思想及び良心とは、内心における物の見方ないし考え方をいい、その自由は個人の人格的存在に不可欠なものであり、かつ、民主主義を支える精神的自由の中核として保障されている。思想及び良心は、諸外国の憲法等の用例では宗教上の信仰と同義語に用いられてきたが、今日においては宗教上の信仰に限らず、広く世界観、主義及び思想や特定の主張を持つことを含むものと解されている。「表現の自由」、「信教の自由」、「学問の自由」などが十全に保護されれば、「思想・良心の自由」が妥当すべき余地は多くはなく、比較法的にみて端的に思想・良心の自由を保障する憲法が少ないのはこのためであると考えられる。
それにもかかわらず憲法が一九条を設けたのは、明治憲法の下で、「教育勅語」や国民学校制度、数々の思想弾圧事件によって国民の内面の思想や良心そのものを統制し、天皇中心の体制や軍国主義への批判を含む思想に対する抑圧や干渉が行われたことにかんがみて、国民の精神の自由の保障を完全にしようとしたものである。すなわち、憲法一九条は、国民が天皇の道徳的権威から解放されるべきことを示すものとして特に設けられたのであり、実際、天皇の道徳的権威からの解放は極めて今日的な課題である。すなわち、未だ我が国においては、天皇や天皇制のあり方について異議を唱えることには大きな躊躇と勇気とを必要とするのであり、このような風土の下では、思想及び良心の自由は、とりわけ天皇に関する事項との関係において、十分に保障されなくてはならないのである。
(二) 思想及び良心の自由の侵害の意味
思想及び良心に対する制限がまず問題になるのは、人がある思想・信条、宗教等を有すること又は有しないことを理由とする不利益な取扱いやいかなる思想・信条、宗教等を有しているかを強制的に告白させることなど、思想及び良心の表れとみられる外部的行為に何らかの制約が加えられる場合である。しかし、ここにいう「制約」とは、思想及び良心の自由の重要性やデリケートさを考慮すると、右のような、一定の思想や良心の形成・維持やそれに基づく行動を直接的に禁止する「直接的侵害」の場合に限られず、「間接的侵害」や「実質的負担」が個人に対して課せられる場合も含むと解するのが相当である。すなわち、人が思想、良心、信仰等を形成し、維持し、それに基づいて行動することについて、国や地方自治体がこれを圧迫し、これに干渉するなど、不当な影響を与えることは禁止されるのである。
もっとも、かかる場合であっても、その制約目的が他の基本的人権との調和の見地からみて正当であり、かつその制約手段が相当である場合には、国や地方自治体において、個人の思想及び良心に基づく外部的行為に一定の制約を加えることも許され、憲法一九条には違反しないと考えられるが、逆に、思想及び良心に基づく外部的行為の制約が、他の基本的人権との調和という正当な目的を有しないとき、若しくは制約手段が相当性を有しないときには、国や地方自治体が右制約を加えることは憲法一九条に違反するというべきである。
2 本件における思想及び良心の自由の侵害
以上を本件についてみると、本件即位の礼・大嘗祭を含む本件諸儀式を奉祝する必要性は、憲法上全く存在しないのみならず、国や地方団体は、国民に対し右奉祝を強制したものであり、奉祝強制の態様としても、後記(二)記載のとおり、国や地方自治体が莫大な予算と公務員を使い、マスコミを通じて連日連夜洪水のような報道を国民に注入し、批判的な言論がテロにさらされるや、これを口実にして過剰警備で市民生活に干渉し、良識ある批判の声を無視して奉祝を強制したのであり、右奉祝の強制は正に国と地方自治体による思想及び良心の自由の侵害であった。
(一) 象徴天皇の即位の奉祝は不要
本件即位の礼・大嘗祭を実施するとしても、それを祝うか祝わないかは正に個人が思想及び良心に従って自由に決すればよいことであり、これを国や地方自治体として奉祝しなければならない合理的な必要性は全く存在しない。
また、神社神道など一部の人々が、その教義に基づいて、本件即位の礼・大嘗祭が公的な宗教儀式・服属儀礼として奉祝されつつ行われることを希望して運動していたとしても、この希望が実現しなければ、奉祝を希望する人々は私財によって奉祝することができるのであるから、何らこれらの人々の人権が侵害されるものではない。そうであれば、右即位の礼・大嘗祭を国や地方自治体が特段奉祝しなかったとしても、他者の基本的人権がおびやかされることは一切ないのであるから、思想及び良心に基づいて奉祝を希望しない人が、人権相互の調整の見地から一定の奉祝を受忍しなければならないような必要性は、全く存在しないのである。
したがって、国や地方自治体による奉祝強制は、それ自体全く必要性を欠く個人の思想及び良心の自由に対する制約であり、この一事をもってしても憲法一九条に違反するのである。
(二) 奉祝強制の態様
しかも、国や地方自治体による奉祝強制は、国民各層の生活全般にわたって深刻な被害をもたらしたのであり、その態様においても憲法一九条に違反することは明白である。
(1) 国と都による奉祝の強制
国は多くの反対意見を無視し、莫大な国費を費やし、人的にも物的にも丸抱えで神社神道の教義に沿った服属儀礼を強行したが、その際、即位の礼の当日を休日とし、国旗の掲揚を義務付け、お祝い品の要請をし、恩赦の実施、記念硬貨・記念切手・記念貯金証書の発行などによって奉祝を強制した。
都は、国の右各行為と有機的一体をなす形で、本件諸儀式に主体的に参列し、その中で神道儀式、服属儀礼の重要部分を担った。そして、平成二年一一月九日、都知事であった被告鈴木は、都議会において、宗教儀式、服属儀礼である代替わり儀式について、「式典には私も都民を代表して参列するとともに、賀表を奉呈することといたしております。この喜びを都民とともにわかち合い、祝賀の意を広く表するために、都は記念式典並びに記念行事を開催することといたしました。天皇陛下及び皇室の御繁栄を祈念しつつ、一二〇〇万都民とともに、衷心より慶賀の意を表する次第であります。」と述べ、都民に奉祝を強制した。そして被告鈴木は、この声明どおりに本件諸儀式に「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」という重要な役割をもって積極的に参列し、神道固有の拝礼行為を行い、都は本件各祝賀事業を大々的に行ったのである。
(2) マスコミによる奉祝の事実上の強制
国及び都は、テレビ・新聞・雑誌などのマスコミを総動員して、全国的規模で、連日連夜、本件諸儀式そのものとともにこれらへの奉祝を強制する内容の報道をさせた。特に、昭和天皇の死去以前の下血報道から、天皇を美化する画一的な報道が行われていたため、天皇に関して異論を唱えることに躊躇を覚えざるを得ない社会的状況が作られていた。このため、本件諸儀式そのものを伝え、これらへの奉祝を強制する内容のマスコミ報道は、国民の思想及び良心の形成、維持に対して特別に大きな影響を与えた。
(3) 右翼による批判的言論の封殺
一部の右翼は、国と地方自治体の奉祝活動に乗じて、暴力的に、本件即位の礼・大嘗祭の奉祝を強要したり、奉祝に反対する言論を封殺する活動を展開し、小学校入学式に乱入して日の丸掲揚を強要し、本件諸儀式の公的行事化に反対する声明を出した学者の大学に宣伝車一〇台で押しかけるなどした。そして、昭和天皇の戦争責任に言及した本島長崎市長が狙撃され、弓削達フェリス女学院大学学長の自宅に銃弾が打ち込まれるなどした。こうしたテロは、奉祝に反対の意見を表明することを著しく萎縮させた。
(4) テロを口実とした過剰警備による市民生活への干渉
テロを口実とした過剰警備は、一三〇日間、最大三万七〇〇〇人という東京サミットをしのぐ規模で行われ、大学での自主活動への干渉、郵便小包の検査、スポーツ・文化諸行事の日程変更、空港や市街地での荷物検査、駅のロッカー等の使用禁止、空き家の検索など、警察当局は、市民生活の隅々にまで干渉し、戒厳令のごとき状況となった。これにより、奉祝に反対の人は正に屈辱的労苦を強いられたし、反対の意見を表明することは実際上不可能若しくは著しく困難となり、奉祝に反対する思想及び良心の形成、維持、表現は不当な圧迫を受けた。
(5) 国民、都民の反対の声の無視
奉祝が強制される中でも勇気と良識をもって反対の意見を表明する動きもあった。国会での意見聴取における発言、社会党、公明党、共産党などの政党の反対意見表明、日本弁護士連合会の会長談話、様々な市民運動や訴訟などの形で反対の意思が表明された。
都においても、清瀬市議会が反対の意見書を採択し、新宿区議会でも何人に対しても祝意の強制が行われることのないよう要請することなどを内容とした反対の意見書が採択された。
(三) 本件即位の礼・大嘗祭の挙行等の行為による思想及び良心の自由の侵害
このような国と都の何ら必要性のない行為によって、毎日のように国民に対する本件諸儀式への祝意の事実上の強制が行われることになった。これによって原告らを含む多くの国民は、自らの「祝いたくない心情」を著しく害され、その結果言い表せないような不快感、憤慨感を強固にもたされた。すなわち、内心の静穏を著しく害され、自らの思想、良心、信仰等を形成、維持し行動する上で著しい圧迫や干渉を受け、大きな精神的苦痛を被ったのである。
また、原告らを含む多くの都民にとって、とりわけ被告鈴木が、「都民を代表して」、登極令に則った本件諸儀式に参列し、しかも「天皇陛下及び皇室のご繁栄を祈念しつつ、一二〇〇万都民とともに」祝意を表明したこと及び都が各種「奉祝事業」を実施したことは、耐え難い精神的苦痛をおぼえるものであった。すなわち、自己の意思に反した意見表明を、何ら政策的必要性が存在しないにもかかわらず、被告鈴木が代替して行ったことによって原告らの「祝いたくない意思」は大きく侵害されたのである。
そして、このような苦痛は、天皇の名で行われた戦争の犠牲者の遺族や、絶対的神権的天皇制の下で思想及び良心の迫害を受けた人々、そして昭和天皇の病気中から様々な生活や文化や営業への悪影響を被ってきたために天皇の代替わりを祝いたくない意思を有する人々にとっては、とりわけ耐え難いものであったといえる。
したがって、本件即位の礼・大嘗祭及びこれに関連した都の行為は、前記1(二)の基準に照らしても、国民の思想及び良心の自由を侵害するものであって違憲というべきである。
(被告らの主張)
原告らの主張は争う。
都が本件各祝賀事業を実施した理由及び内容は、前記三(被告らの主張)3(一)で述べたとおりであり、参加を強制するものではないことは明らかであるし、実際にも、都民に対し、本件各祝賀事業への参加を強制したことは全くない。
そして、どの程度の規模の祝賀記念行事を実施するかは、都の裁量に属するものであるところ、本件各祝賀事業の経費の額は、都の財政規模(平成二年度一般会計当初予算額六兆六六三〇億円、補正予算額一〇一九億円)からみても妥当なものであって、右各祝賀事業が、原告らの思想・良心の自由を侵害するものである旨の原告らの主張は失当である。
六 被告らの損害賠償責任の有無(争点6)について
(原告らの主張)
1 被告鈴木の賠償責任
(一) 被告鈴木は、本件支出当時、都知事の地位にあり、都を統括かつ代表し(法一四七条)、都の予算及び議会の議決に基づく事務その他都の事務を自らの判断と責任において誠実に管理し、執行する義務を負い(法一三八条の二)、予算の執行、財産の取得、管理及び処分等の広範な財務会計上の行為を行う権限を有していた。他方、本件支出当時、都財務局長は、知事の命を受け、財務局の事務をつかさどり、所属職員を指揮監督し、随時文書又は口頭をもって知事に報告をすべき立場(東京都組織規程一四条の二)にあった。
右の都知事の地位からすれば、被告鈴木には、都知事として、財務局で財務会計上の行為を補助執行した職員あるいは権限の委任を受けた職員が違憲・違法な行為をなさないよう、財務局長ら職員を指揮監督し、違憲・違法な財務会計上の行為が行われるのを阻止すべき義務があったものである。しかるに、被告鈴木は、政教分離原則を定める憲法二〇条三項、八九条、国民主権原理を定める憲法一条、思想良心の自由を定める憲法一九条に違反する本件参列及び祝賀御列における沿道の菊花装飾を行うことを自ら決定し、その財務局長の指揮監督下で補助執行した職員あるいは権限の委任を受けた職員に本件自動車運行費のうちのガソリン代(前記第二の二3(一)(1))及び右菊花装飾費用(前記第二の二3(四))を支出させた。
したがって、被告鈴木は、右各費用の支出負担行為、支出命令について、右各職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務の履行を怠り、都に右費用相当額の損害を与えたものとうべきであって、都に対し、右費用相当額の損害を賠償する責任がある。
(二) 被告鈴木は、本件支出当時、都知事の地位にあり、前記(一)記載のとおりの義務を負い、広範な財務会計上の行為を行う権限を有していた。他方、被告鹿谷は、本件支出当時、都総務局長の地位にあり、知事の命を受け、総務局の事務をつかさどり、所属職員を指揮監督し、随時文書又は口頭をもって知事に報告をすべき立場(東京都組織規程一四条の二)にあった。
右の都知事の地位からすれば、被告鈴木には、都知事として、財務会計上の行為につき権限の委任を受けた総務局長たる被告鹿谷あるいは総務局で財務会計上の行為につき補助執行した職員あるいは権限の委任を受けた職員が違憲・違法な行為をなさないよう、被告鹿谷ら職員を指揮監督し、違憲・違法な財務会計上の行為が行われるのを阻止すべき義務があったものである。しかるに、被告鈴木は、政教分離原則を定める憲法二〇条三項、八九条、国民主権原理を定める憲法一条、思想・良心の自由を定める憲法一九条に違反する本件各祝賀事業を行うことを自ら決定し、右違憲・違法な事業が行われるのを漫然と放置した。
したがって、被告鈴木は、前記第二の二3の(一)(2)、(二)(1)ないし(5)及び(三)の費用の支出負担行為、支出命令について、総務局長たる被告鹿谷ら職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務の履行を怠り、都に右費用相当額の損害を与えたものというべきであって、都に対し、右費用相当額の損害を賠償する責任がある。
(三) 被告鈴木は、本件支出当時、都知事の地位にあり、前記(一)記載のとおりの義務を負い、広範な財務会計上の行為を行う権限を有していた。他方、被告塚越は、本件支出当時、都北部公園緑地事務所長の地位にあり、知事の監督下にある建設局長(東京都組織規程一四条の二)の命を受け、所属職員を指揮監督し、所掌の事務をつかさどる立場(同組織規程三三条、別表三、三四条)にあった。
右の都知事の地位からすれば、被告鈴木には、都知事として、財務会計上の行為につき権限の委任を受けた都北部公園緑地事務所長たる被告塚越及び同事務所で財務会計上の行為につき補助執行した職員あるいは権限の委任を受けた職員が違憲・違法な財務会計上の行為をなさないよう、被告塚越ら職員を指揮監督し、違憲・違法な行為が行われるのを阻止すべき義務があったものである。しかるに、被告鈴木は、政教分離原則を定める憲法二〇条三項、八九条、国民主権原理を定める憲法一条、思想・良心の自由を定める憲法一九条に違反する水元公園における記念植樹の行事を行うことを自ら決定し、右違憲・違法な事業が行われるのを漫然と放置した。
したがって、被告鈴木は、右植樹の請負等代金の支出負担行為、支出命令について、被告塚越ら職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務の履行を怠り、都に右請負等代金相当額の損害を与えたものというべきであって、都に対し、右請負等代金相当額の損害を賠償する責任がある。
(四) 被告鈴木は、本件支出当時、都知事の地位にあり、前記(一)記載のとおりの義務を負い、広範な財務会計上の行為を行う権限を有していた。他方、被告渡邊は、本件支出当時、知事の監督下にある都西多摩経済事務所長の地位にあり、所属職員を監督し、所掌の事務をつかさどる立場(同組織規程三三条、別表三、三四条)にあった。
右の都知事の地位からすれば、被告鈴木には、都知事として、財務会計上の行為につき権限の委任を受けた都西多摩経済事務所長たる被告渡邊及び同事務所で財務会計上の行為につき補助執行した職員あるいは権限の委任を受けた職員が違憲・違法な行為をなさないよう、被告渡邊ら職員を指揮監督し、違憲・違法な財務会計上の行為が行われるのを阻止すべき義務があったものである。しかるに、被告鈴木は、政教分離原則を定める憲法二〇条三項、八九条、国民主権原理を定める憲法一条、思想・良心の自由を定める憲法一九条に違反する都民の森における記念植樹の行事を行うことを自ら決定し、右違憲・違法な事業が行われるのを漫然と放置した。
したがって、被告鈴木は、右植樹の苗木購入等代金の支出負担行為、支出命令について、被告渡邊ら職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務の履行を怠り、都に右苗木購入等代金相当額の損害を与えたものというべきであって、都に対し、右苗木購入等代金相当額の損害を賠償する責任がある。
(五) 前記一(原告らの主張)で述べたとおり、被告鈴木には、都知事として、出納長の指揮監督下にあった当時の金銭出納員及び特別出納員が違憲・違法な行為をなさないよう指揮監督し、違憲、違法な財務会計上の行為を阻止すべき義務があったものである。しかるに、被告鈴木は、憲法二〇条三項、八九条、国民主権原理を定める憲法一条、思想・良心の自由を定める憲法一九条に違反する本件参列及び本件各祝賀事業を行うことを自ら決定し、出納長から権限を委任された職員が右違憲・違法な本件参列及び本件各祝賀事業のための費用を支出するのを漫然と放置した。
したがって、被告鈴木は、右各支出行為に関し、当時出納職員であった者の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務の履行を怠り、都に右各支出相当額の損害を与えたものというべきであって、都に対し、右各支出相当額の損害を賠償する責任がある。
(六) 被告鈴木は、都知事として予算執行権及び会計監督権等を有し(法一四九条二号、五号、六号等)、交通局長を選任する(地方公営企業法七条の二)立場にある。しかも、被告鈴木は、本件記念乗車券の発売を記念行事の一環として自ら決定している。すなわち、本件記念乗車券の発売が都の事務の執行と鉄道事業の業務の執行との間の調整を図るべき業務と考えられたことから、被告鈴木の指示の下に本件記念乗車券の発売に係る財務会計上の行為が行なわれたものである(同法一六条)。
したがって、被告鈴木は、交通局長を通じて、交通局長の指揮監督下にあった職員の違憲・違法な行為を阻止すべき義務があったというべきである。しかるに、被告鈴木は、憲法二〇条三項、国民主権原理を定める憲法一条、思想・良心の自由を定める憲法一九条に違反する本件記念乗車券の発売を行うことを自ら決定し、交通局の職員が右違憲・違法な記念乗車券の発売費用を支出するのを漫然と放置した。
したがって、被告鈴木は、右費用の支出に関し、交通局の職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務の履行を怠り、都に右費用相当額の損害を与えたものというべきであって、都に対し、右費用相当額の損害を賠償する責任がある。
2 被告鹿谷の賠償責任
被告鹿谷は、本件支出当時、都総務局長の地位にあった者であり、前記第二の二3の(二)(2)ないし(5)及び(三)の費用の支出負担行為について、同被告を補助執行した職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務があったにもかかわらず、漫然とこれを怠り、都に右費用相当額の損害を与えたものであるから、都に対し、右費用相当額の損害を賠償する責任がある。
3 被告塚越の賠償責任
被告塚越は、本件支出当時、都北部公園緑地事務所長の地位にあった者であり、前記水元公園における植樹の請負等代金の支出負担行為について、同被告を補助執行した職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務があったにもかかわらず、漫然とこれを怠り、都に右請負等代金相当額の損害を与えたものであるから、都に対し、右請負等代金相当額の損害を賠償する責任がある。
4 被告渡邊の賠償責任
被告渡邊は、本件支出当時、都西多摩経済事務所長の地位にあった者であり、前記都民の森における植樹の苗木購入等代金の支出負担行為について、同被告を補助執行した職員の違憲・違法行為を阻止すべき指揮監督上の義務があったにもかかわらず、漫然とこれを怠り、都に右苗木購入等代金相当額の損害を与えたものであるから、都に対し、右苗木購入等代金相当額の損害を賠償する責任がある。
(被告らの主張)
原告らの主張は争う。
第四 争点等に対する判断
一 被告鈴木が本件自動車運行費等(前記第二の二3(一)ないし(六)記載の各費用)に係る支出(法二三二条の四所定のもの)につき財務会計上の行為を行う権限を有していたか否かについて(争点1)
1 本件自動車運行費等(前記第二の二3(一)ないし(六)記載の各費用)に係る支出は、都の出納長から権限の委任を受けた職員がこれを行ったものであることは、当事者間に争いがない。
2(一) 法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」とは、当該訴訟においてその適否が問題とされている財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有するとされている者及びこれらの者から権限の委任を受けるなどして右権限を有するに至った者をいうものと解されるところ(最高裁昭和五五年(行ツ)第一五七号同六二年四月一〇日第二小法廷判決・民集四一巻三号二三九頁)、都道府県において法二三二条の四所定の「支出」を行う権限を有する者は、法令上右権限を本来的に有する出納長及び出納長から権限の委任を受けるなどして右権限を有するに至った者であり、都知事の地位にあった被告鈴木が右の「支出」の権限を有する者でなかったことは明らかである。
(二) この点に関し、原告らは、被告鈴木は、都知事として、予算執行権及び会計監督権等を有し、出納長を選任し、これを指揮監督する地位にあった者であるから、出納長又は出納長から権限の委任を受けた職員を適切に指揮監督して違憲・違法な支出が行われるのを阻止すべき義務を負っていたものであり、したがって、被告鈴木は、出納長等がする「支出」について財務会計上の権限を有していたというべきである旨主張する。
しかしながら、地方公共団体の長は、その補助機関たる職員を一般的に指揮監督する権限を有するが(法一五四条)、法は、地方公共団体における財務会計の適正を図る見地から、法二三二条の四の規定により、経費の支出について、命令機関と執行機関とを分立させ、その支出は専ら出納長等がこれを行うものとしているのであり、右規定の趣旨からすれば、地方公共団体の長は、出納長等がする具体的な経費の「支出」について、出納長等を指揮監督する権限を有しないものと解すべきであり、出納長等がした違法な「支出」を理由とする損害賠償請求について、右長を右の「支出」の権限を有する出納長等と同視して右の「当該職員」に該当するということはできない。原告らのこの点に関する主張は採用することができない。
(三) したがって、本件訴えのうち、被告鈴木に対し法二三二条の四所定の「支出」の違法を理由として損害賠償を求める部分は、法により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しない訴えとして不適法であって、却下を免れない。
二 被告鈴木が本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限を有していたか否かについて(争点2)
1 前記第二の二3(七)及び(八)記載のとおり、本件記念乗車券の発売費用に係る支出負担行為は、交通局長が同局総務部長の補助執行により行い、その支出命令は、交通局長から権限の委任を受けた交通局総務部財務課長が行い、その支出は、交通局長から権限の委任を受けた企業出納員が行ったことは、当事者間に争いがない。
2(一) 法二四二条の二第一項四号にいう「当該職員」の意義については、前記一2(一)に説示したとおりであるところ、地方公営企業法によれば、地方公共団体の経営する事業のうち鉄道事業のほか同法二条一項各号に掲げる事業は、地方公営企業として同法の適用を受け(二条一項)、地方公営企業を経営する地方公共団体には、原則として、地方公営企業の業務を執行させるため、同法二条一項の事業ごとに管理者が置かれることになっている(七条本文)。そして、管理者は、予算を調製することなど同法八条一項各号に掲げる事項を除くほか、その地方公営事業の業務を執行し、当該業務の執行に関し当該地方公共団体を代表するものとされ(同法八条)、一方、地方公共団体の長は、当該地方公共団体の住民の福祉を確保するため必要があるとき、又は当該管理者以外の地方公共団体の機関の権限に属する事務の執行と当該地方公営企業の業務の執行との間の調整を図るため必要があるときは、当該管理者に対し、当該地方公営企業の業務の執行について必要な指示をすることができるが(同法一六条)、その管理者に対する指揮監督権は右の場合に限られるものと解される。乙八及び弁論の全趣旨によれば、東京都地方公営企業の設置等に関する条例(昭和四一年東京都条例第一四七号)一条一項は、都に地方公営企業法の規定の全部が適用される事業として、鉄道事業を含む同項一号から七号までに掲げる事業を設置する旨定め、また、東京都公営企業組織条例(昭和二七年東京都条例第八一号)一条は都に鉄道事業等を所管する局として交通局を置く旨、同条例二条は、交通局に管理者を置き、当該管理者を交通局長という旨それぞれ定めていることが認められる。
そうすると、都の経営する地方公営企業である地下鉄の業務に関する財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有する者は、鉄道事業等の管理者である都交通局長であって、都知事はその権限を有しないというべきである。
本件についてみると、弁論の全趣旨によれば、本件記念乗車券の発売は都の営む鉄道事業等を所管する都交通局がその事業の一環として企画したものであると認められ、右発売費用に関しては、まず、都交通局長が、同局総務局長の補助執行により、右発売費用に係る支出負担行為を行い、都交通局長から権限の委任を受けた同局総務部財務課長が、平成二年一二月一日、その支出命令を発出し、右の手続によりその費用の支出がされたことは、前記第二の二3(七)に記載したとおりである。
したがって、被告鈴木は、本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行う権限を何ら有していなかったものというべきである。
(二) これに対し、原告らは、被告鈴木は、都知事として予算執行権及び会計監督権等を有し(法一四九条二号、五号、六号等)、交通局長を選任する権限を有しており(地方公営企業法七条の二)、右の各権限を有する者として、交通局長と調整を行った上、本件記念乗車券の発売を本件各祝賀事業の一環として実施することを自ら決定してその実施を交通局長に指示したものであり、交通局長は、その指示を受けて交通局の担当職員の補助執行により、本件記念乗車券の発売費用に係る財務会計上の行為を行ったものであるとし、被告鈴木は、交通局長を通じて、交通局長の指揮監督下にあった職員の違憲・違法な行為を阻止すべき義務があったにもかかわらず、右義務に違反して本件記念乗車券の発売という違憲・違法な行為をさせたものであるから、右違法行為によって都に生じた損害を賠償する責任を負うものである旨主張する。
しかしながら、都知事が予算執行権及び会計監督権等を有し(法一四九条二号、五号、六号等)、交通局長を選任する権限を有する(地方公営企業法七条の二)ことは、都とは独立した法人格を有する地方公営企業の管理者である都交通局長又はその者から権限の委任を受けた職員等の行う財務会計上の行為について都知事が何らかの権限を有していることの根拠となるものではないというべきである。したがって、仮に、被告鈴木が都知事として、本件記念乗車券の発売に関し、都交通局長に対し何らかの指示を行ったとしても、それは、本件各祝賀事業の実施を統括する者として、都交通局長以外の都の機関の権限に属する事務の執行と都の地方公営企業である鉄道事業等の業務の執行との調整の過程における指示とみるべきであり(地方公営企業法八条参照)、これをもって財務会計上の行為を行う権限を法令上本来的に有する者による当該権限ないしこれに基づく指揮監督権の行使とみることはできないものである。
原告らの右主張は、独自の解釈によるものであって、採用することができない。
3 以上のとおり、被告鈴木は、本件記念乗車券の発売費用に係る支出命令、支出については法二四二条の二第一項四号所定の「当該職員」に該当しないというべきであるから、本件訴えのうち、右支出命令、支出の違法を理由として被告鈴木に対して損害賠償を求める部分は、法により特に出訴が認められた住民訴訟の類型に該当しない訴えとして不適法というべきである。
三 被告鈴木の本件参列のため都の公金を支出したことが政教分離原則(憲法二〇条、八九条)に違反するか否かについて(争点3―(一))
1(一) 憲法は、二〇条一項前段及び同条二項により、いわゆる狭義の信教の自由(個人の信教の自由)を保障する規定を設ける一方、同条一項後段、同条三項及び八九条に、いわゆる政教分離の原則に基づく諸規定(政教分離規定)を設けている。
一般に、政教分離原則とは、国家は宗教そのものに干渉すべきではないとする、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を意味するものとされているところ、国家と宗教との関係には、それぞれの国の歴史的・社会的条件によって異なるものがある。我が国では、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)を設けていたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ」という同条自体の制限を伴っていたばかりでなく、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時として、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられたなどのこともあって、同憲法の下における信教の自由の保障は不完全なものであることを免れなかった。「憲法は、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き右のような種々の弊害を生じたことにかんがみ、新たに信教の自由を無条件に保障することとし、さらにその保障を一層確実なものとするため、政教分離規定を設けるに至ったのである。元来、我が国においては、各種の宗教が多元的、重層的に発達、併存してきているのであって、このような宗教事情の下で信教の自由を確実に実現するためには、単に信教の自由を無条件に保障するのみでは足りず、国家といかなる宗教との結び付きをも排除するため、政教分離規定を設ける必要性が大であった。これらの点にかんがみると、憲法は、政教分離規定を設けるに当たり、国家と宗教との完全な分離を理想とし、国家の非宗教性ないし宗教的中立性を確保しようとしたものと解すべきである。
しかしながら、元来、政教分離規定は、いわゆる制度的保障の規定であって、信教の自由そのものを直接保障するものではなく、国家と宗教との分離を制度として保障することにより、間接的に信教の自由の保障を確保しようとするものである。そして、国家が社会生活に規制を加え、あるいは教育、福祉、文化などに関する助成、援助等の諸施策を実施するに当たって、宗教とのかかわり合いを生ずることを免れることはできないから、現実の国家制度として、国家と宗教との完全な分離を実現することは、実際上不可能に近いものといわなければならない。さらにまた、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れない。これらの点にかんがみると、政教分離規定の保障の対象となる国家と宗教との分離にもおのずから一定の限界があることを免れず、政教分離原則が現実の国家制度として具現される場合には、それぞれの国の社会的、文化的諸条件に照らし、国家は実際上宗教とある程度のかかわり合いを持たざるを得ないことを前提とした上で、そのかかわり合いが、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で、いかなる場合にいかなる限度で許されないこととなるかが問題とならざるを得ないのである。右のような見地から考えると、憲法の政教分離規定の基礎となり、その解釈の指導原理となる政教分離原則は、国家が宗教的に中立であることを要求するものではあるが、国家が宗教とのかかわり合いを持つことを全く許さないとするものではなく、宗教とのかかわり合いをもたらす行為の目的及び効果にかんがみ、そのかかわり合いが、我が国の社会的、文化的諸条件に照らし、信教の自由の保障の確保という制度の根本目的との関係で相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものと解すべきである。
右政教分離原則の意義に照らすと、憲法二〇条三項にいう宗教的活動とは、およそ国及びその機関の活動で宗教とのかかわり合いを持つすべての行為を指すものではなく、そのかかわり合いが右にいう相当とされる限度を超えるものに限られるというべきであって、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が宗教に対する援助、助長、促進又は圧迫、干渉等になるような行為をいうものと解すべきであり、ある行為が右にいう宗教的活動に該当するか否かを検討するに当たっては、当該行為の外形的側面のみにとらわれることなく、当該行為の行われる場所、当該行為に対する一般人の宗教的評価、当該行為者が当該行為を行うについての意図、目的及び宗教的意識の有無、程度、当該行為の一般人に与える効果、影響等、諸般の事情を考慮し、社会通念に従って、客観的に判断しなければならない。
憲法八九条が禁止している、公金その他の公の財産を宗教上の組織又は団体の使用、便益又は維持のために支出すること又はその利用に供することというのも、前記の政教分離原則の意義に照らして、公金支出行為における国家と宗教とのかかわり合いが前記の相当とされる限度を超えるものをいうものと解すべきであり、これに該当するかどうかを検討するに当たっては、前記と同様の基準によって判断しなければならない(前掲最高裁昭和五二年七月一三日大法廷判決、前掲最高裁昭和六三年六月一日大法廷判決、前掲最高裁平成五年二月一六日第三小法廷判決及び前掲最高裁平成九年四月二日大法廷判決参照)。
(二) これに対し、原告らは、いわゆる目的効果基準は、政教分離原則と社会国家原則との間の調整原理としてみるべきであり、社会国家原則に基づく施策とはおよそ無縁な儀式等の場合には、その儀式等の行為の性質をみて、それが宗教的性格を持っているか、あるいは非宗教的性格(世俗的性格)を持っているかを唯一の判断基準とすればよいのであり、国家が宗教的儀式に関与すればそれだけで政教分離原則違反となり、国家の目的が宗教的か世俗的かを問題とする必要はなく、また、国家の行為の効果を検討する必要もないなどと主張する。
しかしながら、いわゆる目的効果基準は、既に説示したところから明らかなとおり、国家が国民の生活、福祉等の諸分野に深くかかわっている現実の国家制度の下において、国家と宗教との完全な分離を実現することは、事実上不可能に近いこと、政教分離原則を完全に貫こうとすれば、かえって社会生活の各方面に不合理な事態を生ずることを免れないという実情を考慮し、政教分離原則の根本目的を損なわない範囲で政教分離原則を形式的に適用した場合に制度上の不都合あるいは社会生活上の不合理な事態が生ずるのを回避するのが妥当であるとの考え方を前提とするものであり、その場合に、国家と宗教とのかかわり合いの程度が政教分離原則の根本目的を損なわないかどうかを判断するための基準として考えられるべきものである。原告らの主張は、右の目的効果基準の適用領域を限定すべきものとし、それは、社会国家において当然にないし不可避的に起こる困難な問題に対して、憲法諸価値を総合する高次の見地から解決を見出していくについての基準の一つにとどまるべきであるとする考え方に立つものであるが、独自の見解であって、採用することができない。
2 前記第二の二記載の事実に証拠(甲一の4、9、11、22、30ないし33、二の9、五の4、7、証人中島三千男及び同洗建)及び弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
(一) 本件諸儀式に至る経緯
(1) 平成元年七月、内閣は即位の礼の準備に当たる事務レベルの「即位の礼検討委員会」の初会合を開き、組織作りについて検討を開始し、これに基づき、同年九月二六日に「即位の礼準備委員会」の設置を閣議決定した。同委員会は検討を重ね、同年一二月二一日、「『即位の礼』の挙行について」と題する政府見解をまとめた。
右政府見解は、国事行為として「即位礼正殿の儀」(即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式)、「祝賀御列の儀」(即位礼正殿の儀終了後、広く国民に即位を披露され、祝福を受けられるためのお列)、「饗宴の儀」(即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴)を挙行することとし、大嘗祭については、その意義として、「稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮においで、新穀を皇祖及び天神地祇(てんしんちぎ)にお供えになって、みずからもお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式」であり、「皇位の継承があったときは、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である」とした。そして、大嘗祭の位置付け及びその費用としては、大嘗祭は、「収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するとみられることは否定することができず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」としつつ、その費用については、「大嘗祭を皇室行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。」というものであった。
右政府見解は、同日開かれた臨時閣議で了承された。
(2) 平成二年一月八日、内閣は、即位の礼の実施大綱を検討する「即位の礼委員会」の設置を閣議決定し、右委員会はその検討を始めた。同年一月一九日、「即位の礼委員会」は、即位の礼を同年一一月一二日に行うことを決め、続いて開かれた閣議で、「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」を国の儀式として行うことが決定された。そして、「即位の礼実施連絡本部」が設置され、そこにおいて、各儀式の式次第の実施要綱「『即位の礼』の挙行について」が決められた。
(3) 平成元年七月、総理府の外局である宮内庁は、藤森宮内庁長官を委員長とする「大礼検討委員会」を設置し、日程、参列者の数、調度品の調達、大嘗宮の規模などの検討に入った。同年九月二六日には、同じく同宮内庁長官を委員長とする「大礼準備委員会」が設置された。同準備委員会は、同年一二月二一日に内閣の「即位の礼準備委員会」が政府見解をまとめたのに合わせ検討結果を公表した。平成二年一月八日、内閣の「即位の礼委員会」の設置と合わせて、宮内庁には「大礼委員会」(委員長・藤森宮内庁長官)が設置された。同委員会は、同月一九日、大嘗祭を同年一一月二二日夕刻から二三日未明にかけて皇居東御苑で行うことを決め、大礼関係の儀式と概要を発表した。同年九月一九日、「大礼委員会」は、皇室の儀式の諸日程を正式決定するとともに儀式内容の概要を発表し、同時に記者会見で「大嘗宮の儀」についての見解を発表した。右見解は、大嘗祭が「神格化の儀式」、「聖婚儀礼」であるなどの指摘に対し、①内陣には采女(うねめ)が控えており天皇が一人になることはないこと、②過去の御告文を見ても神に五穀豊穣を感謝し祈る趣旨であり、自ら神格をうる旨の記述はないこと、③神座は皇祖・天照大神を迎えるもので、天皇自身は触れることもせず、神座で天皇が神と一体化するというのは誤りであることなどの理由を挙げ、右指摘を否定するものであった。
(4) 平成二年五月二五日、「即位礼正殿の儀の行われる日を休日とする法律」が国会において成立し、右儀式が行われる同年一一月一二日は休日とされた。
(5) 内閣は、平成二年一〇月一九日の閣議において、儀式の細目とともに祝意奉表について決定した。すなわち、各省庁において、①国旗掲揚を義務付ける、②地方公共団体に対して国旗を掲揚するよう協力を要望する、③地方公共団体以外の公署、学校、会社、その他一般においても、国旗を掲揚するよう協力を要望するというものであり、これを受けて、文部省では、同日、事務次官通知によって国公私立大学、都道府県教育委員会等に祝意奉表を通知し、また同日付けの初等中等教育局長通知により、「国民こぞって祝意を表することの意義を児童生徒に理解させる」ことの指導を求めた。
(二) 本件即位の礼の実施
(1) 本件諸儀式は、別紙三記載のとおり実施された。国事行為とされた「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」のみならず、皇室行事とされたその他の諸儀式についても、その費用はすべて宮廷費から支出された。
その予算は、過激派の活動激化に対応するために予備費から追加支出された警備費用四二憶〇九八〇万円を含め、一二三億二七八〇万円に上った。その内訳は、別紙八記載のとおりである。
(2) 平成二年一一月一二日午前九時、別紙九記載の進行予定に従い、「即位礼当日賢所大前の儀」が皇居賢所において行われ、引き続き、「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が皇霊殿及び神殿において行われた。右各儀式には、皇族、海部首相を始め三権の長、国務大臣、認証官、事務次官、自治体首長の代表(都道府県の総代、市町村長の総代)など約六〇名が参列した。右各儀式は、天皇が、即位の礼当日、宮中三殿といわれる賢所(三種の神器の一つである鏡(本体は伊勢神宮にある。)が置かれ、天照大神を祀る殿舎)、皇霊殿(歴代の天皇・皇族の霊を祀る殿舎)、神殿(天神地祇を祀る殿舎)に即位の礼を行うことを奉告する儀式であり、神楽歌が奏され、神職である掌典長(皇室の私的使用人であり公務員ではない。)により祝詞(のりと)が奏されたほか、神饌(しんせん)及び幣物(へいもつ)が供され、参列者は拝礼を行った。右各儀式は、同日午前一〇時三〇分ころ終了した。
(3) 平成二年一一月一二日午後一時、別紙九記載の進行予定に従い、「即位礼正殿の儀」が皇居正殿で行われた。右儀式は、天皇が、即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表が祝う儀式であり、皇族、外国使節、内閣総理大臣を始めとする三権の長、国務大臣、自治体代表ら約二五〇〇名が招待され、そのうち約二二〇〇名(国内が一七四九名、海外が一五八か国・二国際機関の四七四名)が参列した。その式次第は次のとおりであった。
正殿前の中庭の左右には、威儀の者や、太刀、弓、楯などの威儀物の捧持者が束帯姿で並び、旛、桙などが立ち並べられたが、大錦旛の八咫烏(やたがらす)と鵄の文様は、神話にちなむため菊の紋に代えられ、同様に首相の自筆の萬歳旛の厳瓮と五匹の魚も消された。正殿松の間には、高御座(天皇の御座。三層の継壇の上に、大鳳、小鳳、鏡などで装飾した八角形の屋形を立て、その中に椅子を置いたもの。昭和天皇の「即位礼当日紫宸殿の儀」にも用いられた。)及び御帳台(皇后の御座。高御座とほぼ同様の構造ではあるが、ひとまわり小さい。)が置かれ、皇族及び三権の長が、松の間に立った。そして、束帯(黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう))、立纓の冠を身に着け手に笏を持った天皇が高御座に、五衣・唐衣・裳を身に着けた皇后が御帳台に昇り、三種の神器である剣と璽とともに、御璽と国璽が高御座内に置かれた。次いで、高御座、御帳台の帳が開けられ、参列者は、鉦の合図で起立し、鼓の合図で敬礼した。海部首相が高御座の前に進み出ると、天皇は、即位を内外に宣明し、日本国憲法を遵守し、日本国及び日本国民統合の象徴としての務めを果たすことを誓う旨の「お言葉」を述べた。引き続き、海部首相が、「私たち国民一同は、天皇陛下を日本国及び日本国民統合の象徴と仰ぎ、心を新たに、世界に開かれ、活力に満ち、文化の薫り豊かな日本の建設と、世界の平和、人類福祉の増進とを目指して、最善の努力を尽くすことをお誓い申し上げます。」などという寿詞を述べ、海部首相の「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」という発声で、参列者が万歳を三唱した。その後、天皇及び皇后が退出し、同日午後一時三〇分ころ、右儀式は終了した。
なお、高御座という名称は、「続日本紀」の文武天皇の即位宣明にある「天津日嗣高御座の業」に由来し、「天津高御座」に就いていた皇孫が三種の神器を授けられて地上の統治をゆだねられたという天孫降臨神話に基づくものであり、高御座の帳を開けて天皇が姿を現すのは、雲をかき分けて高千穂の峰に降り立った皇孫の姿を表しているとの指摘が識者によりなされている。
(4) 平成二年一一月一二日午後三時三〇分から午後四時ころまで、「祝賀御列の儀」が、皇居から赤坂御所までの約4.7キロメートルの区間で行われた。右儀式は、天皇が広く国民に即位を披露し、祝福を受けるためのものである。
(5) 平成二年一一月一二日から同月一五日にかけ、宮殿において「饗宴の儀」が行われた。右儀式は、天皇が即位を披露し祝福を受けるためのものであり、同月一二日午後七時三〇分から第一回目の「饗宴の儀」が行われ、その後、同月一五日までの間に六回、合計して七回「饗宴の儀」が行われた。
(三) 本件大嘗祭の実施
(1) 平成二年一一月二二日午前七時三〇分、伊勢神宮において「神宮に奉幣の儀」が行われ、同日午前一〇時、宮殿において「大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀」が行われ、引き続き、「大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀」が行われた。
(2) 平成二年一一月二二日から同月二三日にかけて、皇居東御苑に設営された大嘗宮において「大嘗宮の儀」が行われた。まず、「悠紀殿供饌の儀」が、同月二二日午後六時三〇分から、大嘗宮内の悠紀殿において行われ、内閣総理大臣を始めとする三権の長、国務大臣、被告鈴木ら自治体の代表ら約七三〇名が参列し、次いで、「主基殿供饌の儀」が、翌二三日午前〇時三〇分から午前三時過ぎまで、大嘗宮内の主基殿において行われ、同じく三権の長、国務大臣、自治体の代表ら約四六〇名が参列した。なお、都道府県の知事のうち、配偶者同伴の案内を受けたのは、秋田県、大分県及び都の知事のみであった。
悠紀殿と主基殿の内部配置は同一であり、それぞれ内陣と外陣の二室に分けられ、内陣には御座、神座、寝座が設けられ、外陣には剣璽が置かれ、悠紀殿・主基殿の南庭の帳殿には、全国各地から供納された特産品等が、「庭積机代物」として備えられた。
「悠紀殿供饌の儀」と「主基殿供饌の儀」の式次第は同様であり、その中心は、天皇が自ら神前に新穀を供え、拝礼の上、告文を読み、天皇自らも新穀を食するというものであるが、その詳細は必ずしも明らかではない。なお、「大嘗宮の儀」を中心的儀式とする大嘗祭の意義については、前記(一)記載の政府見解によれば、天皇が即位の後、初めて大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇に供え、自らも食し、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝するとともに、国家国民のために安寧と五穀豊穣等を祈念する儀式であるとされているが、昭和一八年の国定教科書「初等科修身四」には、「大神と天皇が御一体におなりあそばす御神事であって、わが大日本が神の国であることを明らかにするもの」と説明されているほか、寝座で衾を被り横たわるという秘儀あるいは天照大神と新穀等を共食することによって天皇が現人神になるとする見解がある一方、これを否定する見解もあり、それは必ずしも明らかではない。
(3) 平成二年一一月二四日から同月二五日にかけ、宮殿において「大饗の儀」が行われ、内閣総理大臣を始めとする三権の長、国務大臣、国会議員、認証官、各省事務次官、被告鈴木を始めとする自治体の長ら合計約七三〇名が出席した。右儀式は、「大嘗宮の儀」の後、天皇が参列者に白酒、黒酒及び酒肴を供し、共に食する儀式であり、同月二四日正午から、同日午後七時から、同月二五日正午からの合計三回行われた。なお、都道府県の知事のうち、配偶者同伴の案内を受けたのは、秋田県、大分県及び都の知事のみであった。
(四) 被告鈴木の参列等
(1) 海部首相及び藤森宮内庁長官からの本件諸儀式への招待状ないし案内状を受け取った被告鈴木は、平成二年一一月九日の第一回都議会臨時会において、「式典には私も都民を代表して参列するとともに、賀表を奉呈することといたしております。この喜びを都民とともに分かち合い、祝賀の意を広く表するために、都は記念式典並びに記念行事を開催することといたしました。天皇陛下及び皇室の御繁栄を祈念しつつ、一二〇〇万都民とともに、衷心より慶賀の意を表する次第であります。」と述べ、被告鈴木が都知事として公式参列すること及び各種の祝賀記念行事を都が行うことを報告した。同日の都議会では、「天皇陛下には、即位の礼を執り行われ、日本国及び日本国民統合の象徴として皇位を承継なされますことは誠に喜ばしいかぎりであります…都議会は、都民とともにここに謹んでお祝いを申し上げます。」という賀詞を採択した。
(2) 被告鈴木は、藤森宮内庁長官から案内を受け、平成二年一月二三日午前一〇時三〇分から一二時まで宮中において行われた「賢所に期日奉告の儀」及び「皇霊殿神殿に期日奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し、その式次第に従って拝礼した。
(3) 被告鈴木は、藤森宮内庁長官から案内を受け、平成二年一一月一二日午前九時より賢所において行われた「即位礼当日賢所大前の儀」及び皇霊殿及び神殿において行われた「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」に「都道府県の総代」として参列し、その式次第に従って拝礼した。
(4) 被告鈴木は、海部首相から案内を受け、平成二年一一月一二日午後一時から宮殿で行われた「即位礼正殿の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列し、その式次第に従って敬礼をするとともに、海部首相の「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」との発声に引き続き、万歳を三唱した。
(5) 被告鈴木は、海部首相から案内を受け、平成二年一一月一三百正午から宮殿で行われた「饗宴の儀」(第二日第一回)に「都道府県知事の代表」として参列した。
(6) 被告鈴木は、藤森宮内庁長官から案内を受け、平成二年一一月二二日及び二三日、「大嘗宮の儀」である「悠紀殿供饌の儀」及び「主基殿供饌の儀」に「都道府県知事の代表」として夫婦同伴で参列し、それらの式次第に従って拝礼をした。なお、「悠紀殿供饌の儀」は同月二二日午後六時三〇分から悠紀殿で、「主基殿供饌の儀」は同月二三日午前零時ころから主基殿でそれぞれ行われ、被告鈴木は「主基殿供饌の儀」の終了した同日午前三時過ぎころまでの間、参列していた。
(7) 被告鈴木は、藤森宮内庁長官から案内を受け、平成二年一一月二三日正午から行われた「大饗の儀」(第一日第一回)に「都道府県知事の代表」として参列した。
(8) 被告鈴木は、前記(3)、(4)及び(6)記載の各儀式へ参列するため、都の所有する乗用車を利用し、その結果、都の公金から本件自動車運行費が支出された。
(五) 皇位継承儀式の歴史的沿革等
(1) 天皇の即位の儀式は、元々、古代においては三種の神器を承継して高御座に昇り、即位を宣言して臣下の寿詞・拝賀を受けることを内容とする一つの儀式であったが、八世紀から九世紀初頭の桓武・平城天皇以降、即位の儀式が、践祚(三種の神器の受け渡し)と即位の礼の二段階に分かれた。また、七世紀の持統天皇のころから、収穫儀礼を主な内容とする新嘗祭を原型として大嘗祭という儀式が始まった。大嘗祭には、神事に用いる新穀を調達する悠紀国、主基国が定められ、これに対応する悠紀殿、主基殿が設けられ、その二国から献上される新穀を用いて神事を行うという特色があり、天皇の一代一度の就任儀式として行われた。こうして、桓武・平城天皇以降、践祚、即位の礼、大嘗祭という三つの天皇就任儀礼が行われるようになった。
その後、中世には、仏教(密教)による天皇の地位の基礎付けが図られ、即位礼において天皇が印を手に結んで真言を唱えて高御座に進むという「即位潅頂」の儀式が行われるようになり、一〇六八年の後三条天皇以後、幕末の孝明天皇まで同儀式が行われた。
また、大嘗祭は、一四六六年の後土御門天皇の挙行以降中断し、一六八七年の東山天皇のときの一時復活まで実に九代二二一年間にわたり挙行されなかった(その理由として、石原信雄官房副長官(当時)は、平成二年六月二二日に行われた外国記者団への説明の中で、「そのころは非常に皇室が衰微しておりまして、財政的な理由その他でできなかった。心ならずもできなかったという事情があるようです。」と説明しているが、その詳細は明らかでない。)。この時期を含め、歴代天皇のうち一五天皇が大嘗祭を挙行しなかったが、一七三八年の桜町天皇以降は、昭和天皇に至るまで挙行されてきた。
(2) 王政復古後の明治天皇の即位儀式は、旧来の弊風を一新するとして、①唐風の儀式及び衣裳の廃止、②装飾の国風化、③仏教儀式(「即位潅頂」)や陰陽道的要素の排除、④上代の儀式(寿詞)の復活、⑤国際的視点の取り入れ(地球儀の使用)、⑥国民統合の機能を持たせるために、大嘗祭に当たり太政官が全国諸神社への告論を出したり、「庭積机代物」として一般国民からの献納を受けたりしたこと等において従来とは異なっていた。
(3) 明治二二年に裁定された皇室典範(旧皇室典範)は、天皇の即位に関して、践祚、即位の礼、大嘗祭の三つの儀式を行うことと、即位の礼、大嘗祭は京都で行うこと等の大綱を定めていた。明治四二年に制定公布された登極令及び同附式は、旧来の伝統様式をも踏まえた上で、即位の礼、大嘗祭についての儀礼体系を別紙七の「登極令・同附式の諸儀式」のとおり定めた。大正天皇及び昭和天皇の即位の儀式は、登極令及び同附式に則って行われた。
(4) 第二次大戦後、旧皇室典範、登極令及び同附式は廃止され、昭和二二年に新たに制定された皇室典範においては、二四条に「皇位の継承があったときは、即位の礼を行う。」と規定してあるにすぎず、その細目については規定していない。また、現行法令上、大嘗祭について定めた規定はない。
(5) 以上のとおり、即位の礼及び大嘗祭は、時代の変遷とともに、為政者の思惑や為政者と天皇との力関係、皇室の経済状況等の影響を受け、様式が簡易化されたり、内容が改変されたりしており、特に大嘗祭については、前記(1)にみたとおり、約二〇〇年間にわたって中断された結果、旧来の儀式の内容が明確でなくなって、不完全な継承を余儀なくされた。また、前記(2)及び(3)のとおり、明治維新後、意識的に大幅な改革が加えられ、それまでの神仏習合的な様式から仏教的要素が払拭され、神道様式に純化されたという沿革がある。
(6) そして、本件即位の礼・大嘗祭関連諸儀式(本件諸儀式)は、廃止された登極令及び同附式におおむね沿った内容で実施された。
(六) 国家神道の性格
我が国においては、過去において、大日本帝国憲法に信教の自由を保障する規定(二八条)が設けられたものの、その保障は「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限」という制限を伴った保障であり、また、神社神道は宗教ではないとする建前の下に、事実上神社神道が国教として取り扱われ、国民に対しても神社参拝等が強制されるなどの状況があった。
しかし、第二次大戦後の昭和二〇年一二月一五日、連合国軍最高司令官総司令部から政府にあてて、いわゆる神道指令(「国家神道、神社神道ニ対スル政府ノ保証、支援、保全、監督並ニ弘布ノ廃止ニ関スル件」)が発せられ、これにより神社神道は、国の保護の下を離れ、国からの財政的援助を打ち切られ、一宗教として他のすべての宗教と全く同一の法的基礎に立つものとされ、国家と神社神道の完全な分離が図られた。そして、昭和二一年一一月三日に公布された憲法は、国家と神社神道とが密接に結び付き、種々の弊害を生じたことにかんがみ、信教の自由を無条件に保障したほか、さらにその保障を一層確実なものとするために政教分離に関する規定を設け、これにより、皇室の神道形式による祭祀あるいは儀式は、すべて皇室の私事とされ、かつて宮内省の職員であった皇室祭祀を執り行う掌典(神職)も、内廷職員(皇室の私的使用人)とされた。また、神社の神官も公務員としての地位を失った。
3 以上を基に、被告鈴木が「即位礼正殿の儀」に参列し敬礼を行ったことが政教分離原則に違反するか否かについて判断する。
(一) 国事行為として「即位礼正殿の儀」を実施することが政教分離原則に違反するか否かについて
(1) 「即位礼正殿の儀」が憲法七条一〇号に定める「儀式」に当たるとの前提で国事行為として挙行されたこと及び被告鈴木が都知事としてこれに参列し敬礼等を行ったことは当事者間に争いがないところ、原告らは、政府が国事行為として右儀式を実施したことは政教分離原則に違反する旨主張する。
(2) 「即位礼正殿の儀」等の儀式を国事行為として実施することが政教分離原則に違反し、憲法二〇条三項の禁止する宗教的活動に該当するなど違憲であるとした場合、地方公共団体がその共同施行者となり、あるいは経済的な援助を行うなど積極的にこれらに加担する行為を行ったときには、当該行為は国の行為と同様に政教分離原則に違反し違憲なものと評価されうるものというべきである。また、地方公共団体も社会的実体を有する者として活動している以上、その長又はその他の執行機関が、当該普通地方公共団体の活動の一環として、社会通念上相当と認められる範囲において対外的な儀礼行為を行うことは、当然に許容されるものというべきであるが、地方公共団体が右儀式の実施に積極的に加担するというのではなく、右儀式に単に儀礼的に参列するにとどまる程度に関与するにすぎないとしても、およそ国が行う行為が違憲である場合において当該行為に関与することは地方公共団体が行う事務(法二条二項)に該当せず、そのために公金を支出することは違法と評価されることがありうるものというべきである。
(3) そこで、国事行為として行われた「即位礼正殿の儀」が政教分離原則に違反するものであるか否かについて以下検討する。
「即位礼正殿の儀」は、天皇が即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表がことほぐという趣旨、目的で実施されたものであり、その意味では、世俗的な儀式である。
しかしながら、右儀式は前記2(二)(3)記載のとおり、皇居正殿の松の間に高御座が置かれ、高御座に天皇が昇り、高御座内に三種の神器である剣と璽とともに、御璽と国璽が置かれ、次いで高御座の帳が開けられ、天皇が姿を現し、松の間に立った三権の長を始めとする参列者の前で、即位を宣明し、これに対し、海部首相が寿詞を述べ、その発声で即位を祝して万歳を三唱するという形式で行われたものであるところ、右の形式の儀式は、「天津高御座」に就いていた皇孫が三種の神器を授けられて地上の統治をゆだねられたという天孫降臨神話に由来するものであって、祭祀を行うことを中心的な宗教上の活動とする神社神道において重要な宗教儀式として位置付けられているものであり、また、過去において、天皇の即位儀式は、仏教的な要素の混入や様式の変化はあったものの、旧来から神道との密接なつながりを持った一世に一度の儀式として行われてきたものである。
今回、現行の憲法の下において、象徴天皇制が採用されて初めて即位の礼を行うに当たり、政府は、象徴天皇制の下における即位の礼の前例がないこと、皇室典範において、皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する旨定められ、皇位に就く者は明治憲法の下と変更がないことなど右の皇位の性格を考慮して、過去の伝統を尊重しつつ、象徴天皇制という憲法における天皇の位置付け及び政教分離原則に配慮して、政府見解において、「国事行為たる『即位の礼』で、喪明け後に行われるものについては、次の儀式を行うのが相当である。」とし、「①即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表者がことほぐ儀式(「即位礼正殿の儀」)。②「即位礼正殿の儀」終了後、広く国民に即位を披露され、祝福を受けられるためのお列(「祝賀御列の儀」)。③即位を披露され、祝福を受けられる饗宴(「饗宴の儀」)の三つを掲げ、「即位礼正殿の儀」が世俗的な儀式として行われるものであることを明らかにするとともに(甲一の32)、右儀式の様式は明治憲法下の登極令の定める様式に則って行うものの、政教分離原則に抵触するということのないよう、右儀式からできるだけ宗教的色彩を排除するよう努力したことがうかがわれる。しかし、右に述べたように、「即位礼正殿の儀」には、その様式の面で宗教的色彩が完全には払拭されておらず、神道が元来儀礼、祭祀を重視する宗教であることを考えると、右儀式が宗教的意義を有することを完全に否定することはできないといわざるを得ない。
したがって、国は、国事行為として「即位礼正殿の儀」を行うことにより、宗教とかかわり合いを持ったものと認めるべきである。
(4) 進んで、前記1記載のいわゆる目的効果基準に従って「即位礼正殿の儀」が政教分離原則に違反するか否かについてみると、以下のとおりである。
ア まず、「即位礼正殿の儀」は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇が(憲法一条)即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式であって、国がそのような世俗的な目的で主催して実施したものであることは既に認定したとおりである。
イ 右儀式は、宗教的色彩を有するものであることから皇室行事とされた「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」とは、前記2(二)(2)及び(3)で認定したとおり、時間的にも場所的にも明確に分けて実施されており、その参列者の規模も異なっている。すなわち、「即位礼正殿の儀」は、平成二年一一月一二日午後一時から皇居正殿で内外の代表約二二〇〇名という各界の多数の者が参列して行われたのに対し、「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は、同日午前中に宮中三殿において内閣総理大臣を始め三権の長、国務大臣等約六〇名という国家機関の要人を中心とする比較的少数の者が参列して行われたものである。
右儀式においては剣と璽が用いられたが、それらは「皇位とともに伝わるべき由緒ある物は、皇位とともに、皇嗣が、これを受ける。」(皇室経済法七条)とされていることに基づき、御璽と国璽とともに高御座に置かれているものと解することができるし、高御座の使用についてみても、中世においては天皇が高御座で印を結んで真言を唱え大日如来と一体化する「即位灌頂」の儀式が行われていたというのであり、神道における祭具の性質しか有しないものと断ずることはできないものであり、むしろ、甲一の32及び弁論の全趣旨によれば、それが皇位と密接に結び付いた古式ゆかしい調度品として伝承されてきたという文化的・伝統的な面を有しており、「即位礼正殿の儀」においては右の文化的・伝統的な面に着目してこれが用いられたものと解するのが相当である。また、右儀式の参列者が天皇に敬礼し、海部首相が「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」との発声を行い、他の参列者がこれに引き続き万歳三唱を行ったことについても、右儀式の目的、趣旨に照らしてみれば、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表すること以上に、何らかの宗教的要素が含まれていたとみることはできない。
したがって、右儀式において剣と璽が用いられ、天皇が高御座に登壇して即位を宣明するという様式がとられたこと等をもって、直ちに戦前における天皇の即位の儀式である「即位礼当日紫宸殿の儀」を連想し、「即位礼正殿の儀」が、天皇が皇祖天照大神に由来する「皇祖の霊座」(「天津日嗣高御座」)に登壇し、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就くことを宣明し、国民の代表がこれに服属することを誓う皇室神道上の儀式(高御座への登壇を中核的儀式とする祭祀)であると評価することは当を得ないものというべきである。むしろ、大錦旛の八咫烏と鵄の文様は、神話にちなむため菊の紋に代えられ、同様に首相の自筆の萬歳旛の厳瓮と五匹の魚も消されたのであり、「即位礼正殿の儀」については、戦前の神道の宗教的色彩を払拭しきれていないものの、政府が伝統的な儀式を尊重しつつ、象徴天皇制、政教分離原則という憲法理念との調和を図るべく、右宗教的色彩を弱める努力を払った結果、その宗教的意義がかなりの程度弱められ、世俗的な即位の儀式という右儀式の本来の趣旨は貫かれたものと評価できるのであって、その意味において、右儀式の実施に当たっての国と神道とのかかわり合いの程度は極めて微弱であったということができる。
ウ 次に、一般人が右儀式についていかなる理解、印象を持ったかという観点からみるに、政府の公式見解に照らして、右儀式の趣旨が、天皇が即位を公に宣明し内外の代表がこれを祝うことにあることは明らかであって、現行の憲法の下において否定された天皇の神性を基礎付ける儀式では到底あり得ず、石原信雄官房副長官も、天皇が高御座に昇ることで神格をうるという意味はない旨言明しているところであり(甲一の32)、国民の一部に戦前の「即位礼当日紫宸殿の儀」を連想し、あるいはその古式蒼然とした様式をみて、皇室神道上の儀式を連想し、これに対し不快の念を抱いた者のいることは否定できないとしても、一般には、右儀式については、政府見解のとおりの趣旨で行われるものであり、また、その様式については、戦前の様式を踏襲しているものの、それは皇位の継承という性格にかんがみ皇室の伝統を尊重する趣旨から採用されたものであり、あくまでも象徴天皇の即位にふさわしくこれを一定の格式と威儀を備えたものとするための形式にすぎないものであると理解されていたものと認めるのが相当である。
したがって、「即位礼正殿の儀」から神道的な色彩が完全に払拭されていないからといって、それが、一般人に対して、神道への関心を高め、国が神道を特別に支援しており、神道が他の宗教とは異なる特別のものであるとの印象を与えたものとは認められない。
エ もっとも、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き、国家神道に対し事実上国教的な地位が与えられ、時として、それに対する信仰が要請され、あるいは一部の宗教団体に対し厳しい迫害が加えられるなどの種々の弊害を生じたことにかんがみ、政教分離規定が設けられるに至った歴史的な背景は、宗教に関する我が国の社会的事情の一つとして、目的効果基準による判断に際して考慮されるべきである。しかも、憲法の制定及びこれに伴う旧皇室典範等関係法規の廃止、いわゆる神道指令の発出等によって、天皇は、国政に関与する権限を失い、日本国及び日本国民統合の象徴として位置付けられる一方、神社は、国の保護の下を離れ、純然たる宗教法人として国からの財政的援助を打ち切られ、神社の神官も公務員たる地位を失い、その結果、戦後国家神道は制度上消滅したが、現在においても、なお、かつての国家神道の復活を唱える勢力が存在すること及び戦後設立された宗教法人で、全国の大半の神社を擁する神社本庁が、天皇を神格化し、その繁栄を教義としていることも認められるのであって(甲一の32、二の10、七の5、6、弁論の全趣旨)、政教分離規定創設の歴史的背景に照らして、かかる現実の政治的、社会的動向がいかなる意味を持つかについても考慮を払いつつ、右規定の適正な解釈適用を図ることも憲法上の今日的な課題であるといわなければならない。そして、右のような観点から、国が安易に神道の色彩を有する儀式を国事行為として行うことに危惧の念を抱く国民の存在することは否定できないし、原告らの主張も、同様の立場に立つものと理解することができる。
しかしながら、このような国家神道の復活を標榜し、あるいは天皇の神格化を唱える勢力の主張が違和感なく国民に受け入れられているとは認め難い。神道は今では宗教の一派にすぎず、天皇制と神道とを結び付け国家神道を復活するという考え方、動きが一部にあるとしても、大多数の国民にとって国家神道の復活などは思いのほかのことであり、一般の国民の間では、国家が政教分離原則に反して神道を始めとする宗教と結び付くことがいかなる意味でも許されないとの認識は今日ではほぼ確立しているというべきである。また、証拠(甲一の32、七の23)及び弁論の全趣旨によれば、本件即位の礼・大嘗祭の実施に当たって、本件諸儀式をすべて国事行為として行うべきであるとか、戦前の登極令に従った様式で行うべきである旨の主張が一部から出されたこと、それにもかかわらず、前記2で認定したとおり、宗教的色彩の薄い「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」のみが国事行為とされ、その他の儀式は皇室行事とされたこと、また、国事行為として挙行された「即位礼正殿の儀」の内容も、伝統的な様式を尊重しつつ、憲法理念との調和を図るため、その宗教的意義を払拭しようとしたものということができ、その宗教とのかかわり合いの程度は微弱であると認められることは前示のとおりである。したがって、国民の一部に国家神道の復活を目指す動きがあるという現実を考慮しても、国が神道的な色彩を一部残した「即位礼正殿の儀」を国事行為として挙行したことが、国と神道との結び付きを復活する動きを促進、助長するものと速断することはできない。
オ この点に関連して、原告らは、①憲法制定の経緯に照らせば、国家神道の核心的な儀式であった戦前の即位の礼・大嘗祭を現行の憲法の下で再現することが許されないことは論をまたないし、②天皇即位の祝典やセレモニーは特定の宗教とのかかわり合いを持つ形でなくても十分可能であって、むしろ戦後世代が多数派となった現在ではそれが多数者の意識にも合致する旨主張する。確かに、右は一つの見識として検討の対象とされてしかるべきものと考えられ、現に、証拠(甲一の32、五の1、2、八の1の12ないし17、4の9、原告前田朗、同渡辺治)及び弁論の全趣旨によれば、本件即位の礼・大嘗祭について政教分離原則との関係で問題があるなどの理由で参列せず、あるいは私費での参列を明言していた知事がいたこと、国会でも本件即位の礼、とりわけ政府が自らその宗教性を認めた本件大嘗祭への国費の支出については議論が集中し、その政教分離原則違反について疑問が提出され、また地元の新宿区議会等において大嘗祭等の公式行事化に反対する意見書が採択され、内閣総理大臣などにあて提出され、また、数多くの市民団体等から本件郎位の礼・大嘗祭が政教分離に違反する旨の抗議の声が上がり、マスコミ等でもそれらのことに関し種々報道されていたことが認められる。
しかしながら、他方、憲法において皇位が世襲制とされ、これを受けて、皇室典範が、皇位は、皇統に属する男系の男子が継承する旨定めていることからすれば、象徴天皇制、政教分離原則を採用した憲法の理念との調和を図りつつ、皇室の伝統を尊重して即位の礼を挙行すべきものとする政府見解にある考え方もそれなりに合理性を有するものであり、このような考え方を肯定する国民が相当数いたことも公知の事実である。また、大嘗祭が、あくまでも天皇あるいは皇室が主宰して皇室行事として挙行されたものであり、その儀式の挙行自体について政教分離原則違反の問題が生じないことは後述するとおりである。いずれにしても、現行の憲法の下では宗教的色彩を全く排除した形での即位の儀式しか許容されないようにいう原告らの主張は、たやすく採用することができない。
以上の諸事情を総合的に考慮して判断すれば、「即位礼正殿の儀」それ自体は、宗教とかかわり合いを持つものであることを否定し得ないが、その目的は、天皇が即位を公に宣明するとともに、その即位を内外の代表が祝うという専ら世俗的なものであり、その効果は神道を援助、助長、促進し又は他の宗教に圧迫、干渉等を加えるものとはいえず、国が右儀式を国事行為として実施することによってもたらされる国と神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものとは認められないから、国事行為としての右儀式の実施は、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。
(5) 以上に判示したところからすると、国が「即位礼正殿の儀」を国事行為として行い、そのために公金を支出することも、国と神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものとは認められず、憲法八九条に違反するものではないというべきである。
(二) 被告鈴木が「即位礼正殿の儀」に参列し、敬礼及び万歳三唱を行ったことが政教分離原則に違反するか否かについて
(1) 「即位礼正殿の儀」は微弱ながら宗教的色彩を帯びたものであるが、その国事行為としての実施が、いわゆる目的効果基準に照らして政教分離原則に反するものでなく、憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動に該当しないというべきことは、前示のとおりである。
そして、前記2(一)、(二)及び(四)の認定事実によれば、被告鈴木は、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承に伴う儀式に際し、内閣総理大臣の招きに応じ、右儀式が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として、天皇の即位に祝意を表す目的で右儀式に参列したものと認められ、被告鈴木が、他の参列者と同様に天皇に敬礼し、海部首相の「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」との発声に引き続き万歳三唱を行ったことについても、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表すること以上に、何らかの宗教的要素が含まれていたとみることはできない。他に、被告鈴木の右儀式への参列自体が、いわゆる目的効果基準に照らし、政教分離原則に違反するとすべき特段の事情があったことを認めるに足りる証拠はない。
「即位礼正殿の儀」が神道の宗教的色彩を帯びるものであったことから、被告鈴木の右儀式への参列により、都が右宗教とのかかわり合いを持ったことを全く否定することはできないとしても、結局のところ、被告鈴木は、憲法二〇条三項により禁止された宗教的活動に該当しない右儀式に右のような社会的儀礼という世俗的目的で参列したものにすぎず、その行為は何ら宗教的意義を持つものではなく、右参列行為をもって右憲法条項で禁止された宗教的活動に該当するということはできないというべきである。
(2) 原告らは、①被告鈴木は神事を法令化した登極令に則った各神道儀式に、その式次第に沿った形態で参列し、純然たる宗教行為である敬礼等を行った、②被告鈴木の本件諸儀式への参列は、登極令にいう、地方高等官の儀式への参列を意味し、右諸儀式を完結させる上で不可欠の構成要素であったとの認識を前提として、被告鈴木は、戦前より内務・自治官僚の道を一貫して歩み続け、一時は特務機関にも身を置くなど、正に戦前の国家神道体制の中枢にあり、同時に、戦後の新憲法の下の神道指令以降の改革を身をもって体験した人物であり、このような被告鈴木の経歴からして、同被告は即位の礼・大嘗祭等の諸儀式が政教分離原則に違反していることを十分認識しつつ、あえて右諸儀式に参列した疑いが極めて強いとし、被告鈴木の右諸儀式への参列については、皇祖の霊座(高御座)に登壇し、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就く天皇に対する畏敬崇拝の意を表す目的が、公言された目的と不可分一体に存したことは疑いを入れない旨主張する。
しかしながら、右①及び②に係る原告らの認識が当を得ないものでないことは既に説示したとおりであり、かかる認識や被告鈴木の過去の経歴から、同被告が即位の礼・大嘗祭が政教分離原則に違反していることを十分認識しつつ、あえてそれらの儀式に参列した疑いが極めて強いとする原告らの主張は、何らの根拠もない推論というほかない。
4 次に、被告鈴木の「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」への参列並びに「大嘗宮の儀」への参列(本件皇室行事への参列)等が、政教分離原則に違反するか否かについて判断する。
(一) 「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は、天皇が、宮中三殿といわれる賢所(天照大神を祀る殿舎)、皇霊殿(歴代の天皇・皇族の霊を祀る殿舎)、神殿(天神地祇を祀る殿舎)に、即位の礼を行うことを奉告する儀式であり、また、右各儀式に際しては、神楽歌が奏され、神職である掌典長により祝詞が奏されたほか、神饌及び幣物が供され、参列者は拝礼を行ったというものであって、それらは宗教上の儀式としての性格を有するものというべきである。また、同様に、「大嘗宮の儀」は、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを祈念するという性格を持つ儀式であり、その内容も、天皇が自ら神前に新穀を供え、拝礼の上、告文を読み、自らも新穀を食するというものであって、宗教上の儀式としての性格を有するものというべきである。
そして、被告鈴木は、本件皇室行事に都知事として参列し、それらの式次第に従って拝礼を行っているから、これにより、都が宗教とかかわり合いをもったことは明らかである。
(二) そこで、いわゆる目的効果基準に従って、被告鈴木の本件皇室行事への参列等が政教分離原則に違反するか否かについてみると、以下のとおりである。
(1) 前記2(五)に認定したとおり、古代から天皇の即位の儀式は行われてきており、大嘗祭は七世紀の持統天皇のころから行われてきたのであって、桓武・平城天皇以降、天皇の即位に当たり、践祚、即位の礼、大嘗祭という三つの天皇就任儀礼が行われるようになったのである。大嘗祭は、応仁の乱後の一五世紀後半ころから約二〇〇年間挙行が中断された時期があり、歴代天皇のうちこの期間を含めて一五代にわたる天皇が大嘗祭の挙行を見合わせているが、その理由については、皇室経済の逼迫のためであるとする見解があるのであり、この一時期を除けば、大多数の他の天皇は、即位後挙行までの期間の長短はあるにせよ、一様に大嘗祭を行ってきており、特に、一七世紀に再開されてからは本件の大嘗祭に至るまで間断なく実施されてきたのである。即位の礼及び大嘗祭は、時代の変遷とともに、為政者の思惑や為政者と天皇との力関係、皇室の経済状況等の影響を受け、様式が簡易化されたり、内容が改変されたりしており、古くは、右のとおり大嘗祭が約二〇〇年間にわたり中断された結果、旧来の儀式の内容が明確でなくなって、不完全な継承を余儀なくされ、また、近くは、明治維新後意識的に大幅な改革が加えられ、それまでの神仏習合的な様式から仏教的要素が払拭され、神道様式に純化された沿革があるが、明治四二年に制定された登極令においては、旧来の伝統様式をも踏まえた上で諸儀式の式次第等が決められたものであり、本件諸儀式も、その様式において、従来の伝統を踏まえたものとなっていることが認められる。
このように、大嘗祭は、発祥以来その内容、祭式等において不変不動のものではなく、また、途中一時中断された時期があることなどから、皇位継承に不可欠の儀式とは認め難いけれども、本件大嘗祭の挙行まで一〇〇〇年を超える長い期間、皇位継承の際に通常行われてきた一世に一度の儀式であり、全体としてみれば、皇室にとって、それは伝統に基づく皇位継承に必要かつ重要な儀式の一つとなっていたものとみることができる。「即位礼当日賢所奉告の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」等、本件諸儀式のうち皇室行事として行われたその他の各儀式についても、同様に、皇室の伝統に基づく皇位継承に必要かつ重要な儀式の一つとなっていたものとみることができるのである。
そして、天皇は、当然のことながら、私的に皇室関係の儀式を挙行するに当たり、自ら祭主となり、特定の宗教の様式に従ってこれを執り行うことができるところ、皇室においては、儀式は神道の様式に則って行われる伝統があり、本件諸儀式のうち皇室行事とされたものについても、あくまで皇室の行事として、古来の伝統を踏まえ、神道の様式に従って行われたことは、前述のとおりである。
(2) ところで、前記2(二)(2)、(三)(2)及び(五)記載のとおり、「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は、天皇が宮中三殿といわれる賢所、皇霊殿及び神殿に即位の礼を行うことを奉告する儀式であり、また、「大嘗宮の儀」を含む大嘗祭の中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝するとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念する儀式であり、これらはいずれも象徴としての天皇が主宰するものではなく、皇室神道における祭司としての天皇が主宰するものであり、祝詞を奏する掌典長は皇室の私的使用人であって公務員ではないこと、また、明治維新以降国家と神道が密接に結び付き種々の弊害を生じたことにかんがみ政教分離規定を設けるに至ったなど前記の憲法制定の経緯、ひいては第二次大戦後、旧皇室典範、登極令及び同附式が廃止され、現行法令上大嘗祭について定めた規定は存在しないことなどからして、右諸儀式は、国事行為(憲法七条)あるいは天皇の公的行為としてではなく、天皇個人あるいは皇室の私的な信仰に基づき行われるべきものであり、また、それゆえに皇室行事として行われたものとみるべきである。
前記2で認定したとおり、政府は、本件大嘗祭等の皇室行事の費用を宮廷費から支出しているが、右大嘗祭については、その趣旨・形式からして「宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができず、また、その態様においても、国家がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難である」としつつ、その費用については、「大嘗祭を皇室行事として行う場合、大嘗祭は、…皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。」との見解に基づきこれを支出したものであり、したがって、国が右費用を支出するなど本件皇室行事の挙行にかかわっているからといって、直ちに本件皇室行事を国が主催して行ったものと位置付けることはできない。
右のとおり本件皇室行事は本来天皇又は皇室が主宰して行う私的な行事というべきであるが、天皇の地位は皇室において世襲されるものであるから(憲法二条)、天皇家におけるいわゆる代替わりは、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の即位と当然に結び付くものであり、その意味において、本件大嘗祭等の皇室行事は公的な即位と密接な関係にあり、その主宰者が日本国及び日本国民統合の象徴としての地位にある天皇個人であることからすれば、国又は地方公共団体が、右皇室行事に際し、その代表者等をこれに参列させ社会的儀礼として敬意と祝意を表させるなど、公的に相応の配慮をすることは許容されるべきものと考えられる。
(3)ア 被告鈴木が本件皇室行事に参列したのは、右に述べたような皇室の代替わりに伴う諸儀式の性格にかんがみて、公的な配慮から、右皇室行事が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として、右代替わりについて敬意と祝意を表す目的によるものと認めるのが相当である。行為の態様としても、被告鈴木は、宮内庁長官の案内を受け、多数の参列者の中の一人として儀式に参列し、拝礼等をしたにとどまり、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位と密接な関係にある皇室における代替わりに対し敬意と祝意を表すること以上に、そこに何らかの宗教的要素が含まれているとみることはできない。
この点に関し、原告らは、「即位礼当日賢所大前の儀」、「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」は、天皇が神に由来する神聖王であることを受け入れ、国民の代表がこれに服属することを誓うことを象徴的に表す「即位礼正殿の儀」が行われることを宮中三殿に奉告する儀式であり、「即位礼正殿の儀」と密接不可分の関係をもった儀式であり、また、本件大嘗祭は、天皇が皇祖天照大神と一体化し、現御神となるという特別の意義を持つ最も神秘的な神道儀礼であるとし、現御神としての神聖天皇の支配の正当性を承認しこれに服従する被支配者の存在は、右儀式を成り立たせる不可欠の構成要素であって、地方の統治者として被支配者を代表して本件皇室行事に参列した被告鈴木の行為は、神聖天皇、聖なる国体を表す宗教儀式を完成せしめたものであり、神社本庁の信仰内容の表出・伝達を完成させたという宗教的な意味を持つ行為にほかならない旨主張する。
しかしながら、「即位礼正殿の儀」が旧来の様式を踏襲しつつも、憲法の理念に従い象徴としての天皇が即位を宣明し、国及び地方公共団体等各界の代表者がこれを祝うという世俗的な目的の儀式として執り行われたことは前記説示のとおりであり、また、大嘗祭について、天皇が現人神となる儀式であるとする見解は、必ずしも確立した定説とはいえず、本件大嘗祭も右のような見解に基づいて実施されたものではない。宮内庁に設置された「大礼委員会」も、記者会見の場で、大嘗祭は「神格化の儀式」、「聖婚儀礼」であるなどの指摘がされていることに対し、①内陣には采女(うねめ)が控えており天皇が一人になることはないこと、②過去の御告文を見ても神に五穀豊穣を感謝し祈る趣旨であり、自ら神格をうる旨の記述はないこと、③神座は皇祖・天照大神を迎えるもので、天皇自身は触れることもせず、神座で天皇が神と一体化するというのは誤りであることなどの理由を挙げ、右の指摘を明確に否定しているところである。いずれにしても、戦前に行われた大嘗祭等の儀式への国及び地方の代表者の参列が服属儀礼としての意味を持っていたことは否定できないが、現行の憲法において、天皇の神的性格は否定され象徴天皇制が採用されているのであり、そのような制度の下において、天皇家がその代替わりの儀式を明治憲法の下におけるのと同様に登極令等の定める様式に則って挙行したからといって、地方の代表者である被告鈴木らが被支配者として、神聖天皇の支配の正当性を承認しこれに服属することを誓うなどの趣旨で本件皇室行事に参列したものとみることは到底できない。
また、被告鈴木は、他の道府県知事と異なり、本件皇室行事に「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」などとして参列し、秋田県及び大分県の知事とともに、特別に夫婦同伴で参列しているが、弁論の全趣旨によれば、都道府県の総代の決定については、宮内庁より全国知事会に対して推せんの依頼があり、全国知事会では、当時全国知事会の会長であった被告鈴木を推せんしたこと、被告鈴木に送付された本件皇室行事への案内状には都知事の肩書きのみで都道府県の総代という記載はなかったこと、宮内庁等が被告鈴木に対しその参列が本件皇室行事において何らかの宗教的意義を有することになるなどの意思表明を行った事実はなく、被告鈴木は全国知事会の推せんにより、都道府県の代表として取り扱われたというにすぎないことが認められるのであって、被告鈴木が都道府県の代表として推せんされたことは、被告鈴木が当時全国知事会の会長であり、また、東京が本件大嘗祭等の皇室行事の挙行地であるばかりでなく、日本国の首都であり政治・経済・文化の中心都市として極めて重要な地位を占めることに照らせば、何ら不自然なことではない。したがって、被告鈴木が「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」として参列したことをもって、被告鈴木の参列が神聖天皇の支配の正当性を承認しこれに服従する被支配者の代表としての参列を意味し、本件皇室行事を完成させる不可欠の構成要素となっていたとか、日本国中がこぞって天皇に服従していることを象徴的に表現するものであったとかいうことはできず、そこに宗教的な意義を見出すことはできない。
イ 次に、一般人が被告鈴木の本件皇室行事への参列についていかなる理解、印象を持ったかという観点からみるに、前記(2)記載の政府見解に照らせば、本件大嘗祭等の皇室行事が国家がその内容に立ち入ることになじまないもので、本来天皇家の私的な行事として行われるものであることは明らかというべきである。また、右皇室行事が現行の憲法の下において否定された天皇の神性を基礎付ける儀式ではあり得ず、現行の憲法の中核をなす国民主権原理を否定し、天皇と国民の支配従属関係を基礎付ける儀式であり得ないこともいうまでもないことであり、それが一般に共通の認識であると考えられる。右皇室行事の挙行のため、国が財政的・事務的に相当の支援をしたことから、それがあたかも国が主催する儀式であるかのように感じた者のいることは否定できないが、右皇室行事は前記(2)で述べた意味合いおいて公的な即位と密接な関係にあり、その主宰者が日本国及び日本国民統合の象徴としての地位にある天皇個人であることから、国又は地方公共団体が右皇室行事に対し相応の配慮をし、社会的儀礼を尽くすことは一般には自然なことと受け止められたものと考えられるのであって、これらの事情を考慮すれば、一般人においては、被告鈴木による右皇室行事への参列等は、神道儀式に関与する趣旨のものではなく、皇室における代替わりの儀式に敬意と祝意を表すべく、社会的儀礼として行われたものと理解しているものと認めるのが相当である。
(4) 原告らは、①被告鈴木は神事を法令化した登極令に則った各神道儀式に、その式次第に沿った形態で参列し、純然たる宗教行為である拝礼等を行った、②被告鈴木の本件諸儀式への参列は、登極令にいう、地方高等官の儀式への参列を意味し、右諸儀式を完結させる上で不可欠の構成要素であったとの認識を前提として、被告鈴木は、戦前より内務・自治官僚の道を一貫して歩み続け、一時は特務機関にも身を置くなど、正に戦前の国家神道体制の中枢にあり、同時に、戦後の新憲法の下の神道指令以降の改革を身をもって体験した人物であり、このような被告鈴木の経歴からして、同被告は、本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式が政教分離原則に違反していることを十分認識しつつ、あえて右諸儀式に参列した疑いが極めて強いとし、被告鈴木の右諸儀式への参列については、皇祖天照大神と一体化して現人神となった天皇に対する畏敬崇拝の意を表す実際の目的が、公言された世俗的目的と不可分一体に存したことは疑いを入れない旨主張する。しかしながら、右①及び②に係る原告らの認識が当を得ないものでないことは既に説示したとおりであり、かかる認識や被告鈴木の過去の経歴から、同被告が即位の礼・大嘗祭が政教分離原則に違反していることを十分認識しつつ、あえて右諸儀式に参列した疑いが極めて強いとする原告らの主張は、何らの根拠もない推論というほかない。
(5) 以上によれば、被告鈴木の本件皇室行事への参列等は、その目的は、天皇の皇位継承に伴って皇室において行われる諸儀式に際し、皇室における代替わりに対し敬意と祝意を表すという専ら世俗的なものであり、その効果も神道を援助、助長、促進し、又は他の宗教に圧迫、干渉等を加えるものとはいえず、これによってもたらされる都と神道とのかかわり合いが我が国の社会的・文化的諸条件に照らし相当とされる限度を超えるものとは認められないから、憲法二〇条三項により禁止される宗教的活動には当たらないと解するのが相当である。
(三)(1) 原告らは、本件皇室行事は、形式上は皇室行事として行われているが、国の関与及び財政的支援がなければこれらの儀式を挙行することは不可能であったのであり、しかも、政府の一員である宮内庁長官を委員長とする「大礼委員会」が儀式の内容やスケジュールを含め準備過程から全面的に関与するという極めて程度が高く密接な関与をしていることからみて、国が主催者兼スポンサーとして実質的に行った宗教的活動であり、これに対する都の関与の憲法適合性が問題となるのであるから、被告鈴木の右皇室行事への参列等が政教分離原則に違反するか否かの判断に当たっては、右皇室行事の挙行が政教分離原則に違反するか否かの判断が不可避である旨主張する。
(2) しかしながら、「即位礼当日賢所大前の儀」、「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」及び「大嘗宮の儀」等の諸儀式が、国事行為(憲法七条)あるいは天皇の公的行為としてではなく、天皇個人あるいは皇室の私的な信仰に基づき行われる私的なものであり、皇室行事として行われたものとみるべきであることは、前記(二)(2)で述べたとおりである。
右のとおり、本件皇室行事は国が行ったものではなく、あくまでも、天皇あるいは皇室が主宰して私的な行事として行われたものであるから、右皇室行事に対する国の関与について政教分離原則違反の有無が問題となりうるとしても、右皇室行事の挙行自体について政教分離原則違反の問題が生ずることはないというべきである。そして、国が本件皇室行事のために公金を支出したこと等は、国の右皇室行事に対するかかわり合いの問題であり、被告鈴木ないし都が国の右行為に積極的に加担する行為をした場合は別として、国の右行為が政教分離原則に違反するかどうかということと、被告鈴木の本件皇室行事への参列等が政教分離原則に違反するかどうかということとは、相互に影響を与えるという関係にはなく、それぞれ別個の問題として検討されるべきものである。
本件において、被告鈴木ないし都が右皇室行事の企画、進行等に関与するなど、積極的に国の行為に加担する行為をしたものと認めるに足りる証拠はないから、右皇室行事への国のかかわり合いが政教分離原則に違反するかどうかは、被告鈴木の右皇室行事への参列等の行為が政教分離原則に違反するかどうかの判断には影響を及ぼさないというべきである。
原告らのこの点に関する主張は、採用することができない。
5 原告らは、本件諸儀式は全体として一つの神事をなしており、その意義は、皇祖天照大神を頂点とする神々の存在を前提として神楽や神饌、幣帛等を奉納し、祝詞をあげて神々に奉告し守護を願うものであり、「即位礼正殿の儀」はその一連の諸儀式の頂点に位置するものである、とりわけ、「即位礼正殿の儀」の直前に行われる「即位礼当日賢所大前の儀」は、前記のとおり皇祖天照大神の前に天皇が群臣を率いて即位を奉告する儀式であり、「即位礼正殿の儀」と不可分一体のものという位置付けをもっているなどとして、政教分離原則違反の有無を審査するに当たり、本件諸儀式を一体のものとして評価すべきである旨主張する。
確かに、「即位礼正殿の儀」の直前に行われる「即位礼当日賢所大前の儀」は、天皇が即位礼の当日、賢所に即位の礼を行うことを奉告する儀式であり、その他、本件諸儀式の概要は別紙三記載のとおりであって、右諸儀式相互間に一定の連続性が認められる。
しかしながら、本件諸儀式のうち「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」及び「饗宴の儀」は、国により国事行為として挙行され、一方、それ以外の諸儀式については、その儀式の宗教性及び態様から、皇室による私的な代替わりの儀式として挙行されたものであり、後者の儀式の挙行については、国が費用を負担するなど一定の事務的な援助の措置を講じているものの、これらの儀式を国が行ったものとまではみることができないことは前記4(二)(2)で述べたとおりである。加えて、「即位礼正殿の儀」と大嘗祭とはもちろん、「即位礼正殿の儀」と「即位礼当日賢所大前の儀」、「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」とが、その趣旨・目的、時間及び場所、参列者の身分、規模等からして、明確に区別されたものであることは、前記3(一)(4)等で述べたとおりである。
右のとおり、政府は、天皇の即位の儀式について、過去の伝統と、象徴天皇性、政教分離原則を採用した憲法の理念との調和を図るべく、儀式の宗教性、態様を考慮して、国が国事行為として行う儀式と皇室が私的に行う儀式とに分け、後者については、費用を負担するなど一定の事務的な援助をするにとどめたのであって、右のような区別はそれなりの合理性を有するものといえる。したがって、戦前において、本件諸儀式が一体のものとして行われていたからといって、それらが政教分離原則に違反するかどうかの判断に当たって、現行の憲法の下で右のような合理的な区別に基づき挙行された本件諸儀式を一体のものとして評価しなければならないということはいえず、国が国事行為として行った儀式については、それが政教分離原則に反し憲法二〇条三項により禁止された「宗教的活動」に該当するかどうかを、また、皇室行事として行われた儀式については、国の右諸儀式へのかかわり合い、あるいは被告鈴木ないし都の右諸儀式へのかかわり合いが政教分離原則に違反するかどうかをそれぞれ別々に検討すべきものとするのが相当である。
原告らの右主張は採用することができない。
6 以上のとおり、被告鈴木による本件参列は政教分離原則等に違反するものではなく、したがって、被告鈴木の本件参列のため、都が本件自動車運行費等を公金から支出したことに政教分離原則等に違反する点はないというべきである。なお、本件自動車運行費等を公金から支出することが、その支出の性質上、公金を「宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため」に支出することに該当しないことは明らかであり、右公金の支出について憲法八九条違反の問題は生じないというべきである。
四 本件各祝賀事業のために都の公金を支出したことが政教分離原則(憲法二〇条、八九条)に違反するか否かについて(争点3―(二))
1 前記第二の二記載の事実に証拠(甲一の32、五の3、8の1及び2、9の1及び2、10の1及び2、11の1ないし3、18、19の1及び2、20の1ないし4、21の1ないし3、22、23の1及び2、24の1及び2、25の1ないし4)及び弁論の全趣旨を併せれば、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(一) 都は、天皇の即位を祝うため、天皇陛下御即位祝賀記念式典等の本件各祝賀事業を行うことを決定し、以下のとおり実施した。
(二) 天皇陛下御即位祝賀記念式典
右式典は、平成二年一二月一九日、東京文化会館において、名誉都民、都民文化栄誉賞受賞者、関係団体代表者等約二〇〇〇名を招待して開催され、都民の代表者三名の祝辞、幼稚園児による花束贈呈に続いて、天皇陛下のお言葉があり、その後、東京都交響楽団の記念演奏等が行われた。そして、そのための経費として、東京文化会館施設設備等使用料四七万一八七〇円、招待状等印刷・あて名書き料七六万四九四三円、記念品購入代金五九二万二五〇〇円、色紙等印刷・作成料一五四万六九五七円、企画実施委託料一八二八万一八八二円の合計二六九八万八一五二円が都の公金から支出された。なお、当時都総務局長であった被告鹿谷は、株式会社博報堂に対し、右式典に係る企画を委託するに当たり、地方公共団体が主催する行事の性格上、宗教的色彩のないものとすることを依頼した。
(三) 銀器の献上
国会は、平成二年六月二六日、憲法八条に基づき、皇室は、平成二年一一月一日から同年一二月二〇日までの間において天皇の即位を祝するために贈与される物品を譲り受けることができることなどを議決し、内閣は、同年七月三日、右議決に基づき、皇室が譲り受けのできる団体として、衆議院、参議院、内閣又は最高裁判所の構成員等によるもの、都道府県等及び海外にある邦人によるもので、在外公館の長の意見を聞いて宮内庁長官が特に適当と認めるものと定めた。そして、宮内庁次長は、全国知事会事務総長の照会に対し、具体的な取扱手続等について回答した(平成二年七月三日付宮内総発第三五六号)。右回答においては、「これは、ご即位のお祝いにふさわしいものを最小限度お受けしようという趣旨であり、決して献上を奨励するものではありませんので、念のため申し添えます。」との一文が記載されており、北海道及びいくつかの県は、お祝品を贈呈しなかった。
都は、「ご即位を祝する都民の気持ちを代表して祝意を表するため」としてお祝品を献上することとし、右方針等に即して検討した結果、即位のお祝いにふさわしいものとして、都を代表する歴史と伝統のある工芸品である東京銀器「吉鶴」置物(時価一〇〇万円)の献上を決定し、都の公金で右置物を購入して天皇・皇后に対し献上した。
(四) 祝賀御列の沿道における菊花装飾
都は、従来から、外国の要人のためのパレード等の際、相当の人出が予測されることから道路における草花の装飾を行ってきた。
都は、「祝賀御列の儀」が国事行為として行われ、最大規模の人出が予想されることから、外国の要人のためのパレード等の行事と同様に、道路環境整備の一環として沿道に草花の装飾をすることを決定し、業者に対し、「祝賀御列の儀」が行われる皇居から赤坂御所までのうち都道部沿道に菊花装飾をし、植え付けた草花が、「祝賀御列の儀」当日の平成二年一一月一二日に最良の状態になるように委託した。そして、右委託にかかる経費として一九四六万七〇〇〇円が都の公金から支出された。
(五) 水元公園における植樹
都は、水元公園においてソメイヨシノ三本を記念植樹し、そのための請負等代金として、二六万七八〇〇円を支出した。
(六) 都民の森における植樹
都は、都民の森においてモミの木三本を記念植樹し、右植樹に係る苗木等購入代金として、六万七三一一円を支出した。
(七) 本件記念乗車券の発売等
その他、都は、本件記念乗車券の発売、都バス・都電の装飾運行、浜離宮恩賜庭園等の都立施設の無料開放等を行い、また、平成二年一一月一二日午後一時に東京港内に停泊している船舶が汽笛の一斉吹鳴を行うよう関係者に依頼をした。
2 以上を基に、都が実施した本件各祝賀事業が政教分離規定に違反するか否かについて検討するに、本件各祝賀事業は、都が、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位を祝うために自らの判断で実施したものと認められ、その目的及び実施の態様等からみて、宗教的要素を持つものとも、宗教とのかかわり合いを持つものとも認められない。
すなわち、本件各祝賀事業のうち、少なくとも祝賀御列の沿道における菊花装飾を除くものは、国又は皇室の儀式として行われた本件諸儀式と格別のかかわり合いを持つものとは認められないし、また、祝賀御列の沿道における菊花装飾は、その趣旨からして、国の儀式として実施された「祝賀御列の儀」にかかわり合いを持つ事業であるということができるものの、前述のとおり、「祝賀御列の儀」は、広く国民に即位を披露し、祝福を受けるという趣旨の下に、「即位礼正殿の儀」の終了後、天皇・皇后が、皇居から赤坂御所までを、車列を組んで移動するという儀式であって、右儀式が何らの宗教性を有しないことは明らかというべきである。
したがって、本件各祝賀事業が政教分離原則に違反する旨の原告らの主張は失当である。
3(一) これに対し、原告らは、本件各祝賀事業には、天皇の即位自体を祝賀するという趣旨が存在していたことは事実であるが、天皇の即位の時期ではなく、それから一年以上も経過した本件即位の礼・大嘗祭の時期に焦点をあてて実施されていることからして、天皇の即位自体よりもむしろ、右即位の礼・大嘗祭という儀式と一体をなすものとして実施されたものとみるべきとの考え方を前提として、本件各祝賀事業は、政教分離原則に違反した本件諸儀式と一体となって実施されているから無条件で政教分離原則に違反する、あるいは、仮に目的効果基準を適用して判断するとしても、政教分離原則に違反することは明らかである旨主張する。
しかしながら、皇室典範四条によれば、天皇が崩じたときは、皇嗣が、直ちに即位する旨規定されていることから、天皇の即位自体は昭和天皇の死後直ちに行われたが、天皇の即位を祝う祝賀事業については、昭和天皇の崩御の後ある程度の期間これを差し控えるのは常識に属することというべきであり、また、国において国事行為として即位の礼を実施し、皇室においても大嘗祭等の代替わりの儀式を行うことが予定されていたのであるから、都が、本件各祝賀事業の実施時期を右即位の礼の実施時期に歩調を合わせる形で決定することは不自然なことではなく、右実施時期の決定過程に宗教的な配慮がなされたことは何らうかがえないし、皇室の右儀式の日程等を考慮して、右祝賀事業の日程を検討することもまた当然のことというべきであり、本件各祝賀事業が、本件諸儀式と同時期に実施されているからといって、本件諸儀式と一体をなすものということは到底できない。
したがって、原告らの右主張は前提において理由がなく、失当である。
(二) 原告らは、宗教的祭儀の祝祭的部分は、神社神道では神賑(しんぶり)行事と呼ばれており、日常的時間の流れを断ち切り、そこに非日常の空間を現出し、人々の感情を解放、放出させることによって宗教的価値を獲得、再確認させる重要な宗教的役割を担っているのであるから、宗教的祭儀と一体のものとして行われる祝祭的行事を、単なる世俗的行事とみるのは正しくなく、本件各祝賀事業も、中央で行われた本件即位の礼等の宗教儀式と一体的に行われたという意味において、宗教的意義を持ち、宗教的効果を持ったというべきである旨主張する。
しかしながら、本件各祝賀事業が本件即位の礼・大嘗祭と一体のものとして行われたとみることができないことは既に説示したとおりであるから、原告らの右主張はその前提を欠くものであり失当である。
4 以上のとおり、本件各祝賀事業は政教分離原則に違反するものではなく、したがって、都が右各祝賀事業のために公金を支出したことに政教分離原則違反はないというべきである。
五 本件支出が国民主権原理・象徴天皇制(憲法一条)に違反するか否かについて(争点4)
1 被告鈴木の「即位礼正殿の儀」への参列のため都の公金を支出したことが国民主権原理・象徴天皇制等に違反するか否かについて
(一) 国が国事行為として「即位礼正殿の儀」を実施したことが国民主権原理・象徴天皇制に違反するか否かについて
(1) 「即位礼正殿の儀」等の儀式を国事行為として実施することが違憲であるとした場合、地方公共団体がその共同施行者となり、あるいは経済的な援助を行うなど積極的にこれらに加担する行為を行ったときには、当該行為は国の行為と同様に違憲なものと評価されうるというべきであること、また、地方公共団体が右儀式の実施に積極的に加担するというのではなく、右儀式に単に儀礼的に参列するにとどまる程度に関与するにすぎないとしても、およそ国が行う行為が違憲である場合において当該行為に関与することは地方公共団体が行う事務(法二条二項)に該当せず、そのために公金を支出することは違法と評価されることがありうるものというべきことは、前記三3(一)(2)に説示したとおりである。
(2) そこで、国が国事行為として「即位礼正殿の儀」を実施したことが憲法の定める国民主権原理・象徴天皇制に違反するか否かについて検討する。
原告らは、憲法一条は、天皇が日本国及び日本国民統合の象徴という地位にある旨、及びその地位が主権者である国民の総意に由来するものである旨を規定し、大日本帝国憲法の神権的国体観念を排斥することを明らかにする趣旨の規定であり、右規定の趣旨からすれば、天皇が国民主権原理と矛盾する儀式や宗教的儀式その他憲法二〇条で禁止された宗教的活動に該当すると評価されるような儀式を国事行為として行うことは許されないものというべきところ、「即位礼正殿の儀」を含め本件即位の礼は、天孫降臨神話を具現する宗教儀式であると同時に、服属儀礼的性格を有するものであって、憲法七条一〇号の定める「儀式」として許される限界を超え、国民主権原理・象徴天皇制に違反する旨主張する。
確かに、国が「即位礼正殿の儀」を国事行為として行うに当たって、政府が過去の伝統を尊重し戦前の様式を踏襲したため、右儀式に宗教的色彩が残ることとなったことは既に認定したところである。しかしながら、憲法が一方において皇統に属する者が天皇の地位に就くことを前提に皇位の世襲制を定めていることからすれば、即位の礼を過去の伝統を尊重し旧来の様式に則って挙行すべきものとする考え方は首肯できないものではない。そして、政府が、象徴天皇制、政教分離という憲法理念との調和を図るべく、右宗教的色彩を弱める努力を払った結果、その宗教的意義がかなりの程度弱められ、天皇が即位を公に宣明し内外の代表がこれを祝するという世俗的な目的を持った右儀式の本来の趣旨は貫かれたものと評価できること、このような事情を考慮すれば、右儀式の挙行をもって政教分離原則に違反するといえないことは、前記三で説示したとおりである。
また、証拠(甲一の30、32)及び弁論の全趣旨によれば、内閣総理大臣が寿詞を読み上げ万歳を三唱する位置は、高御座が置かれた宮殿松の間であって、天皇と内閣総理大臣との高低差は1.3メートルにすぎないことが認められるし、海部首相は「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」と発声し、天皇の即位を祝するという趣旨を明確に表明していること、今日、「万歳三唱」は、各種記念式典や会合の終了時など、支配・被支配関係に立たない私人間において儀礼的、・慣習的なものとして広く行われていること等の事情を併せ考えれば、「即位礼正殿の儀」が登極令・同附式の定める様式に則って行われたなどの事情があるからといて、右儀式が、神聖天皇の支配の正当性を承認するとともに、被支配者としてその支配に服することを象徴的に表す服属儀礼性を有するものとみることはできない。
したがって、「即位礼正殿の儀」が憲法七条一〇号の定める「儀式」として許容される限界を越え、国民主権原理・象徴天皇制に違反するものとまではいうことはできず、原告らの右主張は採用することができない。
(二) 被告鈴木が「即位礼正殿の儀」に参列し、敬礼及び万歳三唱を行ったことが国民主権原理・象徴天皇制に違反するか否かについて
(1) 原告らは、被告鈴木は、「即位礼正殿の儀」に参列し、それらの中の明白な神道儀式において敬礼という宗教行為を行なっているが、右は、天皇が国民とは異なった神としての権威をもった存在であること、あるいは、国民よりも一段高い位置の存在であることを前提とするものであって、国民主権原理に反する行為である旨主張する。
(2) しかしながら、国事行為としての「即位礼正殿の儀」の実施が国民主権原理・象徴天皇制に違反するものとまではいうことはできないことは、前記(一)で説示したとおりである。そして、前記三3(二)に認定したとおり、被告鈴木は、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の皇位継承に伴う儀式に際し、内閣総理大臣の招きに応じ、右儀式が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として、天皇の即位に祝意を表す目的で右儀式に参列したものであり、被告鈴木が、他の参列者と同様に天皇に敬礼し、海部首相の「ご即位を祝して、天皇陛下万歳」との発声に引き続き万歳三唱を行ったことについても、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位に祝意を表すること以上に、何らかの宗教的要素や服属儀礼的要素が含まれていたとみることはできない。
原告ら主張のように、被告鈴木が「即位礼正殿の儀」に参列し、式次第に従い敬礼し、海部首相の発声に合わせて万歳三唱をした行為をとらえて、神聖天皇の支配を正当性を承認したとか、被支配者として天皇の支配に服する意思を表明したものと認めることは到底できず、他に、被告鈴木の右儀式への参列自体が、国民主権原理・象徴天皇制に違反するとすべき特段の事情があったことを認めるに足りる証拠はない。
被告鈴木は、右儀式に右のような社会的儀礼を尽くすべく参列したものにすぎず、これをもって国民主権原理・象徴天皇制に違反するものということはできず、原告らの右主張は理由がない。
(三) 以上のとおり、被告鈴木の「即位礼正殿の儀」への参列は国民主権原理・象徴天皇制に違反するということはできず、したがって、都が被告鈴木の右参列のため本件運行費等を公金から支出したことに国民主権原理・象徴天皇制等に違反する点はないというべきである。
2 被告鈴木の本件皇室行事への参列のために都の公金を支出したことが国民主権原理・象徴天皇制等に違反するか否かについて
(一)(1) 原告らは、本件皇室行事が、天津日嗣たる神聖天皇が日本の支配者としてその地位に就くという儀式である以上、地方の統治者として被支配者を代表して右皇室行事に参列し、かつ、拝礼した都知事(被告鈴木)の行為が、神聖天皇の支配の正当性を承認するとともに、被支配者としてその支配に服することを象徴的に表す服属儀礼性を有することは明らかであって、国民主権原理・象徴天皇制に違反する旨主張する。
(2) しかしながら、前記三4(二)(2)及び(3)で述べたとおり、天皇の地位は皇室において世襲されるものであるから、天皇家におけるいわゆる代替わりは、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の即位と当然に結び付くものであり、その意味において、本件大嘗祭等の皇室行事は公的な即位と密接な関係にあり、その主宰者が日本国及び日本国民統合の象徴としての地位にある天皇個人であることからすれば、国又は地方公共団体が、右皇室行事に際し、その代表者等をこれに参列させ社会的儀礼として敬意と祝意を表させるなど、公的に相応の配慮をすることは許容されるべきものと考えられる。
そして、被告鈴木が本件皇室行事に参列し拝礼したのは、右に述べたような皇室の代替わりに伴う諸儀式の性格にかんがみて、公的な配慮から、右皇室行事が実施される首都東京の知事の地位にある者の社会的儀礼として、右代替わりについて敬意と祝意を表すことを目的としたものとみるべきこと、また、戦前に行われた大嘗祭等の儀式への国及び地方の代表者の参列が服属儀礼としての意味を持っていたとしても、現行の憲法において、天皇の神的性格は否定され象徴天皇制が採用されているのであり、そのような制度の下において、天皇家がその代替わりの儀式を明治憲法の下におけるのと同様に登極令等の定める様式に則って挙行したからといって、地方の代表者である被告鈴木らが被支配者として、神聖天皇の支配の正当性を承認しこれに服属することを誓うなどの趣旨で右皇室行事に参列したものとみることは到底できないこと、さらに、被告鈴木は、他の道府県知事と異なり、右皇室行事に「都道府県の総代」、「都道府県知事の代表」などとして参列し、秋田県及び大分県の知事とともに、特別に夫婦同伴で参列しているが、右のような事実をもって、被告鈴木の参列が神聖天皇の支配の正当性を承認しこれに服従する被支配者の代表としての参列を意味し、右皇室行事を完成させる不可欠の構成要素となっていたとかいうことができないことは、前記三4(3)に説示したとおりである。
したがって、被告鈴木の本件皇室行事への参列等が国民主権原理・象徴天皇制に違反するということはできない。
(二)(1) 原告らは、本件皇室行事は実質的には国が主催して公的行為として行われたものとみるべきであるとの考え方に立ち、このような宗教的性格及び服属儀礼的性格を有する儀式を公的行為として行うことは、国民主権原理・象徴天皇制に違反し違憲である旨主張する。
(2) しかしながら、「即位礼当日賢所大前の儀」及び「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」及び「大嘗宮の儀」等の諸儀式が、国事行為あるいは天皇の公的行為としてではなく、天皇個人あるいは皇室の私的な信仰に基づき行われるべきものであり、実際にも私的な皇室行事として行われたものとみるべきであることは、前記三4(二)(2)に認定したとおりである。
右のとおり、本件皇室行事は国が行ったものではなく、あくまでも、天皇あるいは皇室が主宰して私的な行事として行われたものであり、したがってまた服属儀礼的性格を有するものでないことも明らかである(前記三4(二)(3))ところ、天皇といえども、私人として行為する限りにおいては信教の自由等の憲法で定められた基本的人権の保障を受けることは当然であるから、右皇室行事に対する国の関与について国民主権原理・象徴天皇制違反の有無が問題となりうるとしても、右皇室行事の挙行自体について国民主権原理・象徴天皇制違反の問題が生ずることはないというべきである。そして、国が大嘗祭等の皇室行事のために公金を支出したこと等は、国の右皇室行事に対するかかわり合いの問題であり、本件において、被告鈴木ないし都が右皇室行事の企画、進行等に関与するなど、積極的に国の右行為に加担する行為をしたものと認めるに足りる証拠はないから、国の右行為が国民主権原理・象徴天皇制に違反するかどうかということと、被告鈴木の右皇室行事への参列等が国民主権原理・象徴天皇制に違反するかどうかということとは、相互に影響を与えるという関係にはなく、それぞれ別個の問題として検討されるべきものである。
したがって、原告らの右主張は採用することができない。
(三) 以上のとおり、被告鈴木の本件皇室行事への参列等が国民主権原理・象徴天皇制に違反するということはできず、したがって、都が被告鈴木の右参列のため本件運行費等を公金から支出したことに国民主権原理・象徴天皇制に違反する点はないというべきである。
3 本件各祝賀事業のため都の公金を支出したことが国民主権原理・象徴天皇制に違反するか否かについて
(一) 原告らは、本件各祝賀事業が、それらが行われた時期からみて本件諸儀式と一体をなすものであるとの主張を前提として、天皇の地位への就任(即位)ではなく、万世一系の現人神統治者という皇室祭祀上の地位に就くことに対する祝賀として実施されたものであり、国民主権原理に違反する旨主張する。
しかしながら、本件各祝賀事業が、本件諸儀式と同時期に実施されているからといって、本件諸儀式と一体をなすものということが到底できないことは前記四2及び3で述べたとおりであるから、原告らの主張はその前提において失当である。
(二) のみならず、本件各祝賀事業は、都が、日本国及び日本国民統合の象徴である天皇の即位を祝うために自らの判断で実施したものと認められることは、前記四2で述べたとおりであり、その実施の目的、態様等からみて、国民主権原理・象徴天皇制に違反するものでないことは明らかである。
(三) したがって、都が本件各祝賀事業のためその費用を公金から支出したことが国民主権原理・象徴天皇制に違反する旨の原告らの主張は、到底採用することができない。
六 本件支出が思想・良心の自由の保障を定めた憲法一九条に違反するか否かについて(争点5)
1 憲法一九条が保障している思想・良心の自由は、人の内心の問題であるところ、国家権力が人を表面的に服従させることはできても、その内心までを統制することは不可能であるから、同条が国家に対して命じているのは、人が思想、良心(以下「思想等」という。)を形成し、これを維持することについて、これを圧迫し、あるいはこれに干渉する等、不当な影響を与える行為をしてはならないとの趣旨であると解せられる。具体的には、人がある思想等を有すること又は有しないことを理由とする不利益取扱いやいかなる思想等を有しているかを強制的に告白させること等を禁止しているものと解される。
ところで、国又は地方公共団体がする政策決定及びその実施は、人の思想等と関連を持つ場合があることを避けられず、国家がしたある政策決定及びその実施がある個人の思想等と相容れない場合に、その個人が不快感、焦燥感、憤り等の感情を抱き、時の社会状況いかんによっては、自らの思想等の維持について圧迫感を感じることもありうることであるが、多種多様な思想等を有する人々が共存する社会において、民主主義に基づく政策決定等の過程で右のような事態が生ずることはやむを得ないことであり、憲法もそのことを当然予定しているものというべきであり、右のような事態が生ずるからといって、右政策決定等が憲法一九条に違反するということにならないことはいうまでもなく、右政策決定等について右憲法条項違反の問題が生ずるのは、それが思想等を理由とする差別的取扱い、思想等の告白の強制等に該当するなど、個人の思想等の形成、維持に具体的かつ直接的に影響を及ぼす場合に限られるものというべきである。
右と異なる原告らの主張は、採用することができない。
2 原告らは、本件諸儀式の実施、被告鈴木の本件参列及び都による本件各祝賀事業の実施が原告らの思想・良心の自由を侵害するものである旨主張するので、右1で述べた見地に立って、原告らの右主張の当否について判断する。
(一) 国事行為として行われた「即位礼正殿の儀」が憲法一九条に違反する場合と本件支出の違憲、違法性の有無との関係は前記三3(一)(2)に説示したところと同様である。
本件皇室行事が、天皇個人あるいは皇室による私的な行事として行われたものとみるべきことは、既に説示したとおりであり、したがって、右皇室行事に対する国や都のかかわり合いについて憲法一九条違反の有無が問題となりうるとしても、右諸儀式の挙行自体について右憲法条項違反の問題が生ずることはないというべきである。そして、国が本件皇室行事のために公金を支出したこと等は、国の右皇室行事に対するかかわり合いの問題であり、本件において、被告鈴木ないし都が右諸儀式の企画、進行等に関与するなど、積極的に国の右行為に加担する行為をしたものと認めるに足りる証拠はないから、国の右行為が原告らの思想・良心の自由を侵害するかどうかということと、被告鈴木の右皇室行事への参列等が原告らの思想・良心の自由を侵害するかどうかということとは、相互に影響を与えるという関係にはなく、それぞれ別個の問題として検討されるべきものである。
以下においては、右の考え方を前提とした上で、本件諸儀式の実施、被告鈴木の本件参列及び都による本件各祝賀事業の実施が原告らの思想、良心の自由を侵害するものであったか否かについて検討する。
(二) 原告らは、象徴天皇の即位に当たり、国や地方自治体による奉祝を行うことは不要であり、それにもかかわらず国及び都が莫大な予算と公務員を使い、国民、都民の反対の声を無視して本件諸儀式及び本件各祝賀事業の実施に際し様々な事実上の奉祝強制を行ったこと、特に、被告鈴木が、登極令に則った本件諸儀式に「都民を代表して」参列し、しかも「天皇陛下及び皇室のご繁栄を祈念しつつ、一二〇〇万都民と共に」祝意を表明したこと及び都が各種「奉祝事業」を実施したことは、耐え難い精神的苦痛をおぼえるものであり、自己の意思に反した意見表明を、何ら政策的必要性が存在しないにもかかわらず、被告鈴木が代替して意見表明したことによって原告らの「祝いたくない意思」が大きく侵害された旨主張する。
原告らは、国が、国民の中にある反対意見を無視し、莫大な国費を費やし、人的にも物的にも丸抱えで神社神道の教義に沿った服属儀礼を強行し、その際即位の礼の当日を休日とし、国旗の掲揚を義務付け、お祝い品の要請をし、恩赦の実施、記念硬貨・記念切手・記念貯金証書の発行をしたこと、都が本件各祝賀事業を実施したこと等をもって、国民に対する奉祝の強制があったとするもののようであるが、国又は都による右のような政策の実施は、思想等を理由とする差別的取扱い、思想等の告白の強制等には該当せず、個人の思想等の形成、維持に具体的かつ直接的に影響を及ぼすものとはいえないから、当該政策の実施について憲法一九条違反の問題が生ずることはないというべきである。
また、都知事であった被告鈴木が都民を代表して本件諸儀式に参列し、敬意と祝意を表明したとしても、そのことをもって、都民のすべてが、右諸儀式に参列したとか、天皇の即位に祝賀の意を示しているとかいった評価がされるものではない。さらに、原告らが、住民税等を課せられているからといって、そのことをもって本件各祝賀事業等への参加を強制されたものとみることはできない(最高裁昭和六一年(行ツ)第一二一号平成元年七月四日第三小法廷判決・裁判集一五七号三二九頁参照)のであり、都が五〇〇〇万円以上の費用を支出して本件各祝賀事業を実施したことをもって、天皇に対する祝意を拒否している者に対し実質的に祝賀の意思表示を強制したものと同視することはできない。
(三) 原告らは、国及び都は、本件諸儀式そのものとともにこれらの奉祝強制を、テレビ・新聞・雑誌などのマスコミを総動員して、全国的規模で、連日連夜報道させ、国民の思想及び良心の形成、維持に対し大きな影響を与え、一部の右翼に、暴力的に、本件即位の礼・大嘗祭の奉祝を強要したり、奉祝に反対する言論を封殺する活動を展開する口実を与え、原告ら国民が奉祝に反対の意見を表明することを著しく萎縮させる効果をもたらした旨主張する。
しかしながら、国又は都が広報活動の一環として本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式や本件各祝賀事業の内容及び実施概要等についてマスコミに情報提供を行うことは、思想等を理由とする差別的取扱い、思想等の告白の強制等には該当せず、個人の思想等の形成、維持に具体的かつ直接的に影響を及ぼすものとはいえないから、当該情報提供について憲法一九条違反の問題が生ずることはないというべきであり、また、国又は都が、右情報提供の域を超えて、マスコミに働きかけてこれらを動員して、国民に奉祝を強制するような報道をさせたと認めるべき証拠は何ら存在しない。さらに、一部の右翼が原告ら主張のような活動を行った事実があるとしても、国又は都がこれらに関与し、あるいはこれらを扇動したという証拠は何ら存在しないのであって、原告らのこの点に関する主張は、その前提を誤るものというほかない。
(四) 原告らは、国又は都は、本件即位の礼・大嘗祭等の諸儀式及び本件各祝賀事業の実施に際し、奉祝強制のため、テロを口実とした過剰警備を行い、その結果、大学での自主活動への干渉、郵便小包の検査、スポーツ・文化諸行事の日程変更、空港や市街地での荷物検査、駅のロッカー等の使用禁止、空き家の検索などにより市民生活が干渉され、奉祝に反対の人は正に屈辱的労苦を強いられたし、反対の意見を表明することは実際上不可能若しくは著しく困難となり、奉祝に反対する思想及び良心の形成、維持、表現は不当な圧迫を受けた旨主張する。
しかしながら、証拠(甲一の32、八の1の18ないし21、1の23ないし26)及び弁論の全趣旨によれば、本件諸儀式及び本件各祝賀事業が実施されるに際し、警察庁又は警視庁等が秩序維持のため特別の警備を実施したことが認められるが、右警備は、当時現実に反皇室ゲリラ等が起きていたこと及び右諸儀式に反対する勢力との対決姿勢を一段と強めている右翼集団が存在したことから、右諸儀式や本件各祝賀事業を滞りなく実施し、国民の生活の安全を十分に保障するには、右のようなゲリラ活動その他の暴力的活動を阻止することが肝要であるとの認識に基づき、右の目的を達成するためになされたものと認められるのであって、国又は都がかかる暴力行為の阻止という域を超え、国民に奉祝を強制する目的で殊更に過剰な警備をしたものと認めるに足りる証拠はない。また、証拠(甲一の32、八の22及び25)及び弁論の全趣旨によれば、本件即位の礼の実施に際し、警察当局からの要請あるいは自己の判断により、原告らが主張するような様々な生活規制が行われたことがうかがわれるが、警察当局の自主規制の要請は、あくまでも右のような暴力行為の阻止を目的とするものと推認される。しかして、右のような警察当局の警備行為、要請行為は、思想等を理由とする差別的取扱い、思想等の告白の強制等には該当せず、個人の思想等の形成、維持に具体的かつ直接的に影響を及ぼすものとはいえないから、当該警備等の行為について憲法一九条違反の問題が生ずることはないというべきである。なお、民間人がその自主的判断により行った規制について憲法一九条違反の問題が生じないことはいうまでもないことである。
3 したがって、本件諸儀式の実施、被告鈴木による本件参列及び本件各祝賀事業の実施が原告らの思想・良心の自由を侵害するものであることを前提とする原告らの主張は、その前提を欠き失当である。
七 地方公共団体も社会的実体を有するものとして活動している以上、その長又はその他の執行機関が、当該地方公共団体の活動の一環として対外的な儀礼行為を行うことは、それが社会通念上相当と認められる範囲にとどまる限り地方公共団体の活動に随伴するものとして許されるものであり、その費用は法二三二条一項に定める「地方公共団体の事務を処理するために必要な経費」に該当するというべきである。
本件についてみると、被告鈴木による「即位礼当日賢所大前の儀」、「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」、「即位礼正殿の儀」及び「大嘗宮の儀」への参列(本件参列)等が、憲法二〇条三項により禁止された「宗教的活動」に該当せず、また、憲法一条、一九条、八九条にも違反しないことは既にみたとおりであり、前記三2(二)、(三)及び(五)で認定した本件即位の礼・大嘗祭の実施態様、被告鈴木の本件参列の目的、態様等に照らせば、被告鈴木の右参列は、社会通念上相当と認められる範囲の儀礼行為にとどまるものいうべきである。
また、前記四1及び2で認定したとおり、本件各祝賀事業は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴である天皇の即位に際し、天皇の地位にかんがみて右即位を祝うべく、儀礼として祝賀事業を行い、皇室に対し贈与を行うというものであるところ、右事業が憲法二〇条三項により禁止された「宗教的活動」に該当せず、また、憲法一条、一九条、八九条にも違反しないことは既にみたとおりであり、右事業の目的並びに前記四1で認定した右事業の態様及び費用の額等に照らしてみれば、本件各祝賀事業は社会通念上相当と認められる範囲の儀礼行為にとどまるものというべきである。
したがって、被告鈴木の本件参列及び本件各祝賀事業のため都が公金を支出したことに違法な点はないというべきである。
八 法二四二条の二に規定する住民訴訟は、原告が死亡した場合には、その訴訟を承継するに由なく、当然に終了するものと解すべきである(最高裁昭和五二年(行ツ)第一二八号同五七年七月一三日第三小法廷判決・民集三六巻六号九七〇頁参照)。
一件記録によれば、原告瓜谷良平が平成五年一二月一日に、同菅野虎夫が平成六年五月一一日に、同鈴木吉信が平成八年四月二三日にそれぞれ死亡したことは明らかであるから、本件訴訟のうち同原告らの請求に係る部分は、それぞれ、同原告らの死亡により当然に終了したものである。
九 結論
以上の次第で、原告瓜谷良平、同菅野虎夫及び同鈴木吉信を除くその余の原告ら及び参加人らの訴えのうち、被告鈴木に対し法二三二条の四所定の「支出」の違法を理由として損害賠償を求める部分及び別紙二支出目録7記載の支出に係る損害賠償を求める部分は不適法であるから却下し、原告瓜谷良平、同菅野虎夫及び同鈴木吉信を除くその余の原告ら及び参加人らのその余の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないから棄却し、本件訴訟のうち原告瓜谷良平、同菅野虎夫及び同鈴木吉信の請求に関する部分は、前記のとおり同原告らの死亡によりそれぞれ終了したからその旨を宣言することとし、訴訟費用の負担について、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条、六五条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官青栁馨 裁判官増田稔 裁判官篠田賢治)
別紙二、五<省略>
別紙三
名称
概要
期日
場所
1
賢所に期日奉告の儀
天皇が即位の礼及び大嘗祭を行う期日を賢所に奉告される儀式
1月23日
賢所
2
皇霊殿神殿に期日奉告の儀
天皇が即位の礼及び大嘗祭を行う期日を皇霊殿及び神殿に奉告される儀式
1月23日
皇霊殿,神殿
3
神宮神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀
即位礼の及び大嘗祭を行う期日を神宮並びに神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉告し幣物を供えるため勅使を派遣される儀式
1月23日
宮殿
4
神宮に奉幣の儀
即位の礼及び大嘗祭を行う期日を勅使が神宮に奉告し幣物を供える儀式
1月23日
神宮
5
神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉幣の儀
即位の礼及び大嘗祭を行う期日を勅使が神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉告し幣を供える儀式
1月25日
各山陵
6
斎田点定の儀
悠紀及び主基の両地方(斎田を設ける地方)を定めるための儀式
2月8日
神殿
7
大嘗宮地鎮祭
大嘗宮を建設する予定地の地鎮祭
8月2日
皇居東御苑
8
斎田抜穂前一日大祓
斎田抜穂の前日,抜穂使はじめ関係諸員のお祓いをする行事
悠紀田9月27日,主基田10月9日
9
斎田抜穂の儀
斎田で新穀の収穫を行うたの儀式
10月10日
斎田
10
悠紀主基両地方新殺供納
悠紀・主基両地方の斎田で収穫された新穀の供納をする行事
10月25日
皇居
11
即位礼当日賢所大前の儀
即位の礼の当日,天皇が賢所に即位の礼を行うことを奉告される儀式
11月12日
賢所
12
即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀
即位の礼の当日,天皇が皇霊殿及び神殿に即位の礼を行うことを奉告される儀式
11月12日
皇霊殿,神殿
13
即位礼正殿の儀
即位を公に宣明されるとともに,その即位を内外の代表がことほぐ儀式
11月12日
宮殿
14
祝賀御列の儀
即位礼正殿の儀終了後広く国民に即位を披露され,祝福を受けられるための御列
11月12日
宮殿~赤坂御苑
15
饗宴の儀
即位を披露され祝福を受けられるための饗宴
11月12日~15日
宮殿
16
神宮に勅使発遣の儀
神宮に大嘗祭を行うことを奉告し幣物を供えるため勅使を派遣される儀式
11月16日
宮殿
17
大嘗祭前二日御禊
大嘗祭の二日前,天皇,皇后及び皇太后のお祓いをする行事
11月20日
皇居
18
大嘗祭前二日大禊
大嘗祭の二日前,皇族はじめ関係諸員のお祓いをする行事
11月20日
皇居
19
大嘗祭前一日大嘗宮鎮祭
大嘗祭の前日,大嘗宮の安寧を祈念する行事
11月21日
皇居東御苑
20
大嘗祭前一日鎮魂の儀
大嘗祭の前日,総ての行事が滞りなく無事に行われるように,天皇はじめ関係諸員の安寧を祈念する儀式
11月21日
皇居
21
大嘗祭当日神宮に奉幣の儀
大嘗祭の当日,大嘗祭を行うことを勅使が神宮に奉告し幣物を供える儀式
11月22日
神宮
22
大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀
大嘗祭の当日,大嘗祭を行うことを賢所に奉告し御饌を供える儀式
11月22日
賢所
23
大嘗祭当日皇霊殿神殿に奉告の儀
大嘗祭の当日,大嘗祭を行うことを皇霊殿及び神殿に奉告する儀式
11月22日
皇霊殿,神殿
24
大嘗宮の儀
悠紀殿供饌の儀(-①)
主基殿供饌の儀(-②)
天皇が即位の後,大嘗宮の悠紀殿及び主基殿において初めて,皇祖及び天神地祗に新殺を供えられ,また自らも召し上がり,国家・国民のためにその安寧と五穀豊穣などを祈念し感謝される儀式
11月22日~23日
11月22日(①)
11月23日(②)
皇居東御苑
25
大饗の儀
大嘗宮の儀の後,天皇が参列者に白酒,黒酒及び酒肴を賜り,共に召し上がる儀式
11月24日~25日
宮殿
(大嘗祭後一日大嘗宮鎮祭)
大嘗祭の翌日,大嘗宮の安寧を感謝する行事
11月24日
皇居東御苑
26
即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀
即位の礼及び大嘗祭の後,天皇が神宮に拝礼される儀式
11月27日~28日
神宮
27
即位礼及び大嘗祭後神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に親謁の儀
即位の礼及び大嘗祭の後,天皇が神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に拝礼される儀式
12月2日~5日
各山陵
28
即位礼及び大嘗祭後賢所に親謁の儀
即位の礼及び大嘗祭の後,天皇が賢所に拝礼される儀式
12月6日
賢所
29
即位礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の儀
即位の礼及び大嘗祭の後,天皇が皇霊殿及び神殿に拝礼される儀式
12月6日
皇霊殿,神殿
30
即位礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀
即位の礼及び大嘗祭の後,賢所に御神楽を奏する儀式
12月6日
賢所
31
大嘗祭後大嘗宮地鎮祭
大嘗祭の後,大嘗宮を撤去した跡地の地鎮祭
大嘗宮の撤去後
皇居東御苑
別紙四
別紙六被告鈴木俊一が参列した諸儀式
1 「即位礼当日賢所大前の儀」
一一月一二日午前七時、御殿を装飾する。
時刻、皇室儀杖が皇居諸門の所定の位置に着く。
午前八時四〇分、参列の諸員が休所に参集する。
次に皇太子、親王、親王妃及び内親王が賢所参集所に参集される。
時刻、天皇が綾綺殿にお入りになる。
次に天皇に御服を供する(侍従が奉仕する)。
次に天皇に御手水を供する(侍従が奉仕する)。
次に天皇に御笏を供する(侍従が奉仕する)。
時刻、皇后が綾綺殿にお入りになる。
次に皇后に御服を供する(女官が奉仕する)。
次に皇后に御手水を供する(女官が奉仕する)。
次に皇后に御檜扇を供する(女官が奉仕する)。
時刻、御扉を開く。この間、神楽歌を奏する。
次に神饌及び幣物を供する。この間、神楽歌を奏する。
次に掌典長が祝詞を奏する。
次に大礼委員が着床する。
次に皇太子、親王、親王妃及び内親王が参進して幄舎に着床される。
午前九時、天皇がお出ましになる。
掌典長が前行し、侍従が剣璽を捧持し、侍従が随従する。
次に天皇が内陣の御座にお着きになる。
侍従が剣璽を案上に置き、簣子に候する。
次に天皇が御拝礼になり御告文をお奏しになる(御鈴を内掌典が奉仕する)。
次に天皇が御退出になる。
次に皇后がお出ましになる。
次に皇后が内陣の御座にお着きになる。女官が簣子に候する。
次に皇后が御拝礼になる。
次に皇后が御退出になる。
次に皇太子、親王、親王妃及び内親王が拝礼される。
次に諸員が拝礼する。
次に大礼委員が拝礼する。
次に幣物及び神饌を撤する。この間、神楽歌を奏する。
次に御扉を閉じる。この間、神楽歌を奏する。
次に各退出する。
2 「即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀」
賢所の式と同じ(御鈴の儀はない)。
3 「即位礼正殿の儀」
天皇陛下が正殿梅の間の前を経て正殿松の間にお出ましになる。
皇后陛下が正殿梅の間の前を経て正殿松の間にお出ましになる(侍従が剣璽を捧持する)。
天皇陛下が高御座にお昇りになる。
皇后陛下が御帳台にお昇りになる。
参列者が鉦の合図により起立する。
参列者が鼓の間により敬礼する。
内閣総理大臣が御前に参進する。
天皇陛下のお言葉がある。
内閣総理大臣が寿詞を述べる。
内閣総理大臣が御即位を祝して万歳を三唱する。参列者が唱和する。
内閣総理大臣が所定の位置に戻る。
参列者が鉦の合図により着席する。
天皇陛下が正殿松の間から正殿竹の間の前を経て御退出になる。
皇后陛下が正殿松の間から正殿竹の間の前を経て御退出になる。
4 「大嘗宮の儀」
一一月二二日時刻、大嘗宮を装飾する。時刻、皇宮儀杖が皇居の諸門及び宮殿の南車寄、北車寄及び中車寄の所定の位置に着く。
時刻、参列の諸員が休所に参集する。
(中略)
次に悠紀主基両殿の神座を奉安する(掌典長が掌典次長、掌典及び掌典補を率いて奉仕する)。
次に繪服、麁服を各殿の神座に置く(掌典長が奉仕する)。
次に各殿の斎火の灯燎を点す(掌典が掌典補を率いて奉仕する)。
このとき庭燎を焼く。
「悠紀殿供饌の儀」
時刻、天皇が廻立殿にお入りになる。
次に小忌御湯を供する(侍従が奉仕する)。
次に御祭服を供する(侍従が奉仕する)。
次に御手水を供する(侍従が奉仕する)。
次に御笏を供する(侍従が奉仕する)。
時刻、皇后が廻立殿にお入りになる。
次に御服を供する(女官が奉仕する)。
次に御手水を供する(女官が奉仕する)。
次に御檜扇を供する(女官が奉仕する)。
時刻、式部官が前導して諸員が参進し、南面の神門外の幄舎に着床する。
次に膳屋に稻春歌を発し(楽士が奉仕する)、稻春を行い(采女が奉仕する)神饌を調理する(掌典が掌典補を率いて奉仕する)。
次に本殿南庭の帳殿に庭積机代物を置く(掌典が掌典補を率いて奉仕する)。
次に掌典長が本殿に参進し、祝詞を奏する。
次に天皇が本殿にお進みになる。
式部官長及び宮内庁長官が前行し(侍従左右各一人が脂燭を執る)、御前侍従が剣璽を捧持し、御後侍従が御菅蓋を捧持し、御綱を張り、侍従長、侍従が随従し、皇太子及び親王が供奉され、大礼副委員長一人が随従する。
このとき、掌典長が本殿南階の下に候し、式部官左右各一人が脂燭を執って南階の下に立つ。
次に侍従が剣璽を奉じて南階を昇り、外陣の幌内に参進し、剣璽を案上に奉安し、西面の幌外に退下し、簣子に候する。
午後六時三〇分、天皇が外陣の御座にお着きになり、侍従長及び掌典長が南階を昇り、簣子に候する。
このとき、本殿南庭の小忌の幄舎に皇太子及び親王が着床され、宮内庁長官以下の前行、随従の諸員が着床する。
(中略)
次に皇后が御拝礼になる。
次に皇太子、親王、親王妃及び内親王が拝礼される。
次に諸員が拝礼する。
次に皇后が廻立殿にお帰りになる。
次に本殿南庭の廻廊に神饌を行立する。
(中略)
次に削木を執る掌典が本殿南階の下に立って警蹕をとなえる。
このとき神楽歌を奏する。
次に天皇が内陣の御座にお着きになり、侍従長及び掌典長が外陣の幌内に参入し奉侍する。
次に御手水を供する(陪膳の采女が奉仕する)。
次に神饌の御親供になる。
次に御拝礼の上、御告文をお奏しになる。
次に御直会
次に神饌を撤下する(陪膳の采女が奉仕する)。
次に御手水を供する(陪膳の采女が奉仕する)。
次に神饌を膳舎に退下する。
その儀は行立のときと同じである。
次に廻立殿にお帰りになる。
前行、随従及び供奉はお出ましのときと同じである。
次に各員が退出する。
(「主基殿供饌の儀」の次第は「悠紀殿供饌の儀」の次第と同じである。)
別紙七
登極令・同附式と平成の即位の礼・大嘗祭の諸儀式対照表
登極令・同附式の諸儀式
平成の諸帳式
1
賢所ニ期日奉告ノ儀
賢所に期日奉告の儀
2
皇霊殿神殿ニ期日奉告ノ磯
皇霊殿神殿に期日奉告の儀
3
神宮神武天皇山陵並前帝四代ノ山陵ニ勅使発遣ノ儀
神宮神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に勅使発遣の儀
4
神宮ニ奉幣ノ儀
神宮に奉幣の儀
5
神武天皇山陵並前帝四代ノ山陵ニ奉幣ノ儀
神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に奉幣の儀
6
斎田点定ノ儀
斎田点定の儀
7
斎田抜穂ノ儀
斎田抜穂の儀
8
京都へ行幸ノ儀
― ― ―
9
賢所春興殿ニ渡御ノ儀
― ― ―
10
即位礼当日皇霊殿神殿ニ奉告ノ儀
即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀
11
即位礼当日賢所大前ノ儀
即位礼当日賢所大前の儀
12
即位礼当日紫宸殿ノ儀
即位礼正殿の儀
― ― ―
祝賀御列の儀
― ― ―
饗宴の儀
13
即位礼後一日賢所御神楽ノ儀
― ― ―
14
大嘗祭前一日鎮魂ノ儀
大嘗祭前一日鎮魂の儀
15
神宮皇霊殿神殿並官国幣社ニ勅使発遣ノ儀
神宮に勅使発遣の儀
16
大嘗祭当日神宮ニ奉幣ノ儀
大嘗祭当日神宮に奉幣の儀
17
大嘗祭当日皇霊殿神殿ニ奉告ノ儀
大嘗祭当日皇霊殿神殿ニ奉告の儀
18
大嘗祭当日賢所大御饌供進ノ儀
大嘗祭当日賢所大御饌供進の儀
19
大嘗宮の儀
大嘗宮の儀
20
悠紀殿供饌ノ儀
悠紀殿供饌の儀
21
主基殿供饌ノ儀
主基殿供饌の儀
22
即位礼及大嘗祭後大饗第―日ノ儀
大饗の儀
23
即位礼及大嘗祭後大饗第二日ノ儀
同上
24
即位礼及大嘗祭後大饗夜宴ノ儀
同上
25
即位礼及大嘗祭後神宮ニ親謁ノ儀
即位礼及び大嘗祭後神宮に親謁の儀
26
即位礼及大嘗祭後神武天皇山陵並前帝四代山陵ニ親謁ノ儀
即位礼及び大嘗祭後神武天皇山陵及び前四代の天皇山陵に親謁の儀
27
東京ニ還幸ノ儀
― ― ―
28
賢所温明殿ニ還御ノ儀
― ― ―
― ― ―
即位礼及び大嘗祭後賢所に親謁の儀
29
東京還幸後賢所御神楽ノ儀
即位礼及び大嘗祭後賢所御神楽の儀
30
還幸後皇霊殿神殿ニ親謁ノ儀
即位礼及び大嘗祭後皇霊殿神殿に親謁の儀
別紙八
「即位の礼」・大嘗祭関係予算
(単位 円)
省庁
金額
内容
総理府
338,500
即位礼正殿の儀 143,500
高御座・御帳台修理,運搬費 42,100
宮殿の改修など施設整備 35,000
装束など儀式用品 66,400
祝賀御列の儀 12,000
饗宴の儀 43,300
広報費 54,200
記録映画 42,700
その他 42,800
皇室費
256,800
大嘗祭関係 224,900
大嘗宮の儀 182,700
①大嘗宮設営関係 145,300
②儀式用品・装束 37,400
大饗の儀・饗宴・風俗舞 34,700
その他大嘗祭関連 7,500
山陵に親謁の儀・京都茶会等 31,900
宮内庁
1,200
皇室活動随伴費
警察庁
538,280
警備活動費
外務省
98,000
外国要人招待費
合計
1232,780
出所 政府提出資料から作成(「政治経済総覧1991」前衛601〔1991・1〕84)
(注 1990年10月11日に事務次官会議で決定された警備費用420,980万円の予備費支出を含む。)
別紙九
即位礼正殿の儀,祝賀御列の儀及び饗宴の儀の進行予定等
11月12日 (月)
時刻
儀式等の名称
儀式の概要
場所
進行予定等
参列者
服装
09:00~10:30
即位礼当日賢所大前の儀
〔皇室行事〕
即位礼の当日、賢所に天皇が即位礼を行うことを奉告される儀式
賢所
内閣総理大臣を始め三権の長、国務大臣等
約55名
燕尾服、モーニングコート又はこれらに相当するもの。勲章着用
即位礼当日皇霊殿神殿に奉告の儀
〔皇室行事〕
即位礼の当日、皇霊殿、神殿に天皇が即位礼を行うことを奉告される儀式
皇霊殿
神殿
13:00~13:30
即位礼正殿の儀
〔国の儀式〕
即位を公に宣明されるとともに、その即位を内外の代表がことほぐ儀式
宮殿
・天皇陛下が正殿松の間にお出ましになる。
・皇后陛下が正殿松の間にお出ましになる。
・天皇陛下が高御座にお昇りになる。
・皇后陛下が御帳台にお昇りになる。
・参列者が敬礼する。
・天皇陛下のおことばがある。
・内閣総理大臣が寿詞を述べる。
・内閣総理大臣の発声により、
万歳を三唱する。
・天皇陛下が御退出になる。
・皇后陛下が御退出になる。
内外の代表
約2,500名
①天皇陛下
御束帯(黄櫨染御袍)
②皇后陛下
御五衣・御唐衣・御裳
③皇太子殿下
束帯(黄丹袍、帯剣)
④皇族各殿下(男子)
束帯(帯剣)
⑤皇族各殿下(女子)
五衣・唐衣・裳
⑥宮内庁長官、侍従長等
束帯
⑦女宮長等
五衣・唐衣・裳
⑧威儀の者、衛門
束帯(帯剣、弓)
⑨威儀物捧持者、司鉦司鼓等
束帯
⑩参列者
燕尾服、モーニングコート又はこれらに相当するもの。
勲章着用
15:30~16:00
祝賀御列の儀
〔国の儀式〕
即位礼正殿の儀の終了後、広く国民に即位を披露され、祝福を受けられるための御列
宮殿~
赤坂御所
・天皇皇后両陛下が宮殿南車寄にお出ましになる。
・御列が宮殿を御出発になる。
宮殿南車寄~皇居正門~桜田門~
国会議事堂正門前~憲政記念館前~
三宅坂~赤坂見附~青山一丁目~
権田原~赤坂御所正門~赤坂御所車寄
・御列が赤坂御所に御到着になる。
燕尾服又はこれに相当するもの。
勲章着用
19:30~22:00
饗宴の儀
(第1日)
〔国の儀式〕
即位を披露され、祝福を受けられるための饗宴
宮殿
・天皇皇后両陛下が松風の間に
お入りなる。
・外国元首・祝賀使節等が、松風の間に入られ、順次、天皇皇后両陛下と挨拶を交わされ、春秋の間に入られる。
・食前の飲物を供する。
・外国元首・祝賀使節等が豊明殿に入られる。
・天皇皇后両陛下が豊明殿にお出ましになる。
・食事を供する。
・正殿松の間において、外国元首・祝賀使節等に高御座及び御帳台を供覧する。
・春秋の間において、食後の飲物を供する。
・春秋の間において、舞楽を供覧する。
・外国元首・祝賀使節等が、順次、おいとまを告げられる。
・天皇皇后両陛下が御退出になる。
皇族各殿下、内閣総理大臣を始め三権の長等、外国元首・祝賀使節(駐日大使を除く)。等
約350名
燕尾服又はこれに相当するもの。
勲章着用